内館牧子さんインタビュー「日常から離れた講座を」
’88年に脚本家デビューして以来、TBSドラマ『想い出にかわるまで』(’90年)やNHK連続テレビ小説『ひらり』(’92年)、大河ドラマ『毛利元就』(’97年)など数々のヒット作を世に送り出す一方で、’00年からは女性で唯一の横綱審議委員を務めていた内館牧子さん。多忙を極めていた’03年、突如休筆して東北大学大学院に進学し、世間を驚かせた。その後も國學院大學の科目等履修生として、授業を受けていて『養老院より大学院:学び直しのススメ』(講談社)の著書もある。大学に行って学びたいことがどんどん広がっていったという内館さんにサイト「まなナビ」のオープンにあたって話を聞いた。
54才で大学院進学。学部の1年生と一緒に受講も
決定的となったのは、’00年、大相撲の優勝力士への大阪府知事賞贈呈をめぐって、当時の太田房江知事(現・参議院委員)が、女人禁制の土俵にあがりたいと発言したことだった。横綱審議委員だった内館さんは、太田府知事の意見に反対するも「もっと相撲の歴史を学ばないと、説得力がない」と、宗教学を本気で学ぶことを決意。54才の時、東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜に合格、進学した。
「私は大学が美術系(武蔵野美術大学)だったので、宗教学の基礎知識がゼロだったんです。それで、教授から学部の1年生と一緒に概論をいくつか受けてくださいといわれ、単位を取るためにはしょうがないと取ったんですよ」
テレビ局の小さな部屋で生きてきたんだなと
その中の一つにキリスト教史があった。
「私は相撲史をやるために大学院に入ったから、全然キリスト教なんて興味なかったんですけどね。でもそのキリスト教史の授業で、“ヘレニズム文化、ヘブライズム文化”っていう言葉が出たときに、うわ~ってすごく懐かしく感じたんです。そういえばあったな~、大学受験の時に一生懸命勉強したな~って。社会に出たらまず聞かないでしょう、ヘレニズムなんて(笑)。
でも同時に、ショックでしたよね。窓のないテレビ局の小さな部屋で、主役を誰にするかとか、ラストで翌週に引っぱりたいとか、視聴率に一喜一憂しながら、スタッフと毎日打ち合わせを続けて、私は20年間生きてきたんだなって。もちろんそれはそれでとても楽しい仕事ではあったけど、遠くに目がいかなくなってたんだなって気づかされたんです」
「あなたって危ない人なの?」と言われたりするが