親はもう回復しない!?医師に相談しても親身になってもらえないときは…|700人以上看取った看護師がアドバイス
親は高齢になって弱ってくる。もう回復が見込めないと言われると、子どもは動揺してしまう。しかしどうしたらいいかと医師に相談し頼ろうとしても、親身になってもらえなかったり、つれなくされたように感じたりして、なかなかうまくいかないということは多いかもしれない。看護師として700人以上を看取り、自らも両親を介護した宮子あずささんに、アドバイスをもらった。
赤ひげ先生のイメージを求めても無理
医師に対して、患者や家族が求めるものは様々です。頼りにしたい、力づけてもらいたい、人間として尊敬できる人物であってほしいと思っても、その希望はなかなかかなえられないのが実際のところです。医師は技術者だと考えることからスタートしたほうがいいと思います。
●そもそも医師は、一生懸命試験勉強して資格を取った医学部生
山本周五郎は『赤ひげ診療譚』で、貧しい庶民の患者たちの身になって、治療に取り組み続ける小石川養生所の老医師を描きました。それが医師の理想像として浸透し、黒澤明監督が三船敏郎主演で撮った映画『赤ひげ』は、1965年に公開されたものなのに、今でもCMで使われていたりします。
しかし、医は仁なり、医師といったら人格者で赤ひげ先生だというようなイメージを持ったまま、それを医師に求めても難しいのです。実際には、一生懸命試験勉強をして医学部に入って、なんとか資格を取った学生が、技術を提供するようになったのが医師です。
医師は病気を持っている人と関わるのだから、コミュニケーション能力を持っていてもらわなければいけないですが。彼らになんでも解決して欲しいとか、支えになって欲しいと求めるのは無理だと思います。
「もし自分が医師だったら弱っていく相手を受け止められるか」と考えてみる
医師は患者や家族よりかなり若いことも多い。その人に、例えば80代になった高齢の人が弱って死に向かっていくことを受け止めて支えになってくれというのは難しいことです。
●80代の気持ちが、家族や医療者にわかるのか
私は50代の今になって、20代で看護師をしているときには、50代の人の気持ちはわからなかったのだなあと思います。ましてや80代になるとどうなるかということは、その年になるまでわからないのですね。
家族にも医療者にも、その年代にならないとわからないことはあります。どんなに親身になって考えても、他者の気持ちはわかってあげられない。また、介護している側の気持ちもわかってもらえない。お互いにわからない部分があるということをふまえておきましょう。
●もし自分が医師だったら求められてできるのか
私は親の介護をしている最終段階で、患者の家族として「もし自分が医師の立場だったら、こういうことを求められてもできるかな」というのは考えました。ちょっと無理かなと思ったら医師に対して求めるのをあきらめることもありました。
もちろん、多くの医師がなんとか役に立ちたいと思っていますし、悩みにこたえてもらえる場合がないというわけではありません。
人と人の関係だから、ウマが合う合わないということがあります。相性がいい先生だと、来てくれるだけでほっとしたりする。そういう関係になるのが一番いいけれど、残念ながら「こうしたら誰でも信頼関係を構築できる」というノウハウはないのです。だから、どうしても支えてもらいたいというふうに求めすぎないのがいいと思います。
●精神的な支えは無理。でもやってもらえることはある
医療者に多くを求めずに、ではどうするか。やってほしいことをはっきり言うというのが、とりあえずできることでしょう。
精神的な支えになってもらうのは無理でも、医療者にしてもらえることはあります。
親が自分で見つけてリクエストするのは難しいことも多いですから、家族が具体的に質問したり、してもらいたいことを伝えたりする役割を担えるといいと思います。
「精神的な支えが欲しい」というと漠然としていて、かなえることは難しいのですが、それを具体的にしていくと、解決に近づける場合もあります。
親自身や家族が、何が不安で、何を一番してほしくないのかを、明らかにすることです。医療者からすると、手術をして治癒するのだけをいいことだと思いがちです。しかし、本人や家族は、それより前に、例えば、「手術をするのが不安で嫌」だとか、「手術は痛みが強いのかどうか心配」だと思っていたりする場合もあります。
具体的に何がわからないのか、何が不安で嫌なのかを伝えると、そこから医師にできることが生まれてくる可能性はあると思います。
<医者が頼りにならない…と困っているときどうするかのまとめ>
●医師は赤ひげ先生ではなく、技術者だと考える
●その年代にならないとわからないことはある
●どうしても支えてもらいたいと求めすぎない
●具体的にしてもらいたいことを伝える
●何がわからないのか、何が不安で嫌なのかを伝える
今回の宮子あずさのひとこと
●お風呂の温度だって人によって感じ方が違うから、ともかく話すしかない
私も看護師をしていて、人によって受け取り方は違うということをずいぶん経験しました。
例えばお風呂の温度ひとつにしても、ぬるいと思う人と熱くてだめだと思う人がいるわけです。「こんな熱いお湯に入れるか」と言われてしまう。さっきの患者さんはこの温度で気持ちがいいと言って入っていましたけど、といったこともあるのは仕方がないんですね。だから細かく「これでどうですが」「あれでどうですか」と聞くようにしていました。
人間関係は医師との関係に限らず、伝え合わないとわからないんですね。どうして欲しいか、具体的に話してみてください。
教えてくれた人
宮子あずさ(みやこあずさ)さん/
1963年東京生まれ。東京育ち。看護師/随筆家。明治大学文学部中退。東京厚生年金看護専門学校卒業。東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。1987年から2009年まで東京厚生年金病院に勤務。内科、精神科、緩和ケアなどを担当し、700人以上を看取る。看護師長を7年間つとめた。現在は、精神科病院で訪問看護に従事しながら、大学非常勤講師、執筆活動をおこなっている。『老親の看かた、私の老い方』(集英社文庫)など、著書多数。母は評論家・作家の吉武輝子。高校の同級生だった夫と、猫と暮らしている。
構成・文/新田由紀子
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