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『鎌倉殿の13人』15話 は神回!上総広常(佐藤浩市)はなぜ斬られたのか?じっくり考察する

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』15話。上総広常(佐藤浩市)死す。頼朝(大泉洋)はなぜ非情な命を下したのか? 『足固めの儀式」(副題)の回を、歴史上の謎でもある上総広常殺害事件を中心に歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。

広常はなぜ殺されてしまったのか?

『鎌倉殿の13人』第15回では、頼朝(大泉洋)が挙兵後、石橋山での敗戦から一転、関東の平家方の武士たちに勝利を収める上で大きな役割を担った上総広常(佐藤浩市)が、ほかならぬ頼朝の命令により殺されてしまった。寿永2年(1183)12月22日のことである。義時(小栗旬)は広常とはたびたび酒を酌み交わす仲だったが、結果的に彼を陥れる一端を担わされた上、見殺しにしてしまう。

 三谷幸喜作の大河でいえば、『新選組!』(2004年)で広常と同じく佐藤浩市が演じた新選組の初代局長・芹沢鴨が、その傍若無人な態度にたまりかねた近藤勇一派の隊士らによって暗殺されるエピソードを思い出した人も多いだろう。組織内の綱紀粛正を一つの目的としたという意味では、今回の広常殺害も共通する。しかし、近藤と対立した芹沢とは違い、広常は実力者でありながら頼朝には初対面時に遅参したのを一喝されて以来、ずっと従ってきた。

 その広常がなぜ殺されてしまったのか? その経緯ははっきりとしない。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には事件のあった年の記事がまるまる抜け落ちており、年が明けた寿永3年1月8日のくだりで、頼朝が上総一宮の神主たちより広常が生前に鎧を奉納していた事実を知らされたという記述が、殺害の経緯は一切記されないまま唐突に出てくる。それから9日後には、神主らが鎌倉を訪れ、頼朝がその鎧を確認したところ、前胴と後胴を結ぶ紐に一通の封書がくくりつけられていた。それは頼朝の大願成就と東国の泰平を祈る祈願書であった。これを読んだ頼朝は、広常の無実に気づいて、殺したことを後悔し、獄につながれていた彼の弟たちを釈放したという。

 他方で、同時代の天台宗の僧侶・慈円(摂政・関白を務めた九条兼実の弟)による歴史書『愚管抄』には、広常殺害から7年後、建久元年(1190)に後白河法皇と面談した頼朝が「広常は朝廷に対し謀反の心を持っており、こんな者を家臣にしておくわけにはいかないと思って殺した」と述べたとある。『愚管抄』にはまた、梶原景時が頼朝より命じられ、広常とすごろくをしていたところを殺したことも記されている。

『吾妻鏡』の記述は、頼朝が情け深い人であったのを強調するためか取ってつけたような印象を受けるし、『愚管抄』に記録された法皇への発言は、事件から7年もあとで、頼朝が朝廷への忠誠心をアピールするため広常を引き合いに出したようでもあり、やはりどこか疑わしい。

 三谷幸喜はこうした記録のあやふやさを突く形で想像を膨らませ、広常殺害は、頼朝が自分に反発する御家人たちのたくらみに乗じ、大江広元(栗原英雄)とともに謀ったものとして描いてみせた。

「足固めの儀」をでっちあげてしまう強引さ

 前回すでにほのめかされていたように、広元はまず反頼朝派の計画をつぶすべく、義時を通じて広常を反頼朝派に潜り込ませる。当初は頼朝を殺す予定だった反頼朝派だが、広常の進言で、頼朝には息子・万寿を人質にとって御所を出ていってもらうという穏便な計画に改められる。そのために、文覚(市川猿之助)の提案で、万寿の生後500日目を祝う「足固めの儀」なる儀式をでっちあげ、その当日には御家人たちが鹿狩りに出かけると偽って武装し、御所を襲う段取りが整えられた。義時は事前にそれを察知し、御家人たちを説得すべく奔走する。

 場面やセリフの一つひとつに緻密な計算をうかがわせながらも、「足固めの儀」という儀式をでっちあげてしまう強引さ(それでいてあとから振り返れば、じつは広常殺害こそ頼朝政権にとっての「足固めの儀」であったとわかる)がまた三谷幸喜らしいと思わせた。また、ほかの御家人に脅されて着物の下に鎧をまとう比企能員(佐藤二朗)の小心者ぶりや、和田義盛(横田栄司)とともに御所を襲撃した畠山重忠(中川大志)が、止めに入った義時に対し、強く反論すると見せかけて相方の義盛を軟化させるという(義盛は重忠の言うことにはすべて異を唱えるため)機転の良さを示すなど、登場人物それぞれのキャラクターもここぞとばかりに活かされ、笑いを誘う。

 結局、頼朝追放計画は失敗に終わり、その最大の功労者である広常は御所に招かれ、頼朝と酒を傾けながら互いに褒め合い、視聴者をひと安心させる。だが、ここまでは陰謀のほんの序章にすぎなかった。

「御家人なんざ使い捨ての駒だ」

 翌日、御所での話し合いで一旦は御家人たちのお咎めはなしと決まりかける。同時に、頼朝と御家人の関係修復のため、平家を追討した暁にはその所領を御家人に与えると約束してはどうかという義時の提案も受け入れられた。

