高齢者に降圧薬は必要ない?「死亡・脳卒中・入院リスクに影響なし」との論文結果も <副作用に要注意!75才以上に慎重な投与を必要とする「降圧剤」リスト付き>
副作用をはじめとする降圧剤の問題点についてはこれまで繰り返し報じてきたが、海外でもこのテーマに関する調査が発表されていた。権威ある研究機関の論文は、なぜ日本の医学界で日の目を見ないのかーー専門医が裏側を明かした。
教えてくれた人
室井一辰さん/医療経済ジャーナリスト、大脇幸志郎さん/内科医、上昌広さん/医師、医療ガバナンス研究所理事長
「降圧剤やめても死亡率は上がらない」衝撃論文の内容
今から5年前の2020年6月、英国に本部を置く非営利の医療研究団体・コクランが、「高齢者が降圧剤を中止するとどのような影響が出るか」と題する論文を発表。具体的な内容は後述するが、その結論は次のようなものだった。
<降圧剤を中止しても、死亡リスクにはほとんど影響しないか、まったく影響しない>
<入院や脳卒中のリスクにはほとんど影響しないか、まったく影響しない>
コクランは今年3月にこの論文を更新。<主な結論は依然として当てはまる>とし、<降圧剤を中止しても死亡率、入院率、脳卒中率にはほとんど、またはまったく差が無い可能性がある>と記した。
医療経済ジャーナリストの室井一辰さんが語る。
「コクランは国際的な複数の研究論文から得られたデータを統合して評価する『メタアナリシス』という手法を用い、その根拠に基づいて医療の指針を示すことを目的にした組織です。『降圧剤の服用中止による影響』を示す6件の研究論文を探し出し、調査を重ねてきました」
コクランの調査の対象者は、高血圧症または心臓病の予防のために降圧剤を飲んでいた50才以上の合計1073人。被験者の年齢は58才のものから82才のものまであった。
研究期間は最短4週間から最長56週間で、6件のうち3件の研究では、降圧剤の投与量を徐々に減らしてから投与を中止していた。
一方、すでに心臓発作や脳卒中、その他の心臓病の既往症のある人は研究から除外したという。
結果は冒頭のように、死亡率、脳卒中率、入院率には変化がない可能性を提示したのだった。
「コクランには英国を中心に190の国や地域にメンバーがいます。英国は医療費が無料で、全額を国が公費で支払っているため、無駄な医療は極力やめたいという社会的なニーズが、世界的に見ても突出して高い。そのため“この薬は本当に必要なのか”という点について科学的根拠をもとに検証するエビデンス・ベースド・メディスンが発達している。コクランが『降圧剤をやめても死亡率に変化がない』とする可能性を示した事実は大きいと考えます」(同前)
降圧剤に詳しい内科医の大脇幸志郎さんも、コクランの公正さを高く評価する。
「研究データのなかには“薬が効いていそうなデータ”と“効いていなそうなデータ”が交ざっているので、調査のやり方によっては結論が変わる。効いていそうなデータばかりを集めて統合すれば、当然“効いている”という結論になります。しかし、コクランではバイアスがかからないよう存在する研究データを徹底的に探し出したうえで解析し、その論文は信用に足りるかどうかを精査している。今回の論文でも、心臓発作については『ほとんど影響がないと思われるが、その結果については非常に不確実』とした。客観的な調査だと感じます」
コクランが発表した「高齢者が降圧剤を中止するとどのような影響が出るか」レビューの要旨
【調査対象】
高血圧症または心臓病の予防のために降圧剤を服用している50才以上の成人1073人(被験者の年齢は58~82才)。心臓発作、脳卒中、そのほかの心臓病の既往歴のある人は除外した。
【調査背景】
高血圧は心血管疾患の重要な危険因子だが、降圧剤の使用は特に高齢者において、薬物有害反応や薬物相互作用の発生といった有害事象と関連している。一部の高齢者においては降圧剤の服用中止が適切と考えられる場合がある。
【調査目的】
高齢者における高血圧症または心血管疾患の一次予防に使用される降圧剤の中止の影響を評価する。
【調査期間】
最長で56週間。最短で4週間。
【調査項目】
降圧剤の服用を続けた被験者と中止した被験者の死亡率の変化。また心筋梗塞、脳卒中、入院、薬物有害反応(服用による副作用、または薬をやめた際に現われる反応)の発現率の変化などを算出した。
【調査結果】
●死亡リスクにほとんど影響しないか、まったく影響しない
●入院や脳卒中のリスクにはほとんど影響しないか、まったく影響しない
●心臓発作にはほとんど影響がないと思われるが、その結果については非常に不確実
●薬物有害反応のリスクにはほとんど影響しないか、まったく影響しないと思われるが、その結果については非常に不確実
●血圧を上昇させる
【調査の課題】
エビデンスが不確かで確固たる結論を導き出すことができない部分があった。今後の研究では、降圧薬の服用に対するベネフィットとリスクの不確実性が最も大きい集団、例えば虚弱体質の人、高齢者、多剤併用の人に焦点を当て、薬物の有害事象、転倒、生活の質などの臨床的に重要な結果を測定するべきである。
なぜ日本の医学会は無視をするのか?
