《東日本大震災から14年》短歌でたどる上皇ご夫妻の「祈り」 美智子さまは「帰り得ぬ故郷」を題材に
上皇后美智子さまが、昭和と平成時代に詠まれた未発表の短歌が納められた歌集『ゆふすげ』(岩波書店)が、1月15日に出版された。同書では、震災について詠まれた和歌も収められている。被災者に寄り添う上皇上皇后両陛下の歌を紹介する。
東日本大震災から3年後に「復興」について歌に
『ゆふすげ』には、2011年3月11日に発生した東日本大震災について詠まれた短歌がある。
《帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云ふやを知らず》
震災から3年後、2014年に詠まれた短歌は、まだ故郷に帰ることができない人が多くいることに対し、「何をもって『復興』と言えるのか」と疑問を投げ掛けている。
地震発生から5日後、上皇さま(当時は天皇)が6分間のビデオメッセージで被災者を激励、救助にあたる人々を労わられた。その後は、美智子さまは上皇さまとともに足立区の東京武道館(3月30日)、埼玉県の旧騎西高等学校(4月8日)、千葉県旭市(4月14日)、茨城県北茨城市(4月22日)や、被災3県である宮城県(4月27日)、岩手県(5月6日)、福島県(5月11日)を回られた。
7週連続で多くの被災者を見舞われた美智子さまだからこそ、誕生した歌といえる。
復興のシンボルとなったスイセンの花
歌集『ゆふすげ』には、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を題材にした短歌もある。
《被災地に手向くと摘みしかの日より水仙の香は悲しみを呼ぶ》
地震発生から2週間後の1月31日、余震が続く被災地に向かわれた上皇ご夫妻。焼け野原となった神戸市長田区の菅原市場を訪問された際、美智子さまが皇居で摘まれた17本のスイセンの花を手向けられた。この献花から、スイセンの花は復興のシンボルとなった。
短歌は震災から2年後の1997年に詠まれており、スイセンの香りが震災を思い出させるという、美智子さまの悲しいお気持ちが表現された歌になっている。
震災の遺族から譲り受けられたひまわりの種
2019年の「歌会始の儀」で、上皇さまは阪神・淡路大震災に関する歌を詠まれている。
《贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に》
震災で亡くなった神戸市の加藤はるかさん(当時11歳)の自宅跡に咲いたひまわり。その種が「はるかのひまわり」として全国へと広がり、復興のシンボルとなった。
2005年1月、震災で家を亡くした少女が「はるかのひまわり」の種を「阪神・淡路大震災10周年追悼式典」に出席された上皇ご夫妻に手渡された。この種は皇居・御所の庭に蒔かれ、10年以上大切に育てられている。
平成最後の「歌会始の儀」で、ひまわりの成長の様子を詠まれた上皇さま。震災の被災者を忘れず、寄り添い続けていることがうかがえる。
上皇ご夫妻の歌が合唱曲や祭祀舞に
上皇ご夫妻の震災について詠まれた歌は曲をつけられているものもある。
2021年12月に全音楽譜出版社から出版された楽譜『荘厳のコラール、愛しみのアリア』は、上皇さまが東日本大震災の被災者をお見舞いになって詠まれた御製、《大いなるまがのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる》と、阪神・淡路大震災から10年後、神戸を視察された美智子さまが2006年の歌会始で詠まれた《笑み交はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ》をもとに、作曲家の千原英喜氏が曲を付けている。
また、上皇さまの御製、《大いなるまがのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる》は美智子さまが復興に立ち向かう被災者を思われた歌《今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失(う)せたるものの面影の上(へ)に》とともに、祭祀舞(神社などで披露される舞)である「光舞」(ひかりのまい)として創作され、2023年3月に宮城県石巻市の鹿島御児神社で行われた「東日本大震災物故者慰霊祭」で奉奏された。
おふたりの被災者へのお気持ちを詠まれた歌は、長い年月を経た今も、さまざま形で多くの人々を勇気づけている。
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