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『鎌倉殿の13人』38話「私は父上を…私は…」別れの時、義時の涙と父・時政が残した「ウグイス」の教え

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』38話。源実朝(柿澤勇人)を脅迫する執権・北条時政(坂東彌十郎)の所業に対して、息子の義時(小栗旬)がいよいよ処遇を決断する時。北条家を快く思わない後鳥羽上皇(尾上松也)の心情も示され、いよいよ物語のラストも見えてきた「時を継ぐ者」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

首、はねちまえ

『鎌倉殿の13人』第38回冒頭では、前回のラストから続き、執権・北条時政(坂東彌十郎)が、自分の館に連れ込んだ実朝(柿澤勇人)に対し、鎌倉殿の座を平賀朝雅(山中崇)に譲って出家すると起請文に書かせるべく脅迫を続けていた。館はすでに義時の命を受けて兵たちが取り囲み、実朝が解放されなければ攻め込む構えであった。

 事態が切迫するなか、実朝を心配した和田義盛(横田栄司)が居ても立ってもいられず、時政側についた三浦義村(山本耕史)が、義時が来しだい自分がすぐに寝返るからと言って止めるのも聞かず、部屋へ乗り込んでいく。そこで起請文を書くのをためらう実朝を見かねて、「書いちゃいなさい!」「起請文なんてあとで破いて捨てちゃえばいいんですから」と言うのがいかにも乱暴で義盛らしい。

 時政もまた、これ以上実朝を脅すことにためらいを覚えていた。そんな夫にりく(宮沢りえ)は、何としても実朝に起請文を書かせ、館の包囲網を解くよう言わせてくださいとけしかける。

 館の外にはすでに義時(小栗旬)も待機していた。義時は、義村の説得により時政を投降させたうえで討ち取るつもりだった。弟の時房(瀬戸康史)や息子の泰時(坂口健太郎)はそれを察して、何とか時政を殺すのだけはやめるよう押しとどめる。だが、これまで謀反を企てた者はすべて討ち取ってきたのに、ここで義時が時政を見逃せば、北条は肉親には甘いと御家人たちの批判を浴びかねない。そばにいた八田知家(市原隼人)は、そんな義時の気持ちを泰時に向かって代弁し、義時本人には「構うことねえ。首、はねちまえ」と煽った。

 ここへ来て時政もついに観念する。りくと改めて向き合うと、彼女には鎌倉を離れ、京にいる朝雅と娘のきく(八木莉可子)を頼るよう勧め、自分は実朝を引き渡して降参すると告げた。そして義村にりくのことを任せたのだが、当人は京には行かないと言って聞かない。そこで義村は、彼女を侍女に扮装させてひそかに館から脱出させた。

 りくはそのまま御所にいる政子(小池栄子)のもとに赴く。りくはそこで時政は死ぬつもりだと伝えると、「こたびのこと、企んだのはすべて私。四郎(時政)殿は私の言葉に従っただけ。悪いのは私です」と政子に手をついて詫びた。まさかの継母の言葉を受け、政子は何を思ったのか、外へ出ていく。政子が向かったのは、北条の館を取り囲む義時のもとだった。もちろん、時政を助けるよう懇願するためだ。しかし、切々と説得する姉に、義時は冷徹な態度を崩さない。そのあいだに実朝は解放され、館を出てきた。実朝を引き渡すにあたり、時政は義時へ、今後はおまえが北条と鎌倉を引っ張っていくようにとのメッセージを義盛に託していた。だが、義盛はそれを忘れてしまい、実朝が代わって義時に伝えた。

なぜウグイスが?

