シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを往く~<26>【連載 エッセイ】
長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。
桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。
シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。
さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!
【前回までのあらすじ】
ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。
そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。
飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。
宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。
ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに到着した。
予約していた宿「Old Kings Arms Hotel」は、まるで絵本に出てくるような外観だ。荷をほどき、早速、ペンブローク城へ。城門をくぐり、円形の城壁を右回りで進むことに決め、バービカンタワー(Barbican Tower)から大塔へ向かった。塔を上る急ならせん階段では、足を滑らせ、ひやりとする場面も。
* * *
(2017/4/11)
VII これぞカッスル、ペンブローク城【9】
●騎士ごっこ
内郭(うちぐるわ)を出て外郭(そとぐるわ)敷地内のベンチに座る。
ほんとうは大塔に来る前のカフェで休みたかったのだが、混んでいてそれができず、そそのまま大塔を上ってしまった。
だから疲れていて滑ったという面もある。ショルダーバックのサイドポケットに入れてあるエビアン(水)を取り出しごくごく飲む。結構のどが渇いていた。
さて、これまで撮ったLUMIX(カメラ)の写真をカミさんに送るか。
私はイメージアプリを使ってデジカメの写真をスマホに移し始める。カミさんはスマホと同期している家のパソコンで、送った写真をいつでも見ることができる。IT技術は本当に旅の形を変えている。
ふと顔を上げると、外郭敷地のイベントスペースで騎士ごっこが始まった。
小さな子供たちが10人くらい、昔の騎士が鎧の上にはおる陣羽織(tabard)を着て、木製のおもちゃの剣をもち、大人も数人騎士の恰好で、子供たちを率いてわあわあやっている。
大人は、たぶんこの町のボランティアか市の城担当職員だろう。私は面白く眺めている。おそらく何か脚本があるに違いない。
きゃあきゃあ騒いでいたその豆剣士たちは、やがて整列すると大人の騎士に連れられて行進を始めた。
なんだか日本の城に似ているなあと思った。だいぶ前から、日本各地の有名な城では若者たちが武将隊と称し、甲冑姿でパフォーマンスを演じ観光客を迎えている。
西洋にせよ日本にせよ、城にはそれぞれドラマがあり名の知られた武将、騎士がいる。だから芝居がしやすい。
ただ、日本の城や観光地には、顔だけ丸くくりぬいた等身大の人形、そこに自分の顔を入れて記念写真を撮るあの人形があったりするが、ここにはそんなものはないだろうな、と思っていると……あった!?
私の視線の先にある塔、その前では、今まさに大人の騎士が剣を子供たちの両の肩に交互に載せ、騎士の叙任式を行っているのだが、その塔の入り口の横に、剣と盾を持った等身大の騎士の人形が置かれているのである。
でも、よく見ると顔はくりぬかれておらずどうやら記念写真用ではないらしい。私は立ち上がり、人形が置かれている塔に向かって歩き出した。
塔の入り口に貼られているプレートが見えてくる。“HENRY VII TOWER”とある。
おお、あった。ついに見つけた。「ヘンリー7世の塔」だ!この人形はヘンリー7世をイメージしたものだったのだ。
そこそこのイケメンに描かれている。
■魂を宿した人形
実はヘンリー七7世ゆかりの場所を、城に入ってからずっと探していた。楼門に最初に入って、右側の塔から見学を始めたのは、その回り方が早くヘンリー7世の場所に行きつける気がしていた。あくまでもなんとなくだが。
しかし、実際は楼門のすぐ左隣に、ヘンリー7世の塔があったのだ。左に行けばこの城の一番のハイライトである場所にあっという間に着けたのである。
何でガイドブックの最終ページの城マップをもっとよく見なかったのだろう。まあ、メニュー読みといい、ごちゃごちゃした地図といい、だいたい私はこういうものを見るのが苦手なのである。
