《「結婚しなければよかった」と涙した夜》森公美子が明かす、夫の高次脳機能障害と向き合う介護20年 「同じマンションの別室」で仕事と心を救った距離感とチーム介護
明るいキャラクターと圧倒的な歌唱力で、ミュージカルやテレビ番組など幅広く活躍し続ける歌手の森公美子さん(67歳)。常に笑顔を絶やさない彼女だが、その裏で2006年に最愛の夫が交通事故に遭い、脳損傷や右半身麻痺などを負って以来、約20年にわたり介護を続けている。多忙な芸能活動の傍らで、いかにして夫を支え、自分自身の心とキャリアを守ってきたのか、話を聞いた。【全3回の第2回】
限界を感じて選んだ「別居介護」。仕事と心を両立させるための決断
――ご主人が交通事故に遭われ、介護が必要になった当時の状況を教えてください。
森さん:本当に突然のことでした。退院して自宅介護になった時点では、介護の知識なんてまったくなくてチンプンカンプン。初めは月に100万円くらい費用がかかってしまって、「これは無理だ」と泣きながら区役所に相談に行ったんです。そうしたら窓口の方が丁寧に教えてくださって、そこからようやく、介護保険を使ったヘルパーさんの導入など、生活の基盤を作り始めることができました。
彼は飲み込む力が落ちていたので、最初のころは「刻み食」や「とろみ食」にする必要がありました。介護をしながら3食用意するのは大変です。カロリー計算をして栄養のある野菜のスープを作るときにも、市販のスープストックやキューブを使ったり、生クリームを少し入れて味を調えたりと、いろいろと工夫をしました。特に悩まされたのはアレルギーです。今までになかったアレルギーが出て、血管浮腫になって緊急入院したこともありました。
排泄や着替えも一筋縄ではいきませんでした。おむつの支給もあったんですが、彼はまだ50代だったので「自分のパンツをはきたい」と譲らなくて。それで私が洗濯に追われることになり、けんかになったこともありました。
――お仕事柄、地方公演や海外に行かれることも多いですよね。現在は施設に入居しているそうですが、自宅で介護をしているとき、家を留守にする際はどうしていたのでしょうか?
森さん:最初は同じ部屋で一緒に暮らしていたのですが、私自身、自宅で集中して覚えなければいけない台詞や歌がありますし、それができないストレスがどんどん溜まっていくので、これは無理だと感じました。ちょうど同じマンションの同じ階に部屋が空いたので、彼と介護士さんにはそちらの部屋で生活してもらうことにしました。一緒に食事をしても、その後はまた別の部屋で寝る、というスタイルで落ち着きました。
私の調子がいいとき、疲れていないときには優しくできるんです。でも、仕事が立て込んでいたりして、彼の要求に応えられないときはお互いにイライラしてしまう。だから、私が無理をしない、近寄りすぎない距離感を保つことが、長く介護を続けるために必要だと考えました。地方公演などで留守にするときは、介護士さんを信頼してお任せしています。
ネガティブだった「胃ろう」の決断。患者同士のつながりが背中を押した
――ご主人はその後、がんの手術も経験されたと伺いました。
森さん:2023年ごろに肝臓がんが見つかり、手術を受けました。早期発見だったのですが、手術中に先生から「触ってみてください」と言われ、手袋越しに触れた彼の肝臓は、想像以上に硬くて大きかったんです。驚きのあまり、思わず「死んでしまうんですか?」と聞いてしまったほどでした。
幸い現在は寛解していますが、お腹を切ったことで腹筋がすっかり弱ってしまいました。食べ物を飲み込んで胃に送る動作って、意外と腹筋を使うんですよね。それがうまくできないと誤嚥性肺炎のリスクが高まるとのことで、病院から「もう食事は出せません」と宣告されてしまったんです。
噛む力も飲み込む力もなくなってしまって、ガリガリに痩せてしまったので、これは限界だということで胃ろうを提案されました。最初はすごくショックでした。胃ろうって最終手段だと思っていたし、口から食べておいしさがわからないのは、本人にとってもかわいそうだと、すごく悲観的に考えていたんです。
――そこから、どのように胃ろうを受け入れたのでしょうか。
森さん:先生が「胃ろうはネガティブなものじゃないですよ。むしろ生きるための手段です」とおっしゃって、実際に胃ろうをしている患者さんのところに連れて行ってくれたんです。その方に「胃ろうをしてどうですか?」と聞いたら、「ぜんぜん大丈夫です。口がにおうのは嫌だから歯磨きは毎日するけど、口から食べないから歯も汚れないんですよ」って、あっけらかんと教えてくださいました。それで彼も納得してくれたんです。今は胃ろうと併用しつつ、口から食事を取っています。
先生から医学的な説明をされるのも大切ですが、実際にされている方からお話を聞くという、患者同士のコミュニケーションが必要なんだなと痛感しました。胃ろうにしたことで、もし彼に食欲がなくても確実に栄養を入れられますし、今は本当にやってよかったと思っています。
「結婚しなければ…」と追い詰められた日々。チームで支えるこれからの介護
――20年ほどの介護生活を振り返って、心が折れそうになった時期はありましたか?