 実朝が無事に戻ったところで、政子が改めて時政の助命を乞い、それでも義時が聞き入れないので、ついには御家人たちを前に土下座して「方々、どうか父をお許しください」と頼み込んだ。尼御台にこうまでされては、武装した御家人たちも恐縮してひざまずかざるをえなかった。

 そのころ、館内では時政が自害しようとしていたところを八田知家に止められ、捕縛される。一方、御所では実朝を、乳母の実衣(宮澤エマ)と妻の千世(加藤小夏)が迎えた。このとき、千世に抱きしめられて実朝が戸惑う素振りを見せたのが、ちょっと気にかかる。

 その後、時政は自分の館、りくは御所にそれぞれ幽閉され、処分を待つことになる。時政は殺されず出家で済まされると思われたが、泰時はそれでも義時は何をするかわからないと予断を許さない。そんな泰時に、妻の初(福地桃子)は「何もわかっていない」と言い放った。義時が時政の謀反に際し泰時を一緒に連れて行ったのは、「自分のようになるな」と言いたかったからだというのだ。さすがは三浦義村の娘、人の心を見抜く目がある。

 時政については、実朝からも助命するよう義時に対し申し出た。だが、主君である鎌倉殿から頭を下げられても、義時はまったくの無表情であった。時政の処置をどうするかは大江広元(栗原英雄)・三善康信(小林隆)・二階堂行政(野仲イサオ)の文官トリオも頭を悩ませるが、結局、伊豆への流罪ということで落ち着く。義時は無表情のまま、その決定を受け入れた。

 そんな義時だが、父と最後の面会では一転して、これまでひた隠しにしてきた思いが涙とともにあふれ出る。鎌倉をこの先も父とともに守っていきたかったのに、それができずに無念だと明かすと、「父上の背中を見てここまでやってまいりました。父上は常に私の前にいた。私は父上を……私は……」と声を詰まらせた。思った以上に義時は時政を慕っていたのである。

 義時はさらに「今生のお別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません」と、その立場上、もう父とは会えないことを惜しみ、泣きじゃくった。そこへ窓の外から、チャッチャッという鳥の鳴き声が聞こえてきた。時政はそれをウグイスの声だと言う。ウグイスの鳴き声といえば、ホーホケキョのはずだが、それはオスがメスを口説くときの鳴き声で、普段はこのように鳴くのだという。そう話して「ありゃウグイスだ。間違いない」と時政がひとりで納得すると、やがてホーホケキョという声が聞こえてきた。それを耳にしながら、時政もまた涙で顔を歪ませ、「なあ?」と言って、義時の肩に手を置くのだった。

 ここで「元久2年閏7月20日(西暦でいえば1205年9月5日)、執権・北条時政が鎌倉を去った」とナレーションが入ったので、この季節にウグイス? と思われた方もいるかもしれない。しかし、ウグイスは繁殖する山や林では、春先から盛夏ぐらいまではホーホケキョと鳴いているので、べつにおかしくはない。それにしても、なぜこの場面でウグイスだったのか。時政は本来なら伊豆の豪族としてささやかな暮らしを死ぬまで続けるはずだったが、頼朝の挙兵を転機として、ついには身に余る権力まで手にすることになった。そんな自身の人生を、普段は地味な声で鳴いているウグイスも、ときとして美しい声でさえずることに重ね合わせたのだろうか。

「俺の女になれ」

 涙涙の時政・義時父子の別れとは対照的に、りくと義理の娘である政子・実衣の別れはカラッとしていた。面会を前に、実衣は「あの人のみすぼらしい姿、見たくない」と口にしたが、その予想に反して、りくは差し入れさせたきれいな着物をまとって自慢したかと思うと、「北条に嫁いでいい思い出なんか一つもないわ」などとあいかわらずの憎まれ口を叩いた。

 それからしばし、頼朝挙兵時、伊豆山権現に3人で預けられたとき、りくが若い小僧に夢中になっていたことなど思い出話に花が咲く。ここから政子が、伊豆に戻ったら、その小僧と会ってみてはどうですかと言えば、実衣が「小僧が仁王の像みたいになってたりして」と茶化した。会話はそこで途切れたものの、皆そろって笑みを浮かべると、りくが「お世話になりました」と手をついて別れを告げた。

