《大脇幸志郎医師が指摘》「幸せな老後」のために必要なこと「病気の予防より“がっかり”の予防を」、お酒や煙草は「誰しも嗜む権利がある」
50代、60代と年を重ねるにつれ、食事や運動、生活習慣など「健康的な生活」を意識する人は多い。しかし、訪問診療で高齢者を診ることが多い医師の大脇幸志郎さんは、「幸せな老後を送りたいなら、健康に気をつけるより、大事な視点がある」と話す。医師としての経験も踏まえて、お話しいただいた。
健康に投資することは、勝ち目のないギャンブル
健康寿命を延ばすために、筋トレやウォーキングなど運動に励もうと考える人もいるだろう。しかし、運動を楽しめる人ならいいが、苦手な人が無理してでもやる必要はあるのだろうか。同様に、「体に悪いとされている」という理由で、嗜好品を我慢することに、どれほどの価値があるのだろうか――誰もが一度は考えたことがあるこうした疑問に対し、「つらい思いをしてまで健康を追求する必要はない」と明確な答えをくれたのは、医師の大脇幸志郎さんだ。
「私は今41才ですが、筋トレは苦手なのでやっていません。今筋トレをする苦痛と、60代以降のアクティビティの範囲が狭まる窮屈さを天秤にかけると、自分にとっては、前者の苦痛の方が重いからです。そもそも、将来のリターンのために、今何かを我慢する発想は基本的に持っていません。筋トレによって時間や体力が奪われることは100%確実ですが、それに対するリターンは不確定要素が大きいですから」(大脇さん・以下同)
どれだけのリターンを得られるかは、「努力」より「運」に左右されることが多いというのが、大脇さんの考えだ。
「生活習慣の改善などでリスクを減らすことはできます。しかしどんなに健康に気をつけていても、誰しも予期せぬ事故で障がいを持つリスクはありますし、特段健康に気をつけていなかったのに、長生きする人もいます。病気や障がいは予測しにくいものなのです。
むしろ確実なのは、長期的に見れば、いつかは三大疾病や肺炎になるということです。こうした重い病気で死に至るとか、後遺症を抱えることを避けたいというのが予防医学の発想です。しかしそれは先送りにしただけとも言えます。ピンピンコロリというのは幻想で、現実には健康寿命が延びればそのぶん寿命が伸び、どちらにしても不健康で生きる期間はできます。
そう考えると、健康に莫大なお金や時間を投資することは、勝ち目のないギャンブルだといえます」
病気の予防より、“がっかりの予防”を
では、運以外で、幸せな老後を送るために自分でできることはないのだろうか。そう聞くと、大脇さんは「病気や障がいに対する考え方を変えること」だと教えてくれた。これは運に次いで大事な要素だという。
「体が不自由な状態をつらいことだと捉えると、ネガティブな気持ちを抱えたまま余生を過ごすことになります。特に、若い頃からお金や時間を健康のために投資してきた人ほど、精神的ダメージは大きいでしょう。
確かに、体を自由に動かせないのは不便かもしれない。ですが、『痛いけどしょうがない。こういう状態なんだから気長に付き合おう』という気持ちになれれば、それほど絶望感を持たずに済むのではないでしょうか。要は、捉え方次第で幸福度は変わってくると思うのです」
とはいえ、いきなり考え方を変えることは難しいだろう。そこで大切なのが、若いうちから次のように戒めておくことだ。
「『自分もいずれは老いてよぼよぼの体になり、人に負担をかける時期が来る』『脳卒中で歩けなくなったり、麻痺を抱えて生きる確率は結構高いんだ』ということを、折に触れて思い出すこと。そして『それは普通のことだから嘆くようなことではない』と言い聞かせておくことで、いざそのような状態になったときに、落胆する可能性が低くなります。私はこれを“がっかりの予防”と呼んでいます」
病気になるもならないも運次第だと思うことも、“がっかりの予防”になる。
老い先が短い人は、何を食べるのがベスト?