森さん:もちろん、ありました。ひどく自分を追い詰めていた時期で、「どうしてこうなったのか」と過去をさかのぼっては、「結婚しなければ、きっと彼はこうならなかった」と思い詰めたほどです。彼の親族の方たちが来たときにも、「私たちには生活がありますから」と言われ、見捨てられたと深く落ち込みました。ありがたいことに、兄夫婦が「うちで引き取りましょうか」と言ってくれたのですが、お断りしてここまでやってきました。
また、彼の高次脳機能障害によるトラブルもつらかったですね。脳の損傷により感情のコントロールが難しくなり、急に大声を出したり暴言を吐いたりしてしまうんです。彼は身長が180cm近くあり、力も強いので、止めに入った介護士さんが怪我をしてしまうこともあります。それが原因で、長年ケアしてくれていた介護士さんが辞めてしまうことも少なくありません。そのたびに、新しい介護士さんを探して、またイチから彼の状態や接し方を説明しなければならない。それが繰り返されるときは心が折れそうになりました。
――現在も施設にお世話になりながら介護を続けられていますが、今の課題はありますか?
森さん:彼自身がストレスを抱えていて、それが原因で介護士さんに当たってしまうことがあるんです。それで「他の施設に移ったほうがいいんじゃないですか」と施設側から言われてしまうこともありました。いろいろな施設を転々として、温泉があるから修善寺の施設に行ってみたり、作業療法があるからと別の施設に行ったり。今は都内の施設に落ち着いていますが、それでも大変なことは日々起こります。そうしたときには私ひとりで抱え込まず、マネージャーも含めてみんなに相談して、チームで対応するようにしています。
介護はまじめに向き合いすぎると、自分が壊れてしまいます。コロナ禍で面会ができなかったときも、インフルエンザで病院が受け入れてくれず、みんなで防護服を着てご飯を食べさせたときも、とにかく「できる範囲でやる」しかないんです。
自分を犠牲にしないこと、そして、プロの力や周りの人を信じて頼ること。離れるべきときは離れて、自分の心と体を守るからこそ、相手にも優しくできるんです。それが、長く介護を続けていくために必要なんじゃないかなと思っています。
◆歌手・森公美子
もり・くみこ/1959年7月22日、宮城県生まれ。昭和音楽短期大学卒業後、イタリアへオペラ留学。帰国後、圧倒的な歌唱力と明るいキャラクターで、ミュージカル『レ・ミゼラブル』『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』など数多くの舞台に出演。テレビのバラエティ番組や音楽番組でも広く活躍している。2006年に交通事故で重度障害を負った夫の介護を現在も続けており、自身の経験をもとにした講演活動なども行っている。2026年12月9日~29日に東京・日生劇場で上演のミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』に出演予定(全国ツアーは2027年1月より 愛知、大阪ほか順次上演)。
撮影/TOYO 取材・文/小山内麗香
