ヤングケアラーの実体験 障害のある母と歩むたろべえさんが公的サービスに辿り着くまで
高次脳機能障害を持つ母のケアをしながら元ヤングケアラーとして情報を発信しているたろべえさん。階段から落ちてケガを繰り返す母が日中安心して過ごす場所を求めて、公的なサービスを探し始めたが、多くのハードルがあったという。子供が親のケアのために公的なサービス利用するまでに乗り越えなければならないこととは。ヤングケアラーの観点から考える、公的サービスの活用法について考察する。
「母の転倒事故」で公的サービスの必要性を実感
「お母さんが家の階段から落ちて頭を打ち、救急車で運ばれた!」
大学3年生の9月、1人暮らしをしていた私のところに、父から連絡が来た。驚いて翌日すぐに実家に帰ったところ、もう母は病院から帰ってきていた。
一時的に意識を失い、血圧も200台になっていたと聞いてかなり焦ったが、ひとまず大事には至らなかった。
私は大学へ進学し、実家から車で2時間ほどのアパートで1人暮らしをしていたが、度々実家に帰っていた。
母はこれまでもしょっちゅう転び、過去には鎖骨を骨折したこともあった。階段を上るのは危ないと思い、2階にあった母の部屋を1階にすることに決めた。
母は物をたくさん溜め込んでしまう癖があり、母の部屋の片付けはやってもやっても終わらなかった。私は平日は大学に通い、土日は実家に来て片付けをする生活を続けた。
「もう2階に来てはダメ!」と母に伝えたが、それでも母はこれまでの習慣から2階へ来たがり、また階段から落ちてしまった。
このときもたまたま父が家にいるときですぐに気がつき、幸い大きなケガはなかったが、もし父が仕事に行っている間だったら、父が帰ってくるまでそのままだったということになる。
母は自分で自分がケガをしないように気をつけることができないし、やはり日中家に1人で置いておくのは危ないのではないかと思い始めた。
公的サービスを利用しなかった2つの理由
母は高校時代に交通事故に遭い、片麻痺と高次脳機能障害が残ったが、これまで公的なサービスを利用せずに家で過ごしてきた。
大きな理由は2つある。1つは、使いやすいサービスがなかったからだ。
父は以前、ヘルパーを頼もうとして調べたそうだが、ヘルパーは基本的にはサービスを受ける本人の分の家事しかできないため家族で暮らしている私たちには少々使いにくかった。その後も使いやすいサービスを見つけることができないまま月日が過ぎてしまっていた。
2つ目に、公的なサービスを利用しなくてもなんとか生活ができてしまっていたからだ。
父は「家事もリハビリの1つ」と考え、母に家事をやらせようとして、母本人もそれなりに取り組もうとしていた。
母がうまくできなかった家事を私や父がやり直すのは大変だったが、人の手を借りなくてもやろうと思えばできていた。自分たちの中では福祉サービスを利用しなければならないほど生活するのが大変だという認識はなかったのだ。
そもそも母は65才未満なので介護保険サービスの認定対象ではなかったし、障害者のための障害福祉サービスについての知識もなかった。
しかし、母の度重なる転倒をきっかけに、母が日中安心して過ごせる場所を探したいと思い始め、行動に移すことにした。
ケアマネを探して就労体験へ
大学4年生の夏休み、いよいよ公的なサービスを使えるようにしていこうと、まずは市役所の障害福祉課を訪ねた。
まずは母を担当してくださるケアマネジャー(以下、ケアマネ)を決めるように言われたので、市内の施設の一覧リストの上から順に電話をかけた。しかし、どこも人手不足とのことだった。
4番目に電話をかけた施設の方が、「新しくできた施設なら、まだ手が空いているかも」と教えてくださったので、1番新しくケアマネージメント業務を始めた施設に電話をすると、ようやく担当してくださるケアマネさんが見つかった。
ケアマネさんと相談し、まずは障害を持つ人が就労できるB型作業所で母は内職の仕事を体験することにした。
しかし、2日間体験しただけで、作業所側に「ウチでは無理です」と断られてしまった。母は麻痺があったり、注意力が散漫だったり、居眠りしてしまったりして、仕事と呼べるようなことはできなかったようだ。
母を1人で家に置いておくのが危険だからという理由だけでなく、家族としか関わりのない母が仲間を作ることや、いろいろな経験をする機会に繋がればという思いからも、母の日中の居場所が欲しかった。
障害を持つ人が利用できる公的なサービス「障害福祉サービス」
障害の特性や状態に合わせてさまざまなサービスや支援が受けられる。「訓練等給付」と「介護給付」に別れ、それぞれ利用のプロセスが異なる。
・訓練等給付…自立支援や就労支援など。
たろべえさんの母が利用したB型作業所とは、就労継続支援B型事業のこと。一般企業で働くことが難しい人を対象とした就労のための福祉サービス。雇用関係を結ばず、基本的に年齢制限がない。なお、就労継続支援A型は雇用関係を結び、原則18歳から65歳未満の人が対象となる。
・介護給付…認定調査を受け、決定した障害支援区分(6段階)により、使えるサービスや支援の内容が変わる。食事や入浴の介助などの居宅介護から、デイサービスなど介護施設への通所・入所まで、さまざまなサービスがある。
※参考/厚生労働省「障害福祉サービスについて」。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/service/naiyou.html
※参考/厚生労働省「障害者総合支援法における就労系障害福祉サービス」。