 政子・実衣が帰ったあと、侍女が夕食を持ってやって来る。だが、その正体は、義時からりくを殺すよう命じられた刺客のトウ(山本千尋)だった。トウはりくの隣りに座ると背中の後ろで刀に手をかけるも、ちょうどそのタイミングで義時の妻・のえ(菊地凛子)がやって来る。りくが鎌倉を去る前に、北条の人々とうまくやっていく秘訣を訊きに来たのだ。りくの答えは「無理やりなじもうとしないこと。あとは誇りに思うこと」であった。そして「私は北条に嫁いだことを誇りに思っていますよ」と付け加えた。

 のえが去ると、トウは再び刀をつかんで腰を浮かせるが、そこへ今度は義村が現れ、気づかれてしまう。トウは義村につかまれた手をすぐにほどいて部屋を出た。それでも彼が追いかけてくるので、互いに刀を抜いて一戦交えるが、刀を弾き飛ばされてしまった。そこで庭に降りると、義村も刀を捨て、素手で戦うことになる。彼女は素早い身のこなしでぶつかっていくも、投げ飛ばされ、宙返りすると地面にしゃがみ込んだ。そこで自分の刀が落ちているのに気づき、それを手に取って改めて義村に突進したものの、逆に抱きしめられてしまう。義村はとどめは刺さず、「俺の女になれ」とささやいたが、トウはその隙を突いて、相手の腕をひねって脇腹に蹴りを入れると、走り去っていった。

承久の乱を予感

 このあと、りくのもとへ義時がしれっと顔を出す。「私を殺そうとしたでしょう」と図星を突いたりくだが、もう時政をけしかけるつもりはないときっぱり告げた。それでも憎まれ口はあいかわらずで、義時が執権を継がなかったことをなじったかと思うと、「意気地がないのね、この親子は」「手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい。はがゆいったらありゃしない。何に遠慮しているのです?」「あなたはそこに立つべきお人。これは義母からのはなむけ」と言って、「あらやだ、はなむけは送る側がするものでしたね」と苦笑する。これに義時は「父上と義母上の思い、私が引き継ぎます。これは、息子からのはなむけです」と返すのだった。主要人物が退場するたび、その者に合わせた見せ場が用意されてきた『鎌倉殿』だが、りくほど鮮やかな去り際を見せてくれた者もいない。

 りくの叱咤激励を受けながら、義時はいよいよ権力の座に就く。のえが持つ鏡を前に、漆黒の直垂(ひたたれ=礼装用の衣服)に着替えて支度を調えると、御所に赴き、まず手始めに、平賀朝雅を実朝に替わり鎌倉殿になろうとした罪で討ち取るよう命じた。

 義時の命令は、実朝の下文として京の御家人たちに伝えられ、朝雅はすぐさま追討される。朝雅としてみれば、危険を察して京にとどまったのに、まさか鎌倉方の兵が襲撃してくるとは予想外であっただろう。似合わぬ鎧兜姿で追い込まれ、「鎌倉殿になろうと思ったことなど一度もない!」と訴えるも、とどめを刺され、あっけなく最期を遂げた。

 朝雅以上に驚愕したのが後鳥羽上皇(尾上松也)だった。今回の鎌倉方の動きは、朝雅の主君は実朝であって自分ではないことを示すものと受け取った上皇は怒りに打ち震える。そばにいた上皇の乳母・藤原兼子(シルビア・グラブ)は、京で大軍勢が動くのは義経が木曽義仲を討って以来のこととして、「鎌倉殿にこれ以上勝手な真似をさせてはなりません」と進言する。しかし、上皇にはこれが実朝の差し金とは思えなかった。そこへ慈円(山寺宏一)が、鎌倉では時政が執権を追われたので、今回の一件はその跡取りによるものだろうと示唆する。このとき上皇は初めて北条義時の名前を耳にした。

