兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第175回 「ショートステイ」やってみました!その2】
ライターのツガエマナミコさんは、5才違いの兄と同居中。兄は若年性認知症を患っています。日々のお世話はマナミコさんが担っているため、マナミコさんが兄を残して長時間お出かけすることがなかなか叶わないこの頃だったのですが、先日ついに、兄のショートステイが実現しました。兄不在の27時間を満喫したマナミコさんでしたが、この日を迎えるにあたりさまざまな苦労があったのです。
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兄へのショートステイ告知は難航しました
先日、兄がショートステイデビューいたしました。
わたくしが兄から解放されるためのショートステイ。そのうしろめたさを振り切って27時間の自由時間を楽しみました。
しかしながら世の中は苦あってこその楽。事前の準備が思いのほか大変でした。
なかなか面倒だと思いましたのは、持ち物をすべて明記することでございます。
事前に届いた所持品表に当日身に着けているものも含めて、上着から紙パンツ、靴、ハブラシに至るまで所持するものの個数を書かなければならないのです。もちろんすべてに名前を付けることは大前提でございます。薬に関しましても、分包し、日付と名前を書き、病院の処方箋か薬局でいただく薬の説明書などを添付するよう指示されておりました。
さらに身体状況の書き込み書類もございました。病名、身体機能の状況や、日頃の起床時間、就寝時間、注意事項などを書くのもなかなか面倒でございます。そりゃ預かる側とすれば、それもこれも必要なことでありましょう。そうとわかっていても1泊2日のためにこんなに事前準備させられるのか、と身に染みて学習いたしました。
さらに問題だったのは、兄へのショートステイの告知でございました。
前日ではすべて忘れてしまうので当日。しかも食事がのどを通らなくなると困るので朝食後、お薬を飲ませたあとがいいと思い「お迎えが来る1時間前」に狙いを定めました。
「今日はお兄ちゃんに協力してほしいことがあるんだけど」と切り出し、「今日はお仕事で家に帰って来られないの(嘘)。だから1泊だけ別のところへ泊まってほしいと思ってね、宿を予約したの。もうすぐお迎えがくるんだ。宿まで一緒に行くから、今日はそこに泊まってくれない?」とお願いしたのです。
すると「え~?なんで~?ここにいるよぉ」と言い、がんとして動かない気配を漂わせ始めました。
「でもさ、ご飯ないよ? 今夜も明日の朝も昼も…」と言っても「いいよ。ここにいる」と言い続けるのです。
「ここにいるって言うけど、このまえここから出て、帰って来れなくて、よそのおうちのお庭で寝てたの。そうなのよ、お巡りさんに通報されてご迷惑をかけたばかりなの」
「大丈夫じゃないよ。お兄ちゃんはさ、お腹が空いて外にお買い物に行っても帰ってこられないのよ?」
「住所が言える?」「電話番号は?」「1泊だけだからお願い」「明日の3時にはここに帰って来れるから」
「ねぇ、わたしを助けると思ってお願い」という懇願作戦も通じません。
「じゃあ、わかった。泊まらなくてもいいよ。でもお迎えは来ちゃうから、いったん行ってみるだけ行きましょう。それで『やっぱりやめます』と言って帰ってくればいいから……」と最終妥協点を切り出しました。
うなだれて「ここにいる。ここから出なければいいんでしょ」と駄々をこねる兄に説得は無理だと悟ったわたくしですが、現地へ行ってしまえば十中八九『帰る』とは言わないだろうと予想したのです。とにかくお迎えの車に乗ってもらわねばと思い、しばらく黙ることにいたしました。今の話を忘れていただくためです。
お迎えが約束の時間を30分ほど過ぎたのも功を奏して、「さ、出かけようか」と言うと、「どこへ?」と言うので、「ドライブだよ」と言うと、車に乗りたかったのか、すんなりとボストンバッグを持って付いてきてくれました。お迎えの方にも愛想よく「いい天気ですね」と挨拶をする始末。少し前まで「行かないよ。ここにいるよ」とどんよりしていた人とは思えませんでした。
施設に着くと体温や血圧の計測にすんなり応じ、持ち物の確認と、身体機能の確認とトイレ問題などの申し送りをいたしました。その間もなぜか上機嫌でスタッフの方々に愛想を振りまく兄。
帰りたい気配など微塵もないことに安堵し、契約書にサインをいたしました。料金6620円(4食付き)を前払いしたところで、「じゃ、お昼ご飯食べましょう」と兄だけ食堂へ。そのすきに来ていただいていたケアマネさまとわたくしはお暇いたしました。
ひと仕事終わった気分で、一人秋晴れの空の下を歩く爽快感たるや!
次回は、兄がどんな様子だったかという施設からのレポートをご報告いたします。
つづく……。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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