急いで塔の外側の階段を上る。3層の塔の2層目に、その部屋はあった。
ゆりかごから、両の手で赤子を抱き上げたばかりの乳母、その誕生間もないわが子を見つめる、椅子に座った母親マーガレット・ボフォート、そしてやや奥、暖炉の前でしゃがんで控えている侍女。ヘンリー7世生誕を模した人形ジオラマである。
リアルである。パネルの説明を読む。
――1457年1月28日、ヘンリー7世はこの部屋で生まれた。そのとき母親のマーガレット・ボフォートは14歳、そして父親のエドモンド・テューダーはこの12週間前に死んでいた――とある。
マーガレット・ボフォートが14歳で出産したことは、何事も早熟な当時でも、極めて早く、命を危ぶまれるほどの大変な難産だったという。
彼女は、その後の人生でヘンリー・スタフォード卿と、そしスタフォード卿の死後は、トーマス・スタンリー卿と、2回再婚するが、いずれの夫との間にも子供はできなかった。
それはヘンリーを産んだことで、彼女はもう二度と子供を産めない体になってしまったっためといわれている。
他の観光客はすぐに通り過ぎるのに、私はジオラマを飽きもせずじっと見ている。
人形から流れてくる時の渦に巻き込まれ、漂流感を楽しむかのように。
そのうち何か、デジャブにも似た感覚に襲われてきた。
どこかでこの展示にそっくりなものを見たような気がする。ただこういうとき、デジャブなら絶対にどこで見たものか思い出せない。だが、このとき私はすぐにわかった。
以前見た姫路城の、千姫の人形ジオラマにこの塔のそれは似ていた。
承知の通り、徳川二代将軍秀忠の娘千姫は、夫の豊臣秀頼が大坂夏の陣であんなことになってしまったあと、徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝の孫の本多忠刻に嫁ぎ、姫路城で暮らすのだが、その彼女の暮らしぶりを模したジオラマが姫路城西の丸の千姫化粧櫓にある。
そこには千姫と侍女の2体の、かるた遊びをしている人形が展示されていて、妙な現実感があった。
この「ヘンリー7世の塔」の人形たちも、まるで人間が静止劇をやっているかのようだ。
人形には不思議な「気」がある。それが悲喜こもごもの歴史を擁する古い城に置かれるとき、単なる展示物を超えた何らかの「念」を宿すのかもしれない。
それにしても洋の東西を問わず、城は似ている。昔も、そして観光目的となった今のあり方も。
城ほど、人形を置くのに適したところはない。
●西側の絶景ポイント
「ヘンリー7世の塔」を出ると、私はペンブローク城を出て、一旦、「Old Kings Arms Hotel」にもどった。一旦と書いたのは、外から城を見ることがまだ残っているからだ。
ペンブローク城は、西側からみるのが一番美しいとされている。
旅行ガイドブックなどに載っている多くの城の外観写真は西側から撮られたものである。もちろん、私も城の西側に行くつもりだ。
部屋に戻った私はテレビをつけBBCウェールズを見ているうちに2時間ほど寝てしまった。目を覚ますと5時少し前だ。急ぎ部屋を出て、再びフロントのササノさん(ホテル支配人。俳優の笹野高史に似ている)の脇を抜け、外に出ると城へと向かった。
陽は西に傾いているがまだまだ昼のように明るい。
再び城の楼門に来たが今度は中に入るのではなく、城壁に沿ってそのまま西へ進んでいく。
真下から見るとそそり立つ城壁は反りかえっているようにさえ映る。さっき中に入った「ヘンリー7世の塔」の屋上に赤バラのランカスター家の旗がたなびいている。
もう視界の後方に行ってしまった楼門上のユニオンジャックとウェールズのレッド・ドラゴンの国旗が風に揺られているのも望める。
やがてミル池がみえてくる。この池は、城の周りを囲んでいて濠の役目を担っている。
ただ、池は楼門などがある城の東半分までは続いておらず、濠が城をぐるっと囲んでいる構図にはなっていない。
おそらく昔は、城は壕で囲まれていたのだろうと想像する。
ほどなく私は、遊歩道になっている絶好の撮影ポイントに来た。水をいっぱい湛えた濠を前に、堂々たる姿を見せる石造りのペンブローク城。さながら海に浮かぶ戦艦のようだ。大塔は艦橋といったところか。
カメラを構えたまま、城と同心円状になっている遊歩道を進む。
城のアングルが、進むにつれ徐々に変わってくる。単独でドンと見えていた大塔が小塔と重なったり、平列になったり、城は色々な表情を見せてくる。そのいずれもがとても新鮮だ。
夢中でシャッターを切っていた。そして暗くなりつつある城を後ろに、満足した私はホテルに戻っていった。
桜井俊彰(さくらいとしあき)
1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。