兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第32回 兄が同窓会に行きました その1】
若年性認知症を患う兄と2人で暮らすライターのツガエマナミコさんが、思いがけないハプニングや日常のあれこれを綴る連載エッセイ。
退職後、ほぼ自宅から出ずに生活する兄に、ある日、一本の電話がかかってきて…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
大学のサークル仲間から突然の電話
病院とハローワーク以外、出掛けることのない兄に珍しく外出の予定が入ったのは昨年11月のことでございました。なんと兄の大学時代のサークルのお仲間がお電話をくださったのです。
この時ほど親の代から使っている古い電話番号を変えずにいてよかったと思ったことはございません。両親亡きあとはほとんど使っておらず、わたくしが仕事用に引いていた別回線のほうがメインだったのですが、引っ越しの際、いつかこんなことがあるだろうと古いほうの電話番号に統一したのです。
お友達は我が家が引っ越したことも知らなければ、兄が認知症であることも知りません。6年前、父が他界した時にはお香典が届いていたので、その頃はまだ連絡を取り合っていたと思われますが…。
あとから聞いた話では、お仲間の一人は、最近何度も兄の携帯に電話をしてくださっていたようでした。でも携帯電話の操作がわからなくなった兄は、折り返すこともなく、会社に行かなくなってからは充電する必要も見いだせず完全に充電切れ。いつしか携帯は部屋の片隅でガラクタと化していました。
それでも何十年も変わらない家の電話番号が兄とお友達を繋げてくれる…。家電(いえでん)にはそんな素敵な一面もあったのです。
声の主はわたくしも面識のある兄の友人でした。
「どうも、お久しぶりです、妹です」「ああ、妹さん?久しぶりだね。お兄さん元気?」とちょっと心配の色が見えたのは、兄が音信不通だったからに違いありません。
すぐに兄に代わると「よう!久しぶり」とはつらつとした第一声。今にも「飲みに行こうぜ」と言いそうな明るい声は、わたくしにとっては懐かしいほど久しぶりでございました。
どんな会話をするんだろう…とさりげなく聞いていると「元気って言ってもお互い歳だからな~ワッハッハ」と中高年にありがちな会話のあと、「そうか。いつ?病気で?あ~そうか」とトーンがグッと落ち、兄が「住所?変わってないよ」と言い出したので、“なぬ?引っ越したじゃん!”と慌てて駆け寄り電話の前に貼ってある家の住所を“これこれ”と指さしました。
でもとっさのことで読めそうになかったので、となりでわたくしが読み上げ、兄がそれを復唱するという「ささやき女将」方式でお伝えいたしました。
どうやら、お仲間の一人が亡くなられたということと、弔いついでに集まろうとなったようでした。後日、日時と場所、参加の可否を問う往復はがきが届き2人で出席する旨を返信いたしました。
兄は大学時代、写真研究会なるサークルにおりました。写真の何を研究していたかは存じませんが、よく集まっては遊び、アルバイトや旅行を楽しんでいたことは存じておりました。そして当時高校生だったわたくしも、兄に誘われ2~3回ボウリング大会に参加していたのです。大学生の中で一人だけ高校生だったので、何かとちやほやされた記憶は呆れるほど鮮明でございます。そう、わたくしにもピチピチのJK時代があったのです。今や見る影もございませんが…。
わたくしにとってもいい思い出しかないサークルの同窓会。それは、世の中が忘年会だ、クリスマスだ、とやたら盛り上がっている日の午後2時スタートでございました。
つづく…(次回は3月19日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