人気インフルエンサー山岡まさえさん、シンプルな暮らしの原点は義母の最期、親の介護経験から学んだ「手放し活」
60代のライフスタイルをSNSで発信し、現在総フォロワー数20万人以上を誇る山岡まさえさん。オシャレでシンプルな暮らしや発信する言葉に多くの女性ファンが魅了されている。そんな人気インフルエンサーの幼少期から親の介護まで、人生の道のりに迫った。【Vol.2/全3回】
プロフィール/山岡まさえさん(61才)
1965年大阪府生まれ。ハンドメイド技法「グルーデコ(R)」を考案し、2013年に一般社団法人日本グルーデコ協会を設立。代表理事として講師育成や技法の普及に取り組む。「グルー継ぎ(R)」の普及にも力を注ぐ。著書に『60歳、服を7割手放して「ときめく暮らし」がはじまった』(Gakken)、『60代からの着こなし365日』(自由国民社)など。著書3冊の累計発行部数は3万部を超える。Instagram Threads note
自身の両親と夫の親の介護を経験
シンプルな暮らしをSNSで発信し、多くの女性ファンに支持される人気インフルエンサーの山岡まさえさん。長年ハンドメイドの世界を通じて、女性起業家としても活動してきたが、両親からの影響も大きかったという。
――どんな幼少時代を過ごされたのでしょうか。
「父は会社員、母は専業主婦、姉ふたりという環境で育ちました。上ふたりが女の子だから、両親は男の子を望んでいたからなのか、服装も髪型も男の子みたいに育てられて、ボーイッシュな感じの子供でしたね。
もの作りや文章を書くのは小さいころから好きで、父親の影響が大きいかもしれません。もともと父は画家志望だったそうです。映画も好きで映画のキャッチコピーを考えて看板製作の手伝いをしていたんですよ。たまたまそれが関係者の目に止まり、映画会社の宣伝部門に入って本格的にその道の仕事をするようになりました。
父がクリエイティブな仕事をしていたのを子供ながらに覚えています。幼い私に父はよく「女性も手に職をつけて、どんどん外に出ていかないといけない」と言っていましたので、私がハンドメイドの教室を始めたときはすごく喜んでくれていました。
――ご両親の介護を担われていたそうですね。
実の両親と、夫の両親の介護をほぼ同時期に経験しました。先に母のがんが見つかって、数年後に父のがんが発覚し、姉たちと協力し合って、病院の付き添いや入院時のサポートをして、闘病生活は7、8年続きましたね。
晩年は父も母も一時帰宅をしていましたので、ご飯の用意、お風呂やトイレの介助など、短い期間でしたが在宅介護もひと通り経験し、最期を迎えたのは病院でした。先に母が旅立ち、その1年後に父がこの世を去りました。ふたりともまだ70代でした。
義理の父は、私の両親がまだ元気だった頃に、がんで亡くなりました。その後、義母にも病が発覚し、闘病生活が続きました。子育てをしながら親の看病や介護をする日々でしたので、今振り返っても、なかなか大変な時期だったと思います。
見事だった夫の母の終活
――4人の親を介護するとは、なかなか大変ですよね。
今でこそ「介護はプロに頼って」と言われますが、当時は「親の介護は子供が担う」のが当たり前の風潮でした。
病院側からも『できるだけ親御さんのことは娘さんたちがやってくださいね、なるべく会いに来てあげてくださいね』と言われていましたけど、仕事も子育てもあって、お見舞いに行けないことに後ろめたさを感じたこともありましたね。
今60代くらいの人たちって、「子供は老いた親の面倒を見るものだ」という考えで育ってきているから、その価値観に縛られているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
私も当時は親の介護でかなりしんどかったのは確かですが、義理の母から学んだことがあるんです。
――義母との間にどのようなことがあったのですか?
先に義父が旅立ち、義母は入退院を繰り返しながら闘病生活を続けていました。そして義母の死後、実家を訪れてみると、家の中がきれいさっぱり、余計なものが一切なかったことに驚きました。
家の中はきっちりと整理され、必要最低限のものだけが残されていました。食器棚を開けてみると、来客用として使われていた高級な食器がいくつか残されていました。いいものを少しだけ、ご自分で使われていたんですね。
お葬式も実家で行ないましたが、湯呑み茶碗もきっちり親戚の数だけが残されていました。
一方で、私の両親は「もったいないから」と捨てることに抵抗があったようで、『こんなものまでとっておくの?』と思うようなものが家中に溢れていました。
両親が旅立った後、ふたりの姉たちとあれやこれや言いながら実家の片付けをする中で、親の死と向き合い、お別れをすることができましたから、決して無駄な時間ではなかったとは思います。
義母の最期の暮らしぶりは見事でした。生前、義母に「自分の両親はものを捨てられなくて」という話をよくしていたので、もしかしたら、息子の嫁には迷惑をかけたくないという思いがあったのかもしれません。
義母の家には本当に清々しいまでにものがなかった。晩年はシンプルな暮らしを送っていて、まさに今の私が理想とする終活だと思いました。
義母の最期に学んだ、シンプルな暮らし
――具体的にどんなことから始めたのですか。
手元にあった洋服を7割手放すことから始めました。まずはクローゼットの中に何があるかを把握するために、家にあった洋服を全部出して1着1着、『いまの自分にあっているか』『着てみてストレスがないか』をチェックしました。
「いつか着るかもしれない」ではなく、「毎日着たい服」かどうか。普段着ていて気持ちがいい服だけを残すことにしました。これは義母の晩年の暮らし方が深く影響しています。
そして家のサイズもコンパクトにしました。夫婦ふたりとふたりの息子、4人で暮らしていた家は、息子たちが独立するタイミングで売却し、主人とふたりで住むのにちょうどいいサイズの家に引っ越しました。
家が小さくなれば必然的に荷物も減らさないと暮らせませんから。クローゼットの7割もの服を手放し、食器も愛着があるものだけを手元に残しました。
最初はものを手放すことに不安を感じていたんですが、いざ手放してみると不思議なぐらい生活がしやすくなった。服が少なくなると1着1着を大事にするようになりますし、コーディネートにも迷いがなくなりました。
――山岡さんが実践する「手放し活」ですね。
ものが多くても、ストレスに感じないならそれでもいいんですよ。手放すことで幸せになれないのなら、捨てる必要はありませんよね。ただ、ものが溢れているせいで、いいものが入らなくなることは避けたいですよね。
私たちの年代って、娘として、妻として、母として、働く女性として、いつも誰かのため、他人にどう見られるかを考えて服を選んできた人は多いのかなと思います。
だから60才を過ぎたら、「自分がどうありたいか」を一番に考えて、これからの人生に寄り添ってくれるものを選び、残していくのがいいと思います。還暦を過ぎて、ようやく自分のことだけを考えられる時間が訪れた、そんな風に感じています。
取材・文/廉屋友美乃
