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連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<22回>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」に訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。

 宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。

 ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、バスを乗り継ぎ、次の目的地、ペンブロークに到着した。

 * * *

(2017/4/11)

VII これぞカッスル、ペンブローク城【6】

●絵本のようなホテル

 立ち止まったまま、バス停の向かいに目を凝らす。

 あった、ほんの斜め前に。緑色の、まるで絵本に出てくるかのような可愛らしいホテル。「Old Kings Arms Hotel」だ。

 WEBで、ペンブロークの宿を調べていた時、この小ぢんまりしたホテルが一発で気に入り、即予約した。

 正直なところ、ウェールズに来る前まで、今回の旅で予約した宿の中では、このホテルに泊まることを一番の楽しみにしていた。それほど外観の印象が良かった。

 もちろん、宿は実際に泊まってみなければ本当の良さはわからない。何よりも「ティー・ヘリグ」(セント・デイヴィッズで宿泊したB&Bの名称)がそのことを証明している。

 私はワクワクしながら道を横切り「Old Kings Arms Hotel」の前に立った。が、入り口がどこなのかよくわからない。ホテル建物一階の窓越しから見えるのはパブと思しきもので、目の前にドアはあるが、これはどう見てもこのパブのものだ。ホテルのドアはどこだ?

 あたりをきょろきょろしていると、その目の前のドアから前掛け風エプロンを着けた、いかにもパブもしくはレストランの従業員といった若い男性が、実にタイムリーに出てきたので、私はホテルの入り口はどこかと、迷わず尋ねた。すると、彼はいま出てきたドアをコンコンとこぶしで軽くたたいた。

「ここですよ。入ってテーブルを過ぎたところの右手にホテルのフロントがあります」

 へえー、そうなのか。パブの入り口がホテルの入り口でもあるのか。

 面白いな、イギリス的だなと、私はその大して広くない、大人が一人どうにか入れる程度の幅のドアを押し開け、スーツケースを転がして中に入る。

 そこは木目調の、四角いテーブル席が4卓、窓際には長椅子タイプのテーブル席が配置された、木目調の落ち着いたレストランであり、板壁で仕切った右側の部屋はパブになっていた。

 そして少し奥に進むと階段があり、その手前の右手に、小さなフロアスペースのホテルのフロントがあった。

 こんな具合のホテルは見たことがない。

 ホテルといえば、アメリカや日本の、広いロビーがあってフロントがあり、ラウンジと一緒になっているスタイルが頭に焼き付いている私には、この何というかイギリス的な、いやウェールズ的な、飲み屋だか宿屋だかわからない、隠れ家みたいな趣さえあるホテルは新鮮に映った。

 そしてすぐに、これはタバーン(tavern)だな、と感じた。あのチョーサーの『カンタベリー物語』の登場人物たち――騎士や粉屋、托鉢(たくはつ)僧、郷士、バースの女房、医者、船長、尼僧、貿易商といった面々――が、一夜を過ごした「陣羽織屋」(Tabard)みたいな、英国の中世によく見られた居酒屋も兼ねた宿屋。そう、タバーンみたいだ、このホテルは。

 いいなあ。雰囲気あるなあ。「ティー・ヘリグ 」といい、この「Old Kings Arms Hotel」といい、私は何と運のいい旅をしているのだろう。

●早めのチェックイン、OK!

 おっと、雰囲気に浸っている場合じゃない。ホテルのフロントに、荷物をとりあえず預かってもらう交渉をしないといけないのである。

 腕時計を見る。12時30分である。ここのチェックインは14時からなので、とても部屋には入れてくれないだろう。

 何とかスーツケースをフロントに置かせてもらって、その足でペンブローク城に向かおう。時間を有効に使わなければと、私はフロントの細長いデスクの向こう側に腰かけているこのホテルの支配人と思しき高齢の、白いワイシャツの上に紺のⅤネックのセーターを身に着けた紳士に声をかけた。

「今日の宿泊の予約をしている者です。まだチェックインには早いですよね。このスーツケースを置かせてもらえませんか。これからペンブローク城を見に行きたいので」

 老紳士はパソコンで私の名前を確認すると、そのままキー操作を続けながらいった。

「ちょっと、待ってください。いま準備ができている部屋を確認しています。……ああ、大丈夫です。これからお部屋にご案内します」

「えっ、チェックインにはだいぶ早いですが、いいんですか」

「まったく構いませんよ」

 別段何でもないという至極当たり前の表情で、部屋係の若い女性に老紳士はキーを渡した。

 これは嬉しかった。おおっ!という気持ちだった。

「ティー・ヘリグ」でのこともあり、もしかしたら早く部屋に入れてくれるかもと、実は密かに期待していたのである。ただ、ティー・ヘリグは個人経営のB&Bだからそういうこともできるのであって、畏(かしこ)まったホテルだとやっぱり無理だろうなあと、ほとんど諦めていた。

 それだけに、正直のところ、この融通の良さというか気前の良さ、おうようさにびっくりした。

 これがウェールズか? やばいな。どんどんはまってしまいそうである。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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