84才、一人暮らし。ああ、快適なり「第12回 便利は復讐する」
才能溢れる文化人、著名人を次々と起用し、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を、創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら望み、一人で暮らしている。そのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただき、シリーズ連載でお伝えする。
今回のテーマは、「便利」だ。便利は、曲者(くせもの)と語る矢崎氏。さて、その真意とは?
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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便利は曲者
誰でも人は便利を求める。不便には耐えられないのである。ことに現代人は。
ところが、この便利という奴は曲者なのだ。
電気、ガス、水道は、都市生活者はもとより、地方でもライフ・ラインとして常に存在すると確信している。だから天変地異に襲われると非常に脆い。日頃より便利に慣れているから、被害はどんどん拡大する。
かつて、便利は当たり前ではなかった。電化製品など皆無に近かったから、ふとした便利を見つけると老若男女(ろうにゃくなんにょ)皆大喜びしたものだ。
そもそも私が子供の頃、電話がやっと通じたばかりだったから、この文明の利器に仰天した。電話のある家はごく稀だったから、いわゆる呼び出し電話が横行していたのである。付き合いもほとんどない遠くの家の人が、どうして我が家の電話番号を知っているのか謎だったが、子供の私は地図を頼りに知らせに行く始末だった。幸か不幸か、私の家には電話があったのだ。
それが、今はどうだ。携帯電話は誰もが持っているし、スマホなるコンピューターを兼ねた機種まで流行している。便利などにびっくりしている場合ではない。それほどに私たちの周辺には便利が蔓延している。
忘れたり、失くしたり、壊れたりすると、たちまち路頭に迷うような事態に堕ち入る。
「自由が命」と言い聞かせて生きている
今回のタイトル「便利は復讐する」に当てはまる現象なのだが、私は違う視点から、自論を展開するつもりなのだ。これ以上何があるというくらい文明は発展しているわけだけれど、もっと古典的な話をしたい。
私は自由が好きで、何から束縛されることも大嫌いなわがまま人間として社会に登場した。これは自慢するようなことではないが、「自由が命」と言い聞かせて生きてきたのである。
ところが日常生活には様々な面倒が付いて回る。そのトップが、掃除と洗濯であった。家はたちまちゴミの山と化し、着た切り雀になり果てる。整理整頓を怠ると、仕事にまで支障をきたすことになった。困った。
と、知り合った美女が助けてくれる。美女とは限らないが、とにかく日常を支えてくださることに相成る。特別恋心を抱いているわけでもないのに、ついチョッカイを出す。気が付いて見ると世帯を持つハメになってしまったりするのである。
「あなたは復讐されている」
一生結婚なんてしない。独身生活を自由気儘に満喫して楽しい人生を送ろう。そう決心していたにもかかわらず、便利に負けて家庭の罠に嵌ってしまった。これがなかなかよろしいと思ってしまうところに油断がある。
つまり気付いてみると、便利に復讐される日々を送っていた。妻には妻の言い分もあって、自由はどんどん遠くへ行くのだった。手遅れだと知って、二、三度離婚してみたが、所詮だらしがない人間だから、子供が産まれると、それはそれなりに可愛かったりもするから、ズルズルと何かしら疚(やま)しい亭主として生きるしかなくなるのだった。
前回(第11回 ギャンブル好き)にも記したが、私はギャンブル大好きな遊び人である。美しい女性に出会うと妻子が居ることなどケロリと忘れてしまう。
まったく恥ずかしい道楽者なのだ。オレは結婚に向いてないと思い知ったところで、後の祭なのである。
それでも懲りずに抵抗を試(こころ)みる。家出して何ヶ月も自宅へ帰らないこともしばしばあった。新聞記者時代は警視庁の記者クラブに寝泊りしていることが多かった。いわゆるヤサグレと称して仕事半分、遊び半分の日々を送った。雑誌を作るようになっても、素行は治まらなかった。
たまに家に帰っても、下着だけ着がえて朝メシも食べないで出かける。ついに辛抱強い妻(どうきょにん)に感心して、「オレみたいな男に良く我慢してるね」と、さり気なく呟いたところ、「あなたは復讐されてるのよ。別れてなんかやらない」と、突き離された。偉い!
間もなく金婚式(ごじゅうねん)を迎える。自分でもホトホト呆れてしまうが、80歳を迎えてから仕事場に寝泊りするようになった。輝く一人暮らしの日々を送ってはいるのだが、自由にタバコが喫える境遇となったのも、妻(つれあい)のタバコ嫌いを理由にしてのものだった。
まったく疚(やま)しく滑稽(ばか)な独居老人ではあるのだが、老いて手にした自由は格別である。残り少ない時間をノビノビと過すなんて、これ以上の愉悦は他にないように思う。
だが、用心を怠ることなかれと、毎日言い聞かせている。自分でやれることは自分でやる。つまり、便利を求めて自由を逃すことのないよう自らを誡めているのである。
ともすると誰かに頼ろうとする。これこそがこれまで人生をしくじってきた元凶(もと)だと、遅ればせながら、やっとわかった。
閑話休題(それはさておき)、徒然草に「一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして多くの時を失ふ」とある。便利はむかし、大小便の通じの事であったのだ。なるほど。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。