元ヤングケアラーの“ケア”はいつまで続く?「大人になった今もひとり暮らしをしない理由」
高次脳機能障害の母のもとに生まれたたろべえさんこと高橋唯(高は、はしごだか)さんは、元ヤングケアラーとしての経験をメディアや講演会などで発信している。大学時代に親元を離れて一度ひとり暮らしを経験したが、現在は再び家族と一緒に暮らし、働きながら母のケアを続けている。そんなたろべえさんだが、家族で食卓を囲むとき「幼い自分」が現れることがあるという。一体どういうことなのか? ヤングケアラーが抱える心の葛藤に耳を傾けてみよう。
ヤングケアラーに問われる「ひとり暮らし」問題
「どうして家を離れてひとり暮らししないの?」
ヤングケアラー時代を経て、社会人になった私は、今も実家に暮らして母のケアを続けている。父は事故で左腕を失って障害はあるが、母のケアはできるし、近くに住む祖母を頼ることができないわけではない。
それなのに、なぜ私が実家に暮らして母のケアを続けているのか、疑問に思われることも少なくない。
「うーん、経済的に厳しいからですかね。ひとり暮らしにかかる費用を考えると、このまま実家にいた方がいいと思って」
まあ、贅沢さえしなければやってやれないことはないのだと思うが、他に当たり障りのない回答が思いつかない。
ヤングケアラーがケアから離れられないのはなぜか?
以前、ヤングケアラーの研究を手がける澁谷智子先生と対談させていただいた際、「ヤングケアラーがケアから離れること」について話題が上った。
→「家族の人生と自分の人生 どうやって両立していく?」元ヤングケアラーが専門家に訊いた
ヤングケアラーが自分の人生を生きていくうえで、家族のケアとの折り合いをつけていくことの大事さはよくわかっているはずなのに、私はなぜ実家で暮らし続けているのだろう?
今の暮らしに満足しているからだろうか。
いや、ちっとも満足していない。田舎だし、家の中は掃除してもしても汚いし、お母さんのケアはやらなきゃならないし、お父さんは口うるさいし。
全然満足していないからこそ、この家を離れられない。
その理由は、幼い頃の私にあるのかもしれない。
今も、私の足元にしがみついて、こちらをじっと見ている。
――幼い頃の、私。
幼い頃の私が、25才になった私を今もこの家に縛りつけている。
家族の食卓に出現する「幼い私」
我が家は基本的に朝食、昼食は別々だが、夕食は一緒に食べることもある。
食卓の自分の席に座ると、父が吸うタバコの煙はなぜか私の方に流れてくる。母は左利きなのに私の右側に座っているので、肘が当たって邪魔だ。
なんとなく、息苦しい。
それでも、夕飯の時間になると、私は自分の席に座って、食べ終わるまでそこを離れない。
でもそれは、“今の私”の意思じゃない。
“幼い頃の私”の意思だ。
不思議な話だが、夕食の時間になると、私は“幼い頃の私“の姿が見えるようになる。
幼い頃の私は、どこからかクレーンゲームのクレーンのようなもので私の頭を掴み、コントローラーで動かして私を食卓の自分の席に座らせ、そこから離れようとするものなら、再びクレーンで掴まえて、元の場所へ戻そうとしてくる。
幼い頃の私は、平和な食卓を望んでいる。
温かくおいしい食事を囲んで、みんなで笑いながら過ごす時間。「夕食の時間は幸せな時間だ」と思いたがっている。
でも、幼い頃の私が実際に過ごしてきた時間は違った。
母が作った、食べられるのかどうか怪しい料理が並び、「こぼすんだからもっとちゃんと椅子を前に出して食べてよ!」「手元に醤油があったら倒しちゃうでしょ!」と、私が母の行動を注意し続ける、それが夕食の時間。夕食を私が作るようになった今でも、団らんとはほど遠い。
どうやら、幼い頃の私は、自分の理想の食事の時間が達成されるまで、私をクレーンで捕まえ続けるつもりのようだ。
幸せな食卓を夢見ているのは今の私?
