傑作『踊る大捜査線』は『太陽にほえろ!』の手法を禁じ手にして製作された革命的な刑事ドラマだった
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月はゲーム作家の米光一成さんが織田裕二主演『踊る大捜査線』を鑑賞。大ヒットドラマの意外な成立事情を紐解きます。
「都知事と同じ名前の青島です」
『踊る大捜査線』である。1997年1月から3月までフジテレビ系列局「火曜9時」枠で放送された全11話の連続テレビドラマ。じわじわと人気上昇し、翌年、映画化される。2003年の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』は、前代未聞の興行収入173.5億円。日本実写映画歴代興行収入第1位の大ヒットであり、いまだその記録は追い抜かれていない。
「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!!」
主役は、「都知事と同じ名前の青島です」の青島俊作巡査部長。当時の東京都知事は、「スーダラ節」を作詞し、テレビドラマ『意地悪ばあさん』の意地悪ばあさん(波多野たつ)を演じた青島幸男だった。『東京ラブストーリー』『振り返れば奴がいる』『お金がない!』『正義は勝つ』『真昼の月』と連ドラで次々とヒット作品に主演している織田裕二。
盗犯係の先輩刑事の恩田すみれを深津絵里(いま、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の二代目ヒロイン!)。定年間近のベテラン刑事の和久平八郎をドリフターズのリーダーいかりや長介。愛すべきヘタレな警部補の真下正義を、本作で大ブレイクすることになるユースケ・サンタマリアが演じる。
事件の被害者で喋れなくなってしまう柏木雪乃は水野美紀。警察庁のキャリア・室井慎次管理官を、柳葉敏郎が演じている(原口あきまさの柳葉敏郎のモノマネは、この室井慎次を演じるギバちゃんだ)。
それぞれの人物造形の見事さ、脇役にいたるまで見せ場がある展開の妙(それぞれのキャラクターのスピンオフがたくさん作られる!)、今観てもワクワクする傑作ドラマである。
犯人を逮捕させないでください
『踊る大捜査線』は、それまでの刑事ドラマとまったく違う警察像を描いた。脚本家・君塚良一の著書『テレビ大捜査線』(講談社)によれば、『踊る大捜査線』の企画の発端は、プロデューサーの「今まで観たこともないような、まったく新しい刑事ドラマを作りましょうよ」という言葉だった。
師匠である萩本欽一の「つねに冒険せよ、つねに実験せよ」という言葉を胸に刻んでいた君塚良一は、プロデューサーのこの言葉に共鳴する。
そして、『太陽にほえろ!』を分析して、その実験精神に驚く。スタンダードになっていた刑事ドラマ『太陽にほえろ!』は、従来の刑事ドラマとまったく違う新しい手法をたくさん取り込んだ実験精神にあふれるドラマだったのだ。
プロデューサーに「『太陽にほえろ!』は、当時、凄い実験作だったんです!」と、君塚良一が分析結果を話すと、プロデューサーは「なら、それ全部、禁じ手にしちゃいましょう!」と返す。こうして、“刑事にニックネームは付けない。音楽に乗せての聞き込みシーンを作らない。刑事と犯人の心情をリンクさせない。”といった禁止事項ができあがった。
第1話、青島刑事が尋問をしている場面からはじまる。ドンとテーブルを叩く。「おめぇ、田舎におふくろさんいるんだってな」と泣き落としに入り、「カツ丼食べるか」で、「そこまで!」とストップの声。
「刑事ドラマの見すぎだ」と、叱られて、その場面が刑事になるための講習であり、青島刑事がマニュアルを無視して刑事ドラマに影響されて暴走していたことが判る。
見事なオープニングだ。従来の刑事ドラマではないぞという宣言であり、マニュアルを無視して暴走する青島刑事のキャラクターを示す場面にもなっている。
湾岸署に配属されて、青島の持っている「刑事イメージ」はどんどん崩されていく。事件発生、嬉々として現場に急行しようとする。「パトカー出して!」とかっこよく言うが、「警務課行ってください」と言われ二階に駆け戻るも「この貸出書類に記入して、係長と課長のハンコをもらってきてください」と言われて、結局パトカーは諦め、現場まで走るはめに。ところが現場でも「所轄はあっちいってろ」「邪魔だ」と追い出される。
捜査ができると思っていた青島刑事は、「室井管理官の車の運転」を命じられて、がっかりする。