 ちょうど鎌倉ではそのころ、義時が御家人たちを集め、今後は自分が時政に替わって政治を取り仕切ると宣言していた。これを聞いて御家人のひとり長沼宗政(清水伸)が、そのために時政を追い落としたのかと声を上げると、三浦義村もこれに乗じて「おまえは己の欲のために父親を執権の座から追い落としたのか」と問い詰める。もっとも、これは義時があえて義村にそうするよう仕込んでおいたのだろう。この問いかけに「そうではない。時政に成り代わり、私はこの鎌倉を守る。それができるのは私しかいない」と義時が返すと、義村は一転して「たしかにそのとおりだ。北条義時のほかに御家人たちの筆頭になれる男を俺は知らない」と称賛し、御家人の不満を抑えてみせた。義時はさらに「けっして私利私欲で申しておるのではない!」とダメ押しする。

 義時が鎌倉の頂点に立ったのを知るや、上皇は「義時……調子に乗りおって……許さん!」と復讐を期した。こうして最後の山場となるであろう承久の乱を予感させながら、いよいよドラマは10月16日放送の次回より最終章に突入する(9日は出演陣が登場してドラマの裏話を語る特番が放送予定)。

和田義盛が心配

『吾妻鏡』では、時政追放の記述はかなりあっさりとしている。元久2年閏7月19日条によれば、牧の方(ドラマでの名前はりく)が平賀朝雅を将軍にして実朝を滅ぼそうとしているとの風聞があり、政子は実朝を義時の館に避難させると、時政が集めた兵もすべてそちらに移って守護するにいたった。時政はその日の深夜、突如として出家したという。さらにその翌日には、義時は時政が伊豆に下向するにともない執権の職を継承されたとある。

 もっとも、実際に義時が執権となったのはもう少しあと、承元3年(1209)とされる。ドラマでもこれに従ったと思われる。劇中では、義時が時政追放の時点で執権にならなかったのは、執権の座欲しさに父を追い落としたと思われたくなかったからとされていた(代わりに政子に事実上の執権の役を譲った)。

 ただ、明確な役職に就かない者が事実上の政権トップに立つのはある意味危ういともいえる。執権のポストはあくまで鎌倉殿を補佐する役職であり、それを凌駕する権力を持つことは許されない。しかし、執権に就かなければどうか。その気になりさえすれば、いくらでも権力を濫用できてしまうだろう。果たして義時がそのことに気づくのかどうか。彼がどんなきっかけで執権になるかは、今後の見どころのひとつのように思う。

 今回は時政夫婦と北条の人たちの別れを軸に、今後を予感させるような描写もたびたび出てきた。たとえば、実朝が、自分のことを和田義盛が親しみを込めて(かつて上総広常がそう呼んでいたように)「武衛」と呼ぼうとするので、「武衛とは兵衛府のことで、親しみを込めて呼ぶものではない」と諭したうえ、「いまはそれより上の(官位の)羽林だ」と述べた場面。実朝は異例ともいえる早さで昇官し、のちには右大臣にまで昇りつめた。高すぎる官位はかえって負担を増やし、不幸を呼び込む、いわゆる「官打ち」に実朝を追いつめたともいわれる。それだけに、例の義盛に対するセリフは不吉さも感じさせた。

 義盛も義盛でひとつ心配なことがある。それは、時政から義時宛てに託された言葉を忘れてしまったことだ。彼は『鎌倉殿』ではずっと天然ボケのキャラクターだったから、このエピソードも一見、「らしい」と思わせる。ただ、筆者には義盛の様子がどうもいままでとは違うように思われてならない。前回、上総広常の武勇伝を自分のことのように語っていた場面でもふと感じたのだが、これはもしかすると記憶力の衰えによるものなのではないか。この時点で義盛は数えで59歳と、当時の平均寿命からすれば十分に老人といえる年齢だし、ありえない話ではないと思うのだが……。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある

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