大脇さんは論文が提示した結論について、こう推察する。
「最も大きいのは年齢の問題だと考えます。血管は年齢とともに衰えていくものです。高齢になると高血圧以外の様々な要因で血管が詰まり、破れてしまうことがある。つまり降圧剤を飲もうと飲むまいと、血圧以外の要因で脳卒中や心筋梗塞が起きて死亡するケースが多いのです。また、がんや肺炎など心血管疾患と無関係の死亡例も多く、高齢者にとって、実は血圧の高低は死因に占める割合としては非常に小さい。論文の結論には、こうした背景があるように思います」
大脇さんが根深い問題だと指摘するのは、コクランの論文が日本の医学界で話題にならないことだ。
「過去にも降圧剤の服用により寿命が延びることはない、とする研究結果はあるのですが、このテーマはなかなか日の目を見ません。コクランのケースも同じです。私自身、80才以上になると血圧による健康状態の差は相対的に小さく、体の機能低下が進んでいる人に関しては、血圧を下げても下げなくてもどちらでもいいという考えです。しかし、コクランの論文を受けて賛否が起きない日本の現状は疑問です」
なぜコクランの論文は“無視”されてきたのか。
大脇さんは日本の医局のシステムにひとつの原因を見る。
「大学の医局で循環器系の教授になるためには高血圧治療に関する論文を書くのが一番手っとり早い。そして、高血圧治療は研究を“やっている感”が非常に出やすい分野なのです。簡単に測定できるし、薬を処方すれば数値はすぐに改善するので論文を書きやすい。彼らからすると、高血圧を治療しても死亡率は変わらないという論文は、自分の研究意義を揺さぶりかねないので、目を向けたくないのでしょう」
結果、医師の思考停止に拍車がかかっていると大脇さんは指摘する。
「循環器内科では『高血圧=健康に悪い』という前提があり、もちろんそれ自体は間違いではないのですが、多くの医師は『血圧が下がった』という事実で満足してしまい、その先にある“生死にどう影響するか”まで考察を広げようとしません。事実、高血圧治療の研究論文は山ほどあるのですが、血圧が下がった結果、生存期間がどう変化したかを追跡しようとする研究者は日本ではほぼ皆無です」(同前)
自己判断で服用中止は危険
製薬会社の存在も見逃せないというのは、医療ガバナンス研究所理事長で医師の上昌広さん。
「医学部の教授のなかには製薬企業から金を受け取っている人も多く、なるべく製薬企業の臨床データを後押しするような論文を出すという利権構造があります。降圧剤のマイナス面についての研究結果があったとしても、言及を避けるケースは珍しくない」
日本の高血圧の基準値は下がり続けており、旧厚生労働省は1987年に180/100mmHg以上を高血圧の基準と定めたが、1990年には160/90mmHgに変更。2000年には日本高血圧学会が140/90mmHgという基準値を示した。
さらに2017年に米国心臓病学会と米国心臓協会が基準値を140/90mmHgから130/80mmHgに引き下げると日本も追随し、2019年に降圧目標値(75才未満の成人)を130/80mmHgに定めた。
これに伴い高血圧と診断される患者が急増。いまや日本の高血圧患者は約4300万人と推定される。
「降圧剤の売上は右肩上がりで、日本の降圧剤市場はすでに1兆円規模に達しています。製薬会社からすれば、コクランのような論文は“不都合な真実”と言えるのかもしれません。率先してクローズアップしようとは思わないでしょう」
そう話す上さんだが、この論文だけで降圧剤の服用をやめるのは極めて危険だと警告する。
「コクランの論文はあくまで高齢者にとって降圧剤を続けるのかどうかを考えるひとつの指標にすぎません。自己判断で服用を中止してはいけない。特に脳卒中や心筋梗塞の家族歴がある人はそのリスクが高いことが分かっています。服用を見直す場合は必ず医師と相談してから決めて下さい」
大脇さんもこう話す。
「コクランの論文は意義あるものですが、追跡期間が最大でも56週間である点など課題もあります。追跡期間をより長くとって、今後も正確な調査を続けていくことが求められています。当たり前の話ですが、血圧が高いことは健康に良い、というわけでは決してない。少なくとも70代までは高血圧の人が降圧剤を服用するメリットはあると考えます。コクランの論文は高齢医療を考えるうえでのひとつの重要な気付きを与えるものであって、降圧剤の効果をすべて否定するものではありません」
コクランも論文のなかで、エビデンスが不確かで〈確固たる結論を導き出すことができなかった〉点があることを記しており、今後の研究では虚弱体質の人や多剤服用者など対象を広げて調査する必要性にも言及している。
上さんが語る。
「死亡率の調査には至らなくても、降圧剤の副作用については日本でも研究が進んできてました。日本医師会も75才以上の人に対して『特に慎重な投与を要する薬物リスト』(下表参照)を作成し、降圧剤の副作用の注意喚起をしています。そのうえで、これからは日本の医学界も“病気のリスクが減った結果、生死への影響はどうなるのか”という広い視野を持って研究していくことが求められているのだと思います」