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親に大事な話をするのは「おめかしして外出したときがいい」注目の人を動かす手法「ナッジ」の介護シーンでの活用方法を専門家“ちくりん先生”が解説

 ノーベル賞受賞の経済学者が提唱した行動促進手法「ナッジ」は、介護生活でも活用できると注目を集めている。介護する子と介護を受ける親との関係性にどのようにいかせるのか、「ナッジ」を研究する行動経済学者・竹林正樹さんに話を伺った。

教えてくれた人

行動経済学者・健康科学博士 青森大学 客員教授 竹林正樹さん

行動経済学を用いて「頭がわかっていても健康行動ができない人を動かすには?」をテーマに研究を行う。ナッジを用いて高齢者に健診を促す手法をプレゼンしたTEDxトークはYouTubeで80万回以上再生されている。津軽弁で解説するヒゲの教授「ちくりん先生」としても人気で、年間200回ほどの講演活動も行う。著書に「心のゾウを動かす方法」(扶桑社)、「介護のことになると親子はなぜすれ違うのか」(GAKKEN)がある。公式サイトhttps://nudge-takebayashi.jimdofree.com/

行動促進手法「ナッジ」とは?

「ナッジ」は2008年、アメリカの経済学者リチャード・セイラー教授と法学者のキャス・サンスティーン教授によって提唱された、人を動かす手法。2017年にセイラー教授がノーベル経済学賞を受賞したことでより注目されるようになった。

「ナッジ(nudge)は、直訳すると『軽くつつく』『そっと後押しする』といった意味の英語。頭でわかっていてもうまく行動できない人に対して、心理特性に沿って望ましい行動へと促す手法のことです」

 こう解説してくれたのは、行動経済学研究者で青森大学客員教授の竹林正樹さん。ナッジ研究の第一人者としても知られる。

「人の脳は、自分の都合にいいように解釈をゆがめてしまう特性(認知バイアス)があります。

 特に高齢になって認知機能が衰えてくると認知バイアスの制御が難しくなってくるため、直感的な言動が増えてきます。認知バイアスに振り回された言動をする人には、認知バイアスの特性に沿ったアプローチ方法をしたほうがよいですよね。ここで、ナッジの出番です」(竹林さん、以下同)

介護シーンでナッジを活用

「私はこれまで祖母と祖父、父の介護を経験しました。最初に祖母の介護を行ったのは25年ほど前で、その時は行動経済学も認知バイアスもナッジについても知りませんでした。

 祖母は、重度の糖尿病でほとんど目が見えなくなっているのに病院に行こうとしませんでした。私は、祖母が心を改めるには厳しくするのが一番だと考え、夜遅い時間に祖母宅に行って『明日にでも病院に行かないとだめだ!』と、厳しい口調で言いました。

 祖母が病院に行かないと言ったら、扉をバタン!と閉めて出て行きました。私は熱い想いを持って、祖母を説得していたのですが、祖母は心を閉ざし、通院を頑なに拒否するようになりました。そして、ようやく通院を開始した時には、もはや手遅れでした。

 その後、私はアメリカの大学院で行動経済学に出会い、認知バイアスのことを知りました。

 たとえば高齢者は、『現状維持バイアス(変化を嫌う心理特性)』が強くなるため、いきなり新しいことを提案されると直感的に抵抗したくなり、また『現在バイアス(目の前の面倒を後回しにする心理特性)』も強く、将来の健康のためと言われても響きにくいことがわかっています。

 これらの認知バイアスの傾向を踏まえると、祖母が私の提案を拒絶したのは、『病院が嫌』というより『現状維持バイアスや現在バイアスを刺激するような言われ方をしたから』のようです。私に必要だったのは『熱い想い』ではなく、『エビデンスに基づく方法』、つまりナッジだったのです」

