古典って何のために読む?「日本を楽しむためですよ!」
“せいしょう・なごん”と呼ぶのは間違い
――みやびな女房装束といえば、まさに『枕草子』の世界ではありませんか。
「だからぜひ、『枕草子』を読んでいただきたい。冒頭の「春はあけぼの」からみやび全開ですから。何より、『枕草子』は明るいんです。明るく、華やかで、楽しい。清少納言と公達(きんだち=上流貴族の若者)たちとのやりとりも、じつにセンスがよくて……。読んでいてこれほど心が晴れやかになる文学作品は、日本の古典にかぎらず古今東西を見渡しても、めずらしいですね」
――でも『枕草子』を書いたとき、清少納言の仕えていた主人、定子(ていし)は決して幸せ絶頂とはいえない状況でしたよね。
「そうなんです。定子は一条天皇の妃(きさき)だったんですが、定子の叔父にあたる藤原道長は、娘の彰子(しょうし)を一条天皇に嫁がせ、実権を握っていきます。定子の兄弟もある事件をきっかけに左遷され、実家はどんどん没落していきます。しかし、そうした負の部分を清少納言はほとんど書かず、明るく華やかでみやびな宮中の世界をえがいたのです」
――ところで先ほどから気になっていたんですが、先生は、清少納言を、“せい・しょうなごん” と呼んでいらっしゃるような?
「そうです。正しく呼ぶなら、“せい・しょうなごん”。清少納言のお父さんである清原元輔の名前と、役職名の少納言を合わせた呼び方で、清原家の少納言さん、といったような感じ。清少納言とは女房としての呼び名で、本名はわかりません」
――当時の女性はみな、本名がわからないのですか?
「清少納言が仕えた定子のように、高貴な女性は別として、普通の女性の本名はほとんどわかりません。たとえば、『蜻蛉日記』の作者は藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)、『更級日記』の作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)。道綱生みました、だの、孝標の娘でございます、だの、親族の有名な人の名前や官職をつけて呼ぶことが多いんです」
――もしかして、紫式部も?
「紫式部の女房名は正しくは藤式部(とうしきぶ)です。父親の藤原為時は式部丞(しきぶのじょう)で、お父さんの氏と官職を合体した呼び方ですね。紫式部の名は、当時『紫のゆかり』と呼ばれていた『源氏物語』を書いたことからの名前です。そう呼ばれたかどうかはわかりません。ただ『源氏物語』は結構早くから知られていたから、当時すでに紫式部と呼ばれていた可能性はありますね。
ところで、清少納言という名にはちょっと謎があるんですよ。清原家には少納言だった人がいないんですね。なのになぜ少納言と呼ばれたか。これについては諸説あるので、講座の中で深く解説していくつもりです」
女房のモテ話は話半分で聞かないと
――清少納言と紫式部は同じ時代に生きた、ライバルどうしだったんでしょうか?
「一条天皇の最初の妃・定子に仕えたのが清少納言、そしてその後に嫁いだ彰子に仕えたのが紫式部です。同時代に生きてはいますが、紫式部が彰子に仕えたのは、清少納言が宮中を退いてからなので、時期はかぶっていません。でも紫式部は清少納言のことが気にくわなかったのか、『紫式部日記』の中で、清少納言のことを賢こぶってる女だと、悪口を書いてますね。まあ紫式部はほかの女房のこともあけすけに書いていますけど」
――どんなことを書いているんですか?
「同僚の女房が嬉しさで大泣きしたその様子を、涙をこぼすものだから、お化粧がはげはげになって、顔見たって誰だかわからなくなった、なんて書いてますね。あと、同僚が自分と同じ牛車(ぎっしゃ)に乗り合わせたらすごく嫌そうな顔をしてたけど、こっちだって、なんであんたと同じ車に乗らなきゃいけないの、とかね。おかしいやら怖いやら」
――聞いているだけで女同士の世界が目に浮かびますね。『枕草子』にもそういうところが出てくるんでしょうか。
「どちらかというと、男性を笑いものにしている話が多いですね。食いしん坊でKYな男性貴族がいて、上役を待って食事をしなきゃいけないのに、がまんできなくて衝立の後ろでひとり豆を食ってた、とか、もうお笑いみたいな話がたくさんあります」
――たしかに『枕草子』には公達の話がたくさん出てきますよね。清少納言ってモテたんでしょうか?
「まあ、清少納言は藤原道長とも仲がいいし、男性から人気はあったんでしょうね。ただね、女房というのは、みんなそういうふうな話をするんですよ。私がこういうことをしたら、あの公達がこう反応したのよー、とかね。
時代は下りますが、平家の時代、建礼門院(けんれいもんいん=平清盛の娘で安徳天皇の母)に仕えた建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)も、私ってモテモテちゃんだったの、平家の公達ともこんなやりとりしたのって、そういう書き方をするんですね。それをまるまる信用していいかはちょっと……。それが女房ってものなんですよ。自分を大きく見せたりもしますし、同情を買うように表現したりもします」