食事に関しては、栄養バランスより「基本的には、自分が食べたいものが一番」だと、大脇さんは考えている。
「栄養面ではなく、何が好きなものかを考えてほしい。例えば介護中、どんなに体にいいメニューを選んでも、本人が食べられなかったら意味がありません。体力が落ちてきている人ほど、食べられないものが増えてきますから、食べやすさを重視すべきなのです。
それに、『○○をもっと食べて、○○は控えて』という指示が頭にあると、ご家族は毎日気をつけていないといけませんし、食事のメニューもかなり制約されてきます。それは本人にとっても、家族にとってもストレスになり負担が大きいですよね」
喫煙や飲酒による健康リスクをどう考えるか
高齢になると、喫煙や飲酒に関しても制限が伴うことが多い。本人にとって酒や煙草が生きる喜びになっている場合、健康を取るか、生きがいを取るかで本人と家族は大きな葛藤を抱えることになる。
「ドクターストップがかかっていても、飲酒や喫煙を止められない人はいます。私が在宅で診る場合、基本的に本人のやりたいようにやってもらうケースがほとんどです。
私が関わったケースをお話ししましょう。一人は、長年喫煙していたAさんです。Aさんは認知症が進み、余命わずかな進行がんも抱えていましたが、頼れる家族はおらず、一人で暮らしをしていました。体力が低下していたAさんは、ベッドで横たわりながら煙草を吸うことがささやかな楽しみでした。ところがある日、煙草の火で寝具を焦がしてしまった。結果的に事無きを得ましたが、部屋の中はモノがいっぱい積み上がっていたので、一歩間違えれば全焼していた恐れもありました。
どうしても吸いたい。だけど認知機能が落ちていて、火の始末がおぼつかない。がんもある。Aさんのニーズと現実を、どう折り合いをつけるか、訪問看護師さんと本人がとことん話し合いました。その結果、看護師さんが来ている間だけ喫煙をしていいというルールを設けました。普段はAさんの手の届かない場所に煙草を保管しておき、看護師さんが来たら煙草を渡す。本人は起きられないので、看護師さんが訪問しない限り、煙草は吸えません。いわば、“喫煙介助”ですね。
本来、医学は人を健康にするためのものですから、“煙草は悪”だという健康観や使命感を持っている人からすれば、喫煙介助のために訪問看護を利用するなんてとんでもないことでしょう。ですが、私はとてもいい話だと思ったんです。
看護師さんが、個々人の価値観に耳を傾け、最低限の安全を確保しつつ、希望を叶えるために真摯に考えてくれた。その結果、双方にとって納得の行く答えを出せたわけですから」
もう一人は、肝硬変を患っていたBさんのケースだ。Bさんは大の酒好きで、入居している老人ホームの個室に、禁止されているはずの酒瓶を持ち込み、隠れて飲んでいたという。医師からは飲酒により症状悪化のリスクがあることをさんざん説明されているにもかかわらず、だ。そしてそのことを、職員も家族も黙認していた――。
「賛否両論あるでしょうけれど、私自身、このケースにも感銘を受けました。
人は誰しも、リスクを引き受けて、酒や煙草を嗜む権利はあるはずです。私たちはそれをないがしろにしてはいけない。そのことを、私が呼びかけるまでもなく、訪問看護師や施設の方も認識していた。意外と、こうした考えをもつ方はいっぱいいるのだと気づかされた出来事でした」
若い人であれ、老い先短い人であれ、それぞれが幸せだと思うものを犠牲にしてまで健康を追求する必要はないし、周囲もそれを押し付ける権利はない。健康を追求したところで、確実にリターンを得られるわけではないのだから――。これが、多くの患者の最期を診てきた大脇さんが出した“答え”のようだ。
◆教えてくれた人:医師・大脇幸志郎さん
1983年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。出版社勤務、医療情報サイト運営の経験を経て医師に。著書に『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』(生活の医療社)、『運動・減塩はいますぐやめるに限る! ―「正しい健康情報」の罠』(さくら舎)、訳書にペトル・シュクラバーネク『健康禍――人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』(生活の医療社)などがある。
取材・文/桜田容子 撮影/浅野剛