藤真利子、要介護5の母を凄絶献身介護11年「今も苦しい」
リハビリ病院を転々としたが、施設介護か在宅介護をするように暗に勧められる。
「要介護5で、話もできない。右半身不随で、こんな病状でなぜ退院しなければいけないのか、理解できませんでした。
施設の一覧表をもらって片っ端から電話をかけましたが、病状が重いので受け入れ先が少なく、人気施設は1000人待ち。病院も受け入れ先は遠方のみ。在宅介護をするしか選択肢がないと思いました。大切なママは私がしっかり面倒みなくてはという気持ちもあったと思います」
「ママが死んだら私も死ぬ」と幼い頃から一心同体母娘だった。
作家である父が家に帰らず外に女性がいたというのも一因だった。母を傷つけた父を許さない、一生母を守ると誓っていた。
お嬢様女優だった藤の介護は苦労の連続
そして2006年5月、藤の在宅介護が始まった。お嬢様女優で知られ、家事の一切は母任せ。炊飯器の使い方も知らなかった藤にとって苦労の連続だった。
「家をバリアフリーにリフォームし、ヘルパーを手配。3度の食事の用意と介助、入れ歯磨きや口腔ケア、清拭、尿の処理…腸がほとんど働いていなかったので、1日2回、腸に“ブジー”という管を入れて便の採取もしていました。
ヘルパーさんも頼りになる人とならない人がいるから任せられない、自分でやらなくては、と。夜、大音量でテレビを見ているママの隣に布団を敷いて寝るのにいつの間にか慣れていました。
ママの状態は安定し、お医者さまから“奇跡ですね”と驚かれるほどいい時期もありました」
藤が書いた介護ノートは65冊に及ぶ。
毎日の体温、食事メニュー、体調を一日も欠かさず書き込んだ。のみ薬の12種類もソラで言える──。
仕事は激減、収入がなくなりユニクロの服も買えない
母が中心の生活の中、当然のように仕事はセーブしていた。地方での撮影や長期にわたるものは避けてほしいと伝えるうちに、気づくと仕事は激減していた。
「そうして気づけば家計は火の車。入院費やリフォーム費用、医療費、ヘルパー代…当然ですよね。
ママのことで頭がいっぱいで、他のことにまったく意識が向いていなかったんです。いざ仕事を過去のようにしたくても、以前のようにはオファーはもう来ません。当たり前ですよね、無理な注文をつける面倒くさい女優だったと思います。
地方公演に出るといっても丸々数日ヘルパーを頼むとなると赤字です。
それなら外に働きに出るかと考えるが、レジ打ちはどのパートの時給を見ても、やっぱり赤字。どうやっても自分が介護をするしかないんですが、そうすると収入ゼロ。
負の連鎖に陥りました。ブランド欲も一切なくなるどころか、ユニクロだって高くて手が出せない。父が残してくれたお金でなんとか食いつなぐしかない厳しい時期もありました」
<後編は11月27日(月)公開予定。>
※女性セブン2017年11月30日・12月7日号
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