欽ちゃんの金言「もっとマヌケであれ!」。マヌケは苦しさを吹き飛ばしてくれる魔法の言葉
「マヌケ」という言葉を聞いて、どういうイメージを抱きますか。現時点では、あまり言われたくないかもしれません。「あなたはマヌケですか?」と尋ねられたら、ムキになって「そ、そんなことはありません!」と否定するでしょう。
しかし、この本を読めば「マヌケ」のイメージが180度変わるはず。きっと「マヌケでよかった」「もっとマヌケになりたい」「マヌケよ、今日もありがとう」という気持ちになります。
著者は、欽ちゃんことコメディアンの萩本欽一さん。御年78歳。昭和40年代はコント55号、昭和50年代は「視聴率100%男」、それ以降も多くのテレビ番組で活躍し続けている歩く伝説です。最近では73歳で駒澤大学仏教学部に入学し、1日も休まず4年間通い続けて優秀な成績を残しつつ、あっさり自主退学したことが話題になりました。
「マヌケであればあるほど運がたまる」
「視聴率100%男」と呼ばれた欽ちゃんは、じつは「マヌケ100%男」とも言える道のりを歩んできたとか。そんな彼が、自分の体験をふんだんにまじえながら、マヌケであることがいかに素晴らしいか、いかに大切かを説いてくれています。
浅草での修業時代、あまりにマヌケだったため3カ月でクビになりかけますが、返事がいいというマヌケな理由で命拾い。後輩が入ってきてもマヌケであるが故に先輩面ができなくて、そのまま雑用をやっていたら東八郎さんに見込まれます。坂上二郎さんに誘われてコンビを組んだのも、コント55号が大ブレイクしたのも、その後たくさんの番組を大ヒットさせたのも、持ち前の念入りなマヌケっぷりが幸いしたおかげ。
本書で「どこに出しても恥ずかしいマヌケ集団」と表現されている欽ちゃんファミリーのエピソードも、あたたかさとマヌケさに満ちています。欽ちゃんが「天才的なマヌケ」と高く評価する斎藤清六さんは、ある時、舞台への出演依頼を「イヤです」と頑なに拒否。理由を聞いても「出ません」と言うばかりで何も教えてくれません。
ところが、1年後にいきなり電話してきて「あの、大将、今日からは、もし舞台とかあったら呼んでください」と言います。欽ちゃんが理由を問いただすと、ずっと看病していた母親がその日に亡くなったとか。心配かけまいと理由を言わなかった斎藤さんですが、欽ちゃんに出演依頼の電話をもらったことは、ずっとありがたいと思っていました。
それを知った欽ちゃんは「お前は、人のことを考えて、自分のことをいちばん後まわしにして、なんて素敵なマヌケなんだ」と、斎藤さんをホメます。
坂上二郎さんとの最後の食事や最後の舞台の場面も、欽ちゃんの愛にあふれた語り口とお互いのマヌケさが作り出すやさしい情景が相まって、涙なしでは読めません。子どもの頃から欽ちゃんの番組で大笑いし、欽ちゃんとともに年齢を重ねてきた世代にとっては、萩本欽一というコメディアンの素晴らしさと偉大さをあらためて感じる喜びを味わえます。
そして、この本をとくに強く勧めたいのは、苦しい状況にある人や、つらい悩みを抱えている人。欽ちゃんは「マヌケであればあるほど運がたまる」と言います。マヌケとは自分の損得を考えない人であり、まわりと自分を比較して一喜一憂したりしない人のことであり、自分や他人を許すのが上手な人。すなわち、とても強い人です。そういう人には、やがて大きな運や大きな幸せがめぐってくるに決まってます。
誰しもマヌケな要素や素質を持っていますが、自分のマヌケさを否定しているうちは、せっかくのマヌケパワーが生かされません。マヌケである自分を肯定し、マヌケをどんどん伸ばすことで、気持ちが軽くなり、毎日が少し楽になります。騙されたと思って、マヌケという言葉に頼ってみましょう。仮に「うわ、騙された!」と思ったとしても、それはそれでマヌケな自分を笑うことができます。
撮影/榊智朗
文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。『大人養成講座』『大人力検定』など、大人の素晴らしさと奥深さとマヌケさを追求した著書多数。郷土の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」としても、ちょっとマヌケに活躍している。
【データ】
『マヌケのすすめ』
出版社:ダイヤモンド社
定価:1430円(税込み)
著者/萩本欽一