 だが、広元が、やはり御家人たちが何一つお咎めなしというのでは示しがつかないと、見せしめに誰かひとりに罪を負わせてはどうかと申し出て、状況は一転する。もちろん、広元と頼朝の頭には、その罪を背負って殺されるべき相手は上総広常しかいなかった。じつは広常を追放計画つぶしに使った時点で、2人はすでに彼を殺すつもりだったのだ(おそらく広元が初登場した第12回で「一つだけ気になったのは……」と頼朝に進言していたのは、広常のことだったのだろう)。義時はそれを知って激しく反発するが、頼朝は前夜に広常が口にした「御家人なんざ使い捨ての駒だ」という言葉を盾に自らを正当化し、なすすべはなかった。

 まさに坂東武者たちは、頼朝と広元という京から来た者らの駒として手のひらの上で踊らされていたことになる。筆者は前回のレビューで、大江広元が上総広常を動かしたのは、梶原景時(中村獅童)の入れ知恵もあってのことだろうと書いたが、実際には景時もまた駒のひとつにすぎず、命じられるがまま広常殺害におよんだ。このとき景時が、すごろくをもって広常に近づいたのは『愚管抄』の記述どおりだが、考えてみればすごろくは駒を使う遊びだけに何やら象徴的である。

すごろくの石は切られても再スタートできるが……

 すごろくはこれまでにも『鎌倉殿』の劇中にたびたび登場した。現代ではすごろくといえば、何人かでさいころを順番に振って、その出た目の数に従いながら一つのゴール(上がり)に向かって駒を進める、いわゆる「絵すごろく(紙すごろく)」がおなじみである。だが、これは江戸時代に子供向けにつくられたもので、それ以前には、碁盤や将棋盤のように盤の上で2人が石(駒)を進め合う「盤すごろく」しかなかった。

 盤すごろくにはいくつか遊び方があるのだが、ドラマに出てくるのはたいてい「本すごろく」だろう。詳しいルールは省くが、これは一言でいえば2人がそれぞれ15個の石を持ち、2つのさいころを振って出た目に合わせてそれらを進め、どちらが先に味方の陣にすべての石を入れるかを競い合うというものだ。盤面には手前と向かい側とそれぞれ12個の升目があり、そのなかで石を、2つのさいころでそれぞれ出た目のとおりに2個を動かすか、2つの目の合計のとおり1個のみを動かす。

 なお、敵の石が1個のみの升目へ自分の石を進めると、敵の石を盤外に取り除くことができる。これを「切る」と呼ぶ。劇中で広常が景時に対し「この石、切らねえでくれよ。頼む」と言っていたのは、このことである。広常はこの直後、自分の石を切られるタイミングで、当の自分が刀で切られてしまった。すごろくの石は切られても、次の振ったさいころの目によって出発点から再スタートできるが、人間は切られたらおしまいである。

 景時は景時で、事におよぶ直前、息子の景季(柾木玲弥)にすごろくの道具を用意させると「上総介殿を斬るなどためらわざるをえん。ここで死ぬべき男か否か、あとは賽の目に聞くよりほかあるまい」とつぶやいていた。このセリフから察するに、ひょっとすると景時は出た目しだいでは広常を殺さなかったのか……。

 ちなみに景時の石(白)の進行方向からすると、彼は広常の石(黒)を切る際、自分の切られた石を用いたと思われる(実際にはその前に試合を放棄したわけだが)。切られた石で、相手の石を切るとは、これまで何度も殺されそうな場面をくぐり抜けながら生き延び、敵対する相手を討ってきた頼朝をどうも思い起こさせる。

 思えば、前半生の頼朝は、さいころの目しだいでいくらでも局面が変わるすごろくのように、偶然に次ぐ偶然によって生かされてきた。本人もそれを重々自覚していたに違いない。それだけに彼は、偶然はときに自分を破滅に追い込むことも常に意識していたはずである。その確率を減じるべく不安要素はできるだけなくしておきたい。広常もまた一種のリスクヘッジとして殺されたといえば、冷酷にすぎるだろうか。

何もその歳で字を覚えることはなかったのに

 ドラマでは広常の死後、神社ではなく彼の館にあった鎧から、頼朝の大願成就を祈った書状が見つかる。『吾妻鏡』の頼朝はそれを読んで広常が無実と気づき、殺したことを後悔するが、『鎌倉殿』の頼朝は違う。広常が鎌倉入りしてからというもの必死に覚えた文字が連ねられたその書状を「読めん」と一蹴すると、一緒にいた義時に対し「あれは謀反じゃ」となおも強弁した。

 実際の広常がそうだったかはともかく、この時代の武士には字が読めず書けない者が多かったという。しかし、本人が書けなくても、読み書きのできる者を家臣にして代筆させれば済んだ(細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書)。そう考えると、ドラマの広常も何もその歳で墨まみれになってまで字を覚えることはなかったのである。しかし、そうせずにはいられない彼の独立精神にこそ、頼朝は脅威を感じたのではないか。

 第15回は、広常殺害後、義時が八重(新垣結衣)の産んだばかりの長男を抱き、浮かない表情を見せるところで終わった。前回、身ごもった八重のお腹に手をあてて「この子が大人になる頃には何かが変わっているんだろうか」と言っていた義時だが、あのような事件が起こり、いざ子供が生まれてきて複雑な思いがうかがえる。

 今回はこのほか、義時が親友の三浦義村(山本耕史)に言われた「気づいてないようだが、おまえは少しずつ頼朝に似てきているぜ。これは褒め言葉だ」というセリフも気になった。八重を妻にしたところはたしかに頼朝と同じだが、一体どこが似てきたというのか。今回の大江広元の行動から、その初登場時のセリフの真意が判明したように、これについてもいずれはっきりとわかるときが来るに違いない。

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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