作家・久田恵さん、70才で入ったサ高住から都内でひとり暮らしに「人生の最期は老人ホームに入る予定」
整った環境や支援が人気の「サービス付き高齢者向け住宅」(サ高住)を「終の住処」として考える人が多いのではないのだろうか。けれども、ライフステージや状況によって「住み替える」という選択肢があることを知って欲しい。作家の久田恵さん(76才)は、6年間をお気に入りの施設で過ごしたのち、今の自分に合う施設を検討中なのだという。思い切った人生の選択をした久田さんに、これまでの経験と今後の考えを語ってもらった。
教えてくれた人
久田恵さん/作家
1947年北海道出身。女性誌ライターなどを経て、1990年、『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。人形劇などを開催する「花げし舎」主宰。
これからは施設を自分で選ぶ時代が来る
70才で突如、栃木県のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に転居して6年近く過ごしたのち、東京でひとり暮らしを再開し、充分に満喫しながら次に入る老人ホームを吟味する。
「私は“思い立ったらすぐ実行”の人なのよ」
そう話す作家の久田恵さん(76才)は、フットワーク軽く住処を変えてきた。
久田さんがたまたま取材で訪れた栃木県のサ高住「ゆいま~る那須」を大いに気に入って入居を即断したのは2018年のこと。
「何より環境に惹かれたの。雑木林に囲まれ、遠くに山が見える。敷地内の庭には入居者が好き勝手に花や野菜を植え、ゲストルームの窓を開けると風がサーッと抜けて心地よく、“よし、ここで自由に暮らそう!”と決めて、2か月後に引っ越した。あまりに急で周りは呆れていたわね(笑い)。
私は20才で親元を離れ、結婚を経てシングルマザーになって、30代後半からは両親の介護を立てつづけに担いました。人生のうち、長い期間を母として、娘として家族を支える存在として生きたからこそ、那須ではその役割から離れ、ひとりの人間として同世代の入居者と気ままに暮らせたのは、本当に楽しかった」(久田さん・以下同)
運転免許返納がきっかけに
だが久田さんは今年2月、東京に戻ることを決めた。きっかけは昨秋の運転免許返納だった。
「もともとお世辞にも運転がうまいとはいえなかったんだけれど、ある日遅くまで外出した帰り道、真っ暗な道を運転しているとき、ふと“このままだといつか事故を起こす”と思ってすぐに車を売ってしまったの。でも、そうしたら途端に那須での生活が不便になった。
そんなとき、親が残してくれた東京の実家に帰ったら、離れていた6年で街が整備されてすっかり便利になっていて、映画館もあるし温泉もある。もう歩いているだけでワクワクして、誰にも相談せず、すぐに施設を引き払って東京に帰ってきました」
サ高住を退去しても老後資金が枯渇しなかった
暮らしていたサ高住には家賃一括前払い金として約1100万~約2500万円を払い、月の費用は十数万円だった。貯金をつぎ込んだ久田さんは「いざとなったら実家を売ろう」と腹を括ったが、退去とともに一括前払い金が返金されて、老後資金が枯渇することはなかった。
一度心を決めたとしても、人生が続く限り気持ちも状況も変わっていく。その変化に合わせて「終の住処」であっても“住み替え”をしてもいいのだ。
「ひとり暮らしに戻ったものの、実家に住み続ける気はなく、人生の最期は都内の老人ホームで過ごすと決めています。脳梗塞で倒れた母を10年近く自宅介護していたとき、取材で出会ったそのホームの施設長から『私が引き受けるから、家族みんなで引っ越してきて』と言われて、一家で施設の近くに引っ越して母を看取りました。その後に亡くなった父も最期はその施設のお世話になったので、“私もそこで”という気でいます。
私は両親を懸命に介護したけれど、自分の子供に同じことは望めません。最期をどこで過ごすか、人任せにせず自分で決める時代が到来したともいえるかもしれません」
文/池田道大 取材/小山内麗香、平田淳、伏見友里
※女性セブン2024年8月22日・29日号
https://josei7.com/
●“サ高住”で晩年を楽しく豊かに過ごすために必要な5つのこと|作家・久田恵さん