『踊る大捜査線』を新しい刑事ドラマにするための禁止事項は、まだある。初稿の脚本を読んだプロデューサーは、「主人公に、犯人を逮捕させないでください」とさらなる要求を出す。事件が発生し、捜査し、盛り上げて、逮捕する、という事件モノのオーソドックスな起承転結までも禁じ手にしちゃうのだ。
これで『踊る大捜査線』は、決定的に「事件そのものを描くドラマ」でなくなり、事件に翻弄され、本庁と所轄の構造でもがく刑事たちを描くドラマになった。犯人のバックグラウンドはほとんど語られず、複数の事件が同時進行し、警察側の群像を描くことが中心になる。『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』(幻冬舎新書)で、亀山プロデューサーは、モジュラー型の海外ドラマ『ER』を参考にしたと書いている。
二重構造のバディものとして
『踊る大捜査線』は、二重構造のバディものだ。まず、見るものすべてが新鮮な新人刑事の青島俊作と、「俺は見るものすべてが濁って見える」と愚痴るベテランの和久平八郎が相棒となる。青島は和久さんのベテランのワザを盗み、和久さんは青島の青臭い正義感に感化されながら、ふたりが成長していく。和久さんの定年の日をタイムリミットにした若者と老刑事のバディものなのだ。
もうひとつの軸は、現場の青島刑事と、官房審議官・警視の室井管理官のバディだ。直情的で、目の前に困っている人がいたらすぐに行動してしまう青島と、全体を俯瞰してコントロールしなければならない室井管理官は、たびたび対立する。
第4話。凶悪犯を確保するために待機しているときに、少女が殴られるところを見た青島は、室井の指示を無視し、持ち場を離れて助けに行く。そのせいで凶悪犯を逃してしまう。
「目の前で苦しんでる人がいても、デカイ事件のためにはそれ無視しろって言うんですか!?」と詰め寄る青島に、室井は苦渋の表情で「凶悪事件を解決するためだ」と返す。青島は、怒りを爆発させて、「俺にはできない……これ持ってると、人助けられないってんだったら、こんなものいらないっスよ!」と、警察手帳と手錠を、地面に叩きつけるのだ。
所轄と本庁、ノンキャリア組とキャリア組、個人と組織という対立の物語だ。それぞれの正義を背負いながらふたりは対立し、おたがいの立場を理解していく。
『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ』では、リーダーがいないフラットな組織で犯行におよんだ男が「リーダーなんかいると、個人が死んじまうんだ!」と吐き出すのに対して、「どうかな? リーダーが優秀なら、組織も悪くない」と青島は返す。
『踊る大捜査線』は、分断に絶望する前に、お互いの立場や信条を超えて相手を信頼することができるということを描いた物語でもあるのだ。
刑事の殉職をめぐって
もうひとつの禁じ手について、君塚良一は『「踊る大捜査線」あの名台詞が書けたわけ』(朝日新書)の中で、こう記している。
(禁じ手は)“もうひとつ、「刑事が殉職しない」というものもあった。刑事ドラマにおいて、ひとつのシリーズが終わる局面に、新人刑事が殉職するというあのパターンだ。”
亀山プロデューサーは、上司と掛け合って「最終回の視聴率が20%を超えたら映画にしていい」と言われていた。
“禁じ手にしていたのだが、最終回で視聴率を上げるためにユースケ・サンタマリア演じる真下刑事が撃たれるというシーンを作り、視聴者に対する最終回への引きを作ることになった。映画にしたいという想いはスタッフの胸につのり、破裂しそうなくらいだった”。
この本の中では書いていないが、真下は実際には殉職しなかった。さらに、真下が撃たれた後に、犯人を追って走ったり、射撃したりする刑事ドラマ的な盛り上がる場面につなげたりもしなかった。「俺たち下っ端はなぁ、あんたが大理石の階段を上っている間、地べた這いずり回ってんだ」という和久さんの台詞に呼応する、雨のなか青島が本当に地べた這いずり回って捜査をするあの名場面へと続くのだ。
『踊る大捜査線』は、日本のドラマの大きな革命だった。ヒロイックに主人公だけを追うのではなく、組織の中でさまざまな方法で闘う人間達を描き、それをエンターテインメントに昇華した。
最終回で視聴率23.1%を獲得。その後のスペシャルドラマは3本連続で20%超え。そして、映画版『踊る大捜査線 THE MOVIE』へと続くのである。
文/米光一成(よねみつ・かずなり)
ゲーム作家。代表作「ぷよぷよ」「BAROQUE」「はぁって言うゲーム」「記憶交換ノ儀式」等。デジタルハリウッド大学教授。池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主。