 竹林さんは、「もっと早くナッジを知っていれば、祖母を救えたのではないか」と、やるせない感情がこみ上げてきたという。

「この経験から、行動経済学を研究してナッジを普及させていこう、と誓いました。同じような悲劇はもう誰にも経験してほしくないのです」

健康行動を先送りにしてしまう理由

「多くの人は、健康の大切さをわかっているのにもかかわらず、なかなか健康行動をしません。がん検診を例に考えてみましょう。平成16~17年は乳がん検診の有用性の認知度は55%で、乳がん検診受診率は20%でした。その後、啓発を行った結果、平成19年には認知度は70%に上がりました。

 しかし、乳がん検診受診率は20%のままでした。政府が未受診理由を調べたところ、1位は『たまたま受けていない』でした。

『検診を受ければ命が助かる』と頭でわかっていても、現在バイアスが強いと『いつか受けよう(でも今は面倒なので、先送りしよう)』となってしまいます。

 そして、がんになってしまったときには、『検診を受けておけばよかった』と後悔することがわかっている以上、早い段階でナッジを用いて行動促進することは、本人のためにもなります。では、どうすればよいのでしょうか?

 私が祖母に受診について話したのは、夜遅い時間帯でした。現状維持バイアスは、疲れがたまるほど強まり、さらに現在バイアスは金銭的に困窮していると強くなる傾向が見られます。

 私も祖母の年金受給日のランチ後に話をすれば受け入れられたのかもしれません。このように認知バイアスに沿ったタイミングで働きかける方法を『タイムリーナッジ』と呼びます。

 科学の進歩によって、さまざまな認知バイアスのパターンとそれに応じたナッジがわかってきました。使わないのはもったいないと思いませんか?」

介護シーンで役立つナッジの事例

 ナッジは介護を含めたコミュニケーションのすれ違いを解決する可能性を秘めているという。

「高齢になると認知バイアスが強くなり、今まで通りのコミュニケーション方法ではかみ合わなくなる場面が増えてきます。

 そこでナッジを用いることで、反発を抑えて行動へと促せる可能性が高まります。仮にうまくいかなかったとしても、『認知バイアスのせい』と割り切ることができます。私は行動経済学を学んでから介護のストレスも人間関係のトラブルも大きく減りました」

 記者の母(90代)の場合、要介護度が進んだら施設入居も検討したいのだが、自分の家が大好きな母からは、施設の話題を拒否されてしまう。この場合、ナッジをどう活用すればいいのだろうか?

「現状維持バイアスの強い高齢者にとって、『在宅か施設』の二択を示されると、現状維持の在宅を選びたくなるのは当然かもしれませんね。

 現在バイアスが強い高齢者は、将来に向けた準備だなんて面倒なことはしたくなく、『いざその場になったら考えればよい』となりやすいのです。

 認知バイアスが特定できると、それに応じたナッジが設計できます。現状維持バイアスが強い人に対し、いつもの人がいつもの場所でいつもの感じで提案をすると、いつもと同じ反応が返ってくるものです。これに対して、私がおすすめするのは『フランス料理店でランチをしながら話をする』という方法です」

 自宅で普段着でいる時に提案を受けると、普段通りの回答になりやすいものです。

 一方、フランス料理店にはおめかしをして出かけると、きちんとしたことを言いたくなるものです。服装を変えることで、行動を変えることを『ドレスナッジ』と呼びます。

 また、お子さんに言われたことは反射的に『嫌だ』と言い返しても、お孫さんから『将来、高齢者医療をやりたいから、施設見学に一緒に行こうよ』と言われると、素直に受け入れられるものです。人を変えることで、判断を変えることを『メッセンジャーナッジ』と呼びます。

 このように認知バイアスに沿った方法を試してみるのはいかがでしょうか」

***

 記者も初めて知った「ナッジ」。最初は難しいのではと思ったが、とても身近なものだと知り、介護生活での親子関係を良好に保つためにいかせると感じた。

取材・文/本上夕貴 写真/GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

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