兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第56回 兄、メタボ腹になる」
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2人暮らしだ。かつては、認知症を患う母とも同居、介護経験もあるツガエさんは、最近の兄の様子に母の姿を重ねてしまうことも。兄の言動は、認知症によるものか、性格なのか…。不安がよぎるツガエさんの心中は?
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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認知症だった在りし日の母と重なる兄の様子
先日、深夜までユーチューブを観て楽しんでおりましたら、ふすまの隙間から顔をのぞかせた兄に突然「明日…ウチに帰るの?」と質問をされました。思わず固まり「え?ここがウチだから…」と、とっさのことで何の捻りもない返しをしてしまったツガエでございます。
寝ぼけていたのだろうと思いたいのですが、どうなのでしょう。
「あ、ここがウチか」と半笑いしながら自室に戻っていった兄が、だんだん在りし日の母と重なってまいりました。自分の家が分からなくなってしまうのも、外に出たがらないのも、窓やドアを閉めきりたがるのも認知症だった母の要素をそっくり受け継いでいると感じるからです。
母の場合は、家を留守にすると泥棒が入ってくると強く思っていた節があり、留守番をさせたら天下一品で、絶対外には出て行かない人でございました。自室の窓には段ボールを積んで目隠しをしてしまい、電気をつけると誰かに見られると思っていたようで、いつでも暗室でございました。
「誰かいる」と言っては玄関を用心深くにらんでいることもよくありました。わたくしがのぞき窓から確認して「誰もいないよ」と言っても「いや、いる。開けたら危ない」と言って引かない頑固者でございました。
兄は、まだそこまで被害妄想が進んでいるわけではございませんが、やはり家からは出たがりません。風通しのため玄関を少し開けておくと、気にして廊下をウロウロしております。「誰かいるの?」と言うと「なんか音がするから何かなと思って…」と言うのです。わたくしには一般的な生活音しか聞こえないのですけれども…。
ビビリなのか音に敏感で、車が止まる音、トラックのバック警告音、ゴミ収集車の音、バイク、スケボー、ヘリコプター、大人の話し声、犬、小鳥、子どもの泣き声などにいちいち窓から外を確認するので、我が家の窓ガラスは兄のおでこの脂跡でいっぱいでございます。音の正体を記憶できないことがそうさせるのでしょうか。窓ふきはキリがないのでもうやめました。
鍋や食器がぶつかる音にも敏感で、わたくしがキッチンで洗い物をしていると、ちょっとしたカチャン音に背中をピクンさせ、驚いたような仕草をいたします。わたくしは「テレビに集中しろや!」とイラつき、イラついた勢いでうっかり手が滑って大きなガチャン音をさせようものなら今後は、チラリと振り向いて「え~何?気を付けて」と半笑いの台詞。わたくしは「は~い、失礼いたしましたぁ」とおチャラけながら、その内心「テレビ観るだけの奴になんも言われたくないわぃ」とエプロンの裾をグーッと噛んで耐え忍ぶのであります。
病院やハローワークも本当は行きたくないと見えて、「今日はハローワークの日だからね」と言うと「参ったな」と言わんばかりの渋い顔をいたします。
外出するための着替えや準備が苦手になっていることは明らかです。先日も「これでいい?」と言って部屋から出てきた兄は、上は白Tシャツに夏のブルゾンを着ているのに、下は部屋着のスエットのまま。「は?それ?チノパンは?」と聞くと「パンパンで履けない」とのたまうので、履かせてみるとウエストのボタンがまったく届かないほどメタボ腹になっておりました。今まではベルトでごまかしていたようですが、もうそれすら無理。わたくしは部屋着のヨレヨレスエット姿で電車に乗る61歳のオッサンの傍らで、吊り革を握るしかございませんでした。
とはいえ、その兄の姿はいかにも職にあぶれた感があり、「ハローワークだからいいか」と妙に納得。でも、通院もあるので帰りにユニクロに立ち寄りウエスト82センチのチノパンを購入し、プレゼントさせていただきました。こうして日々、人生の徳を積んでおります。
つづく…(次回は9月3日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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