地震直後、認知症の母の日本そば調理に立ち合って再認識した症状の進行
岩手・盛岡で暮らす認知症の母を遠距離介護している作家でブロガーの工藤広伸さん。認知症の進行とともに料理上手だった母のレパートリーも減りつつあるが、帰省時には工藤さんがサポートをしながらお母さんに料理を続けてもらっている。今回は、ある日の昼食の“そば”作りをレポートしてもらった。
岩手に地震発生…その日の昼食は母が作った「日本そば」
5月1日10時27分頃、宮城県沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生。築50年以上が経過した岩手県盛岡市の実家は激しく揺れ、震度6のような体感でしたが実際は震度4でした。
テレビのニュースが地震一色になっている中、わが家の昼食は「日本そば」でした。
認知症の進行とともに、母の料理のレパートリーはどんどん減り続け、お昼はラーメン、うどん、そばのいずれかになってしまいました。ラーメンより作り方がシンプルなそばであっても、わたしが手伝わないときちんとしたそばは完成しません。
認知症の母のそば作りをレポート!
まずは、準備です。
わたしのサポートは、そばに必要な材料と調理器具を台所に並べるところから始まります。食材はそば2人分、おあげ、ねぎ、しょうゆ、煮干し、七味、調理器具は包丁、まな板、鍋、お玉、箸をセット。
これらを忘れずに用意しておかないと、水としょうゆだけでできた、だしがきいていないそばつゆが完成してしまうこともあります。
次に、そばつゆ作り。
お鍋に水と煮干しを入れ、煮立ったところで、母はしょうゆを目分量で回し入れます。水の量はわたしがサポートしないと、少なめのそばつゆになるので、必ず手伝います。
これだけサポートが必要な母ですが、味付けはあまり衰えていません。元々、すべての調味料を目分量で行っていた母は、認知症が進行しても目分量は変わりません。それでも、不思議と問題のない味付けになります。
何度もあく取りを繰り返した後、衝撃発言…
そばつゆが煮立ったところで、母はお玉であくを取り始めました。あくをすくって台所に捨て、1分経たずにまたあくを捨て、何度も何度もあくを取り続けます。
そばつゆはそんなにあく取りが必要だったかなと思っていたら、母がこうつぶやきました。
母:「いやあ、ラーメン作るの久しぶりだわ」
なんと母の頭の中で、そばつゆがラーメンスープに変換されていたようで、ここでも認知症の進行を痛感しました。
確かにラーメンスープは、豚肉からあくが出るので、何度もあく取りが必要です。無意識のうちに、その習慣が日本そば作りにも出てしまったようでした。
最後に、日本そばをゆでる工程です。
母が使うそばは、乾麺ではなく一度ゆでてある、いわゆる“ゆで麺”タイプ。かけそばにするには温めたりゆでたりする必要があるのですが、これをゆでずにそのまま器に入れて、そばつゆを上からかける、ぶっかけそばのような作り方をしてしまうこともあります。
また、鍋にそばを入れたとしても、何もせずにそのまま器に盛ることもあります。そばは鍋の中でほぐす必要があるのですが、怠るとそば同士がくっついてしまって、塊になってしまうのです。塊になったまずいそばを食べた経験から、必ず箸でほぐすよう声掛けをします。
そばをゆでながら、キッチンを片づける手際のよさは料理上手な昔の母と変わっていませんが、調味料を定位置に戻せないのでわたしがサポートしています。
いろんな困難を乗り越えながら、甘い味のついたおあげを最後に乗せ、無事「日本そば」が完成しました。
母が作った日本そばの味は?
日本そばを食べる際、母が決まっていう言葉があります。
母:「ねえ、この日本そばって盛岡だけのもの?」
理由は分かりませんが、母は多くの食材は盛岡だけで食べられていると思い込んでいる節があります。ラーメンのメンマもなぜか盛岡の人しか食べないといいますし、なぜか盛岡を特別な場所と思い込んでいるようです。
わたし:「『日本』そばっていうくらいだから、日本全国のものでしょ。盛岡だけだったら、『盛岡そば』っていうんじゃないの?」
母:「そうか、確かにそうよねぇ」
そばをすすってみると、硬さは問題ありません。しかし、今までうまくできていた味付けは薄いように感じました。目分量による味付けも、いよいよ厳しくなってきたかもしれません。
食べ終わった食器を台所へ持って行き、居間に戻ると母が、
母:「あー、おいしかった。人が作ったそばは、本当においしいわね」
わたし:「え? さっき、自分で作ったでしょ」
母:「あら、そうだったかしら。それよりちょっと見て、大きな地震があったって。どこかしらね?」
あまりの揺れの大きさに、母をコタツの中に入れて、その上からわたしが覆いかぶさるほど強烈な地震でしたが、1時間前の大きな地震のことも、自分で日本そばを作ったことも、全く覚えていないようでした。
新型コロナウイルスの影響で、岩手と東京を行き来する回数が減っています。ひとりで生活する時間が増えるのに伴い、認知症も進行し、できていたこともできなくなってきています。
わたしのサポートは増えていきますが、母には可能な限り台所に立ち続けて欲しいと思っています。
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)。音声配信メディア『Voicy(ボイシー)』にて初の“介護”チャンネルとなる「ちょっと気になる?介護のラジオ」(https://voicy.jp/channel/1442)を発信中。