倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.76「死に向かう時間」
漫画家の倉田真由美さんの夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)。すい臓がんが判明してから「もって1年」という余命宣告を超えて1年9か月生きた。夫と過ごした最期の日々を振り返り、倉田さんが「なかなか答えが出せない」ことがあるとう。
知人が急逝して思い出したこと
先日、知人が急死しました。直前まで元気だったので、ご家族の驚きと衝撃は相当大きかったようです。おそらく亡くなった当人もそうでしょう。
たとえ病死であっても突然である場合と、時間をかけてゆっくり死に向かう場合と、二通りあります。自分で選べるものではないからこれについてあれこれ考えても仕方がないのですが、今回知人の訃報を受け思い出してしまう夫とのやり取りがありました。
生前の夫がテレビを見ていて、有名人の急な訃報が流れた時のことです。
「俺はがんでよかったな。いきなり死ぬんじゃなくてよかった」
「どうして?」
「わかってたほうが、いろいろできるじゃん」
確かに、時間に猶予があればそのための準備ができます。夫には財産といえるものはなかったのでその整理などは必要ありませんでしたが、「会いたい人に会っておく」ということはかなり熱心にやっていました。何十年かぶりに会った人たちとの話を、嬉しそうに私に語ってくれたことが何度かありました。
さらに夫は仕事相手に、「俺、もう死ぬんだからさ。これやってよ」と無理を通したりもしていました。つい先日用事で夫の会社に行った時も、「叶井さん、しょっちゅう『俺死ぬんだから』って取引先を黙らせてましたよ」と夫の同僚に笑いながら言われました。その時の夫の姿が目に浮かぶようで、私も泣き笑いしました。
死へ向かう時間
夫は本当に、「死へ向かう時間」を有効に使っていたと思います。
でも私には、「わかっていて、時間があってよかった」と素直にうなづくことがまだできません。以前から折に触れ考えているテーマであり、なかなか答えが出せないままでいます。
夫はがんがわかってから、1年9か月生きました。その間、時間をかけてじわりじわりと弱っていきました。お互い病気が告知される前と変わらず生活しましたが、1年半が過ぎ後半に入ってくると、段々と夫の「夫らしさ」が薄れていくような感覚を覚えました。病気が変えるのは身体だけではないんです。
そして何より私自身が、「夫の余命はそんなに長くない」ということに向き合いきれませんでした。むしろ余命宣告からの日々の長さに、「がんとは残酷な病気だ」と感じることもあったほど。何も知らずにポックリいくほうが楽なのではないか、と思わずにはいられませんでした。
今もまだ答えは出ません。でも夫自身が「時間があってよかった」と言っていたから、それには救われています。