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新聞投稿が趣味だった母。コラムニストの息子が掲載記事の切り抜きファイルを見て決めたこと|「147日目に死んだ母――がん告知から自宅で看取るまでの幸せな日々」Vol.2

 コラムニストの石原壮一郎さんが、母・昭子さん(享年83)がステージ4の大腸がんを告知されたときから、最期の瞬間まで、母の希望に添うために家族がワンチームとなり見守り続けた日々を綴るエッセイ。誰もが避けて通れない「死」だが、昭子さんの覚悟と準備からは、これまでの「生き方」が見えてくるようだ。母の傍らで石原さんが決意したことを明かしてくれた。

→Vol.1:「我が母ながらカッコよかった」大人力を発信するコラムニストが綴る母の介護と看取りまでの物語を読む

執筆/石原壮一郎

1963(昭和38)年三重県生まれ。コラムニスト。1993年『大人養成講座』(扶桑社)がデビュー作にしてベストセラーに。以来、「大人」をキーワードに理想のコミュニケーションのあり方を追求し続けている。『大人力検定』(文藝春秋)、『父親力検定』(岩崎書店)、『夫婦力検定』(実業之日本社)、『失礼な一言』(新潮新書)、『昭和人間のトリセツ』(日経プレミアシリーズ)、『大人のための“名言ケア”』(創元社)など著書は100冊以上。故郷を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。

 * * *

退院の日、「あんたらやおかげや」という母

 親はいつまでも元気でいてくれると思っていたが、そうじゃなかった。実家の光景を頭に浮かべると、今も台所のいつもの席には母が座っている。いなくなった直後より、しばらく東京に戻って、また実家に行ったときのほうがキツかった。台所のいつもの席に、母はもう座っていない。「おかえり」の声もない。

 病気なんてしたことがなかった母・石原昭子が、激しい腹痛を訴えて弟夫婦に病院に連れて行ってもらったのは、2月6日のこと。大腸がんのステージ4で、すでにほかの臓器への転移も見られた。それから147日目に、母は自宅で静かに旅立った。83歳だった。

「手術はしません。抗がん剤も放射線治療もけっこうです。家に帰って、お世話になった人に直接お礼が言いたい」

 入院した翌週、主治医から病状についての説明を聞いたときに、母はキッパリこう言った。とはいえ、すぐに退院できる状態ではない。入院直後、がんで詰まった大腸にステント(金属性の筒状の網)を入れた。幸い、とりあえずの“通り道”はできたようだが、しばらくは食事管理をしながら体力を回復させる必要がある。

 退院は2月24日。弟と迎えに行くと、着替えなどが入った紙袋を横に置いてロビーで待っていた。「おおきんな」と迎える母は、思ったより元気そうだった。しかし、お腹の中にはタチの悪い病気が巣食っている。お互い、そのことには触れず、笑顔で「退院できてよかったな」「あんたらのおかげや」といった会話を交わした。「おかげ」でも何でもないのに。

母がしていた「人生の仕舞い方」シミュレーション

 入院した数日後、とりあえず激しい痛みが軽減された母は、弟に「書くものを持ってきて」と頼んだ。次に弟が行ったときに渡されたのは、通帳や印鑑のある場所を書いたメモである。近くに住む弟に「成年後見人」になっておいて欲しいという相談もあった。

 友人から聞いたのか新聞で読んだのか、母は「自分が弱ったときには、成年後見人の制度を利用したほうがいい」と思っていたようだ。ひとり暮らしをしながら、折に触れて「周囲に迷惑をかけない人生の仕舞い方」をシミュレートしていたのかもしれない。

 ただ、認知症ではないので、成年後見人の出番は差し当たって預金の引き出しぐらいである。母が長くお世話になっている金融機関に弟が相談に行ったところ、代理人の手続きをしておけば引き出しは可能とのことで、「成年後見人」の申請はしなかった。

