妻が明かす西城秀樹さんが遺した宝物、子供たちの想い【第2回】
西城秀樹さん(享年63)に寄り添ってきた妻の美紀さんが、愛する夫と子供たちと共に歩んだ 日々を振り返るシリーズ。2回目は、お子さんたちとの関わり方を中心に話を伺った。秀樹さんの墓前に報告したという3人の子供たちとのエピソードとは…。
→前回の記事「夫・西城秀樹の闘病・介護…共に歩んだ妻・木本美紀さんが明かす家族のこと」を読む
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秀樹さんの墓前に子供たちの近況を報告
「パパ、嬉しいことがあったの。あなたの子供たちはとってもいい子に育っているよ」
先日美紀さんは、秀樹さんのお墓の前でこう話しかけた。
夫が旅立ってしまった悲しみは胸の奥にしまい、美紀さんは穏やかに語る。折に触れ、子供たちの近況をお墓に報告しに行くのだという。秀樹さんとの間には、長女の莉子さん(17才)、長男の慎之介くん(16才)、次男の悠天くん(15才)、3人のお子さんがいる。
「期末試験の勉強中だった長女が、夜リビングにきて『ママお風呂入らないの?』ってソワソワしているんです。夜中の12時を回ったとき、ジャーン!って花束と大きなバースデーカードをくれたんです。
長男は誕生日前日にメールをくれて、次男は朝起きて一番に『ママおめでとう!』って…。パパが旅立ち、慌ただしくも寂しい日々の中で、子供たちみんなが私の誕生日を覚えていてくれたのが嬉しくて嬉しくて」と、美紀さんは目尻を下げた。
3人の子供たちにはじめて病気を伝えた日
秀樹さんが逝ってから1年半が過ぎ、最近ようやく子供たちと共に“西城秀樹“の歌や映像を見ることができるようになったという。何でも話し合う、仲の良い家族だ。
しかし、長い闘病生活の中では、子供たちに我慢を強いてきたこともあると美紀さんは振り返る。
「長男は幼稚園のころからパパの映像をビデオなどでよく見ていて、スターとして輝いている父の姿を誰よりも知っていました。長男がとくに好きだったのは『YOUNG MAN』。幼いころはテレビの前で一緒に歌ったり、踊ったりもしていましたね。
彼は、秀樹さんが入院しているときなど、病院にはあまり来なかったのですが、病気の姿を見るのは辛かったのかなと思います。かっこいいパパが大好きで…。でも、パパがリハビリで歩いている公園の真ん中でわざわざサッカーするんですよ。彼なりの寄り添い方だったのかもしれませんね」
秀樹さんが、公演やショーなどに向けてひたむきにリハビリを頑張る中、慎之介くんは次第にサッカーにのめり込んでいった。
「長男のサッカー試合の応援で私が家を空けたとき、秀樹さんが自宅で転倒して頭を切ってしまったことがありました。それからは、それまで以上にサッカーを観に行く機会は減りました。ほかのお子さんは両親揃って応援に来ていますから、寂しい思いをさせていたと思いますね」
パパは絶対治る、家族みんなそう信じていた
著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小社刊)にも綴られているが、2011年から12年ごろ秀樹さんは小さな脳梗塞を頻繁に発症し、入退院を繰り返すようになる。
「度重なる脳梗塞で足に麻痺が残ってしまったとき、子供たちにパパは病気で足が動きにくくなってしまったんだよと伝えました。一番下の子が小学生になったころでした。『練習したら治るよね?』『パパはまた走れるようになるよね?』って子供たちは明るくて…。パパは絶対治る、私もそう信じていました」
美紀さんは父親の病気のことを話すのは、子供たちが全員揃っているときと決めていた。
「3人がリビングにいるとき、『パパはリハビリを頑張っているけど、だんだん足が動きにくくなってきていて、段差がない場所でもよろけちゃうことがあるから、みんなで協力してパパを気にかけてあげてね』、3人にそう伝えると、長男がまっさきに『わかってるよ、いつもそうしてるし』ってボソッと言うんですよ」
子供たちに病気のことは包み隠さず、まっすぐ真実を伝えてきた。どんなときもパパが一番。そんな美紀さんのブレない姿勢が家族の絆を強くしていったのかもしれない。
愛する家族、そして自分を待ってくれているファンのために――秀樹さんは決してあきらめなかった。2004年ごろから病が深刻化した2017年まで、毎年夏の定番となっていたのが、Jリーグ・川崎フロンターレのホームゲームでのハーフタイムショーで披露する『YOUNG MAN』だ。強い意志を持ってステージに立つ父の背中を、3人の子供たちはずっと見つめてきた。
「この歌で長男は小さいころから励まされてきたと思うんです。ずっとサッカーを続けてこられたこと、ありがとうってパパにも伝えているはずです」