幼い私に、「そんなことを続けても、我が家では穏やかな食事の時間は実現できないよ。来るはずもない日が来るのを待つのはもうやめようよ」と言ってみたい。
でも、幼い頃の私に、いつまでも幸せな食卓を夢見させているのは、今の私かもしれない。
幼い頃、つらいことがあって泣いているときは、大人になった幸せな自分を想像して、その自分に「大丈夫。頑張ればちゃんと幸せになれるから、泣かないで」と言ってもらい、自分で自分を慰めていた。
もし夕食を家族と囲むのをやめてしまったら。もしこの家から離れてしまったら。幼い頃の私に「どうして? 私を幸せにするって言ったじゃない、嘘つき!」と言われてしまう気がする。
幼い頃の私の願う幸せと、今の私の願う幸せはきっと違うことはわかっているけれど、それをどうやって幼い頃の私に説明すればいいのかわからない。
幼い私と今の自分の現実の狭間で
今の私は母のケアと、幼い頃の私の子守りを両方している。周りの25才は結婚したり、仕事を頑張っていたりと自分の人生を自分の足で歩んでいるように見えるのに、私は片腕でふらつく母を支えて、もう片腕で幼い頃の私を抱っこして、それだけで体力の限界で、足を前に進めることなんて到底できない。
幼い頃の私はどうしたら私をクレーンで動かすのをやめるのか。きっとこの子は自分の願いが叶わない限り、私の生活からいなくならない。だとしたら、いつまで子守りを続けていくのか。
もし今の自分が幸せだと思えたら、いなくなってくれるのか。それはそれで少し寂しいような気もしてしまう。
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「なぜ家族から離れないの?」「ひとり暮らししないの?」という問いは、元ヤングケアラーにとって難しい課題だ。
たとえ家族から離れたとしても悩みは続くかもしれない。幼い私と今の私をどう折り合いをつけていくのか、これから探っていきたいと思う。
ヤングケアラーとは
日本ケアラー連盟による定義によると、ヤングケアラーとは、家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18才未満の子どものことを指す。
令和2年度の厚生労働省の調査※によると、中学校の46.6%、全日制高校の49.8%にヤングケアラーが「いる」ことが判明し、中学2年生の17人に1人がヤングケアラーだということが明らかになった。
また、厚労省による最新の調査によると、「家族の世話をしている」と回答した小学生は6.5%いるということもわかってきた。
※厚生労働省「ヤングケアラーの現状」https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
相談窓口
・厚生労働省「子どもが子どもでいられる街に。」
相談窓口の一覧を見られる。
児童相談所の無料電話:0120-189-783
https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
■文部科学省「24時間子供SOSダイヤル」
0120-0-78310
https://www.mext.go.jp/ijime/detail/dial.htm
■法務省「子供の人権110番」
0120-007-110
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken112.html
文/たろべえ(高橋唯)さん
「たろべえ」の名でブログやSNSで情報を発信中。本名は、高橋唯。1997年、障害のある両親のもとに生まれ、家族3人暮らし。母は高校通学中に交通事故に遭い、片麻痺・高次脳機能障害が残ったため、幼少期から母のケアを続けてきた。父は仕事中の事故で左腕を失い、現在は車いすを使わずに立ってプレーをする日本障がい者立位テニス協会https://www.jastatennis.com/に所属し、テニスを楽しんでいる。現在は社会人として働きながら、ケアラーとしての体験をもとに情報を発信し続けている。『ヤングケアラーってなんだろう』(ちくまプリマー新書)、『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護』(生活書院)などで執筆。第57回「NHK障害福祉賞」でヤングケアラーについて綴った作文が優秀賞を受賞。
https://twitter.com/withkouzimam https://ameblo.jp/tarobee1515/