 退院までに、自宅で闘病生活を送るための環境も整えておく必要がある。何の知識もない頼りない長男が「どこから手を付ければ……」と悩む間もなく、看護師である弟の妻が、今の病院とも相談しながら段取りよく手続きを進めてくれた。その後の介護でも、長年の経験と豊富な知識に基づいた彼女のアドバイスは、力強く母を支えてくれた。

 訪問診療をしてくれるクリニックや介護の司令塔であるケアマネジャー、お世話をしてくれる訪問介護ステーションが決まり、要介護度を決める「認定調査」も受けた。のちに母親が「認定する人がロビーにいらして、うっかり普通に歩いていったので、弱ったフリができなかった」と笑って話してくれた。

 体の中にステージ4のがんを抱えていても、その時点では自力で歩けてスムーズに話せる状態である。ひと月後ぐらいに届いた認定の結果は「要介護1」だった。予想していたより軽い認定だったようで、母は少し不服そうだった。ただ、もし予想以上に重い認定だったら、満足だったのかショックだったのか……。病人心は複雑である。

振り返ると「あれが最後だった」と思うことばかり

 退院した日はいいお天気で、3人で乗っていた弟の車から「伊勢富士」と呼ばれている堀坂山がクッキリと見えた。母をずっと見守ってくれて、母も毎日見てきた山である。

 家では弟の妻と私の妻が待っていた。たまたまだが、その日は弟の59回目の誕生日である。午後にふた組の夫婦が一台の車に乗って、人気のケーキ屋さんに行った。4人で行くこともないのだが、母を少しひとりにさせてあげようという思いもあった。ずっと話しているのも疲れそうだし、電話をかけたいところもあるかもしれない。

 昭和の田舎の家には、子どもの誕生日を祝う習慣は(少なくとも石原家には)なかった。弟に「誕生日おめでとう」と言うのは初めてである。食事に制限がある母だったが小さなケーキを一個だけ食べて、息子夫婦と一緒に「おめでとう」と祝うことができた。この顔ぶれで弟の誕生日を祝うのは、最初で最後である。

 などと書いているが、常に「これが最後」と考えていたわけではない。あとから思い出して「あれが最後だったなあ」と思うことばかりだ。もっと噛みしめておけばよかったかもしれないが、いちいち感傷的になってその時間を楽しく過ごせなかったら本末転倒である。病気がわかったときから、一緒にいるあいだは無意識のうちに噛みしめっぱなしだったかもしれない。噛みしめすぎたら味が薄まりそうなので、それで十分である。

「よし、母の本を作ろう」

 家で過ごす決意を聞いたときから「残された時間で、母に何かしてあげられることはないか」と考えていた。「自分にできること」と「母が喜んでくれそうなこと」を合体させて出した結論は、「よし、母の本を作ろう」だった。

 母の趣味は、新聞や雑誌に投稿することである。身近な出来事を綴った文章や川柳、短い詩などを長年送り続けてきた。本棚には、今まで掲載された新聞などの切り抜きが入ったファイルが並んでいる。孫たちが来ると、掲載の記念にもらった図書カードを何枚もまとめてプレゼントするのが恒例だった。

 長いあいだ本づくりに携わってきた自分としては、いちおう得意分野ではある。大事に切り抜きを取ってあることから考えても、母にとって投稿は趣味以上の意味を持っていたに違いない。母が実家から持ってきたアルバムにある古い写真や、私や弟が撮った写真と組み合わせれば、それなりに見栄えのする「投稿集」になるはずだ。

 そう決めたのはいいが、投稿集が完成するまでの道のりは、想像以上に険しかった。時間もかかった。母の状態はどんどん悪くなっていく。生きているうちに完成しなかったら、作った意味がない。どうにか「最悪の事態」を避けられたときには、人生最大の安堵感を覚えた。喜ぶ母の顔を見て「この仕事をやってきてよかった」と思うこともできた。母は最後に、息子に大きな贈り物を残してくれた。

つづく

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