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000571840.pdf
認定調査を受けてデイサービス探し
作業所に通うことは諦め、今度はデイサービスを探し始めた。
ケアマネさんから「施設を探す前に、障害支援区分認定調査※を受けた方がよい」と言われたので、先に認定調査を受けたところ、結果は「区分2」だった。
母といるのは割と大変だと思うけど、6段階ある障害支援区分のうち、これでも2段階目なのか…というのが正直な感想だった。
区分3からしか使えない制度もあり、区分に限らず使いたい制度を選べるようになればいいのにと思った。デイサービスの中には、これまで区分2の人は受け入れたことはないというところもあった。
私はデイサービスを利用しているのは高齢の方だけなのかと思っていたが、障害者のデイサービスというのもあると、このとき初めて知った。
※障害支援区分認定調査/障害のある人が公的なサービスを利用するために必要となる調査。障害の特性や心身の状態に合わせて6段階の区分があり、それぞれ利用できるサービスや支援の内容が変わる。
参考/厚生労働省 障害者総合支援法における「障害支援区分」の概要。https://www.mhlw.go.jp/content/000770455.pdf
しかし、デイサービスを探しは、なかなか思うようには進まなかった。言い方は悪いが母の障害はなんとも“中途半端”で使いやすい施設を探すのは一苦労だった。
家から通える施設を探し、母と一緒に見学にいってみると、知的障害や精神障害のある人がメインの施設は、身体障害もある母にとっては利用しにくかった。トイレの中までは介助に入れないので、自分でトイレに行ける人しか利用できないと言われたが、母はどこで転ぶかわからないのでトイレの介助もお願いしたかった。
また、障害の特性で突発的な行動をしてしまう人がいても母は自分で距離を置いて身を守ることができないと思うので、同じ部屋にいるのは難しそうだった。
逆に、身体障害のある人がメインで利用している施設に体験に行ったときは、基本的に車いすに座っていて欲しいと職員から説明された。母は転びやすいが、少しは歩けるし、家の中は歩いて移動しなければならないので、歩く機会を減らしてしまうのはもったいないような気もした。
就職活動と施設探しの両立の板挟み
結局、それから1年ほどかけて母が通いやすい施設を探し続けた。当時大学4年生だった私は就職活動がなかなか進んでおらず、自分の就職活動と母のデイサービス探しで板挟みになっていた。
母のケアマネさんは、いろいろな施設の見学の予定をどんどん入れてくれようとしていたが、私は大学から早く就職先を決めなさいと言われ、うまくスケジュールが調整できなかった。
「まったく、母ではなく私のケアマネがいればいいのになあ」と思わずぼやいてしまうこともあった。
結局、就職してからも施設探しを続け、2年がかりで母が通えるデイサービスを見つけた。みんなで散歩に行くときは車いすで連れて行ってもらうが、その代わり施設の中にいるときは歩いたり体操をしたりする機会を作ってもらっている。母は絵を描くことやほかの利用者との交流も楽しいようで、毎日ご機嫌で通っている。
ヤングケアラーを支える大人の必要性を感じた
福祉サービスを利用するには、ケアマネを探したり、区分認定調査を受けたり、様々な書類を提出したりと、ヤングケアラーには難しいことも多い。
ケアが必要な家族も子供も、どちらも気にかけながら一緒に福祉サービスを利用する手続きを進めてくれる大人がいれば、ヤングケアラーが1人でケアを抱え込んでしまうことも少なくなるのではないかと思う。
元ヤングケアラーたろべえの介護note
ヤンケアラーが公的なサービスを知り、活用するまでにはさまざまなハードルがある。以下のような問題点が考えられる。
ヤングケアラーが公的サービスを利用するまでのハードルや負担
・本人が親の介護をしていると認識していない
・家族以外の人に頼るという選択肢に気が付いていない
・公的サービスの必要性を自覚していない
・障害福祉サービスを活用するまでの手順が煩雑
・自分の親の状況に合うサービスや種類を理解しにくい
・役所の担当者にケアの状況や使える制度を説明するのは困難
・担当するケアマネの経験や人柄にもよるが、相手が子供だからと対応がずさんになったり、後回しにされることも
障害福祉サービスを利用するまでのステップ
ステップ1:市区町村の障害福祉課に相談
ステップ2:ケアマネを探す
ステップ3:障害支援区分認定調査を受ける
ステップ4:ケアマネのプランを元に障害福祉サービスの利用を進める
――これらのステップをヤングケアラー、18才未満の子供たちがこなせるだろうか?
文/たろべえ
1997年、障害のある両親のもとに生まれ、家族3人暮らし。母は高校通学中に交通事故に遭い、片麻痺・高次脳機能障害が残ったため、幼少期から母のケアを続けてきた。父は仕事中の事故で左腕を失い、現在は車いすを使わずに立ってプレーをする日本障がい者立位テニス協会https://www.jastatennis.com/に所属し、テニスを楽しんでいる。現在は社会人として働きながら、ケアラーとしての体験をもとに情報を発信し続けている。『ヤングケアラーってなんだろう』(ちくまプリマー新書)の3章に執筆。
https://twitter.com/withkouzimam https://ameblo.jp/tarobee1515/
●ヤングケアラー、小6の6.5%という調査結果 当事者が明かす介護「誰にも話せない大嫌いだった母のこと」