「実家の片づけを拒む90代の母」「免許返納を渋る70代の父」“高齢の親の困った”に【ナッジ】で解決する方法を行動経済者が解説「認知バイアスの特性を利用する」
「人を動かす手法『ナッジ』には、介護シーンの問題を解決に導くヒントがたくさんあります」とは、行動経済学者の竹林正樹さん。「高齢の親が外出を嫌がる」「実家の片づけをさせてもらえない」など、実例をもとに在宅介護の悩みを「ナッジ」で解決するためのアイディアを竹林さんに教えてもらった。
教えてくれた人
行動経済学者・健康科学博士 青森大学 客員教授 竹林正樹さん
行動経済学を用いて「頭がわかっていても健康行動ができない人を動かすには?」をテーマに研究を行う。ナッジを用いて高齢者に健診を促す手法をプレゼンしたTEDxトークはYouTubeで80万回以上再生されている。津軽弁で解説するヒゲの教授「ちくりん先生」としても人気で、年間200回ほどの講演活動も行う。著書に「心のゾウを動かす方法」(扶桑社)、「介護のことになると親子はなぜすれ違うのか」(GAKKEN)がある。公式サイトhttps://nudge-takebayashi.jimdofree.com/
在宅介護の悩みの解決に「ナッジ」を活用
欧米を中心に研究が進んでいる行動促進手法『ナッジ』が、介護を巡る人間関係改善にも活用できると注目されている。
「『ナッジ』は、認知バイアス(人の脳が自分の都合にいいように解釈をゆがめてしまう習性)の特性を利用して、相手を望ましい方向に導く手法です。ナッジは介護シーンでも活用できます」
こう語るのは、行動経済学者で、これまで3人の介護経験をもつ竹林さんだ。
→親に大事な話をするのは「おめかしして外出したときがいい」注目の人を動かす手法「ナッジ」の介護シーンでの活用方法を専門家“ちくりん先生”が解説
どのように「ナッジ」を活かしたらいいのだろうか。実例をもとに竹林さんの経験も交えて具体的な解決法を聞いた。
※実例は一部設定を変更しています。
実例1「80代の母から実家の片づけを拒否されてしまいます」(60代女性)
「実家の片づけをしようとすると、母に怒られます。どう考えても不要なものだからゴミに出そうとすると、『自分でやるから大丈夫!』と触らせてくれません。片づかないものたちで転倒でもしたら危ないのに…」
対処法「他人に支配されたくない”コントロールバイアス”を取り除いて」
「私もオフィスの机が雑然としています(笑い)。自分で片づけられないくせに、他人に捨てられるとなるのは嫌なものです。これは、他人に支配されるのを嫌う心理特性(コントロールバイアス)が関係しています。
お年寄りが片づけをしない場合、特に問題になるのは、ものにつまずいて転ぶことです。このため、お母さんのコントロールバイアスを刺激しないように、まずは動線上にある荷物を少し移動することから始めてみてはいかがでしょうか?捨てられるのは嫌でも、10cm動かすのはそんなに気にならないものです。
そして、どう考えても使わない服や物を処分するときは、『これ、売れるかもしれないよ。お店の人に見せるから、ちょっと貸してね』と言えば、『取っておいてよかった』と自分の行動が正当化され、コントロールバイアスがそんなに刺激されません。
私の父も『いつか使うから』と、使えなくなった蛍光灯、壊れたストーブをため込んでいました。そこで父には、『これ、新居で使いたいから、もらっていい?』と提案したところ、喜んで譲ってくれました。父は人の役に立てたと大喜びし、私も父の笑顔を見て幸せな気分になり、そして受け取った不要物は廃棄物業者に引き渡しました」
実例2「90代の母親がデイサービスを嫌がるので困っています」(60代女性)
「足腰が弱り、歩くことがおぼつかない90代の母。デイサービスになかなか行きたがりません。なじみの美容院に行くことは大好きなのですが…」
対処法『社会的ナッジ』で第三者を交える
「この問題を解決するには、美容室は新たな一歩を踏み出した時のご褒美にするのがよさそうです。
『近いうちにデイサービスに話を聞きに行こうと思っているから、デイサービスの帰りなら、美容院に送ってあげてもいいよ』という提案なら、お母さんも受け入れやすいと思います。
このように『外出したら、美容室』という流れをわかりやすくすること(顕著性ナッジ)で、お母さんもデイサービスに行く一歩を踏み出しやすくなります。
ここで注意すべきなのは『美容院は最後にすること』です。お母さんは、当日、『先に美容院に行って』と言い出す可能性もあります。もし先に美容院に行ってしまったら、現状維持バイアスが働き、『このまま帰る。デイサービスには行かない』と言い出す可能性が高いのです。だから、美容院の前を通らずに、真っ先にデイサービスセンターに向かってくださいね。
美容院はお母さんにとってソーシャルキャピタル※のようです。せっかくのソーシャルキャピタル、ぜひいい形で活用したいですよね」
※ソーシャルキャピタル=社会関係資本、人との関係性や社会との繋がりを資本として扱う考え方。
実例3「弟が母親の介護を手伝ってくれない」(50代女性)
「『お母さんの介護は男よりお姉ちゃんのほうがいいと思う』と、弟が介護を手伝ってくれません。私もパートをしているので、自分の家と両親の家の世話と仕事で疲れ果てています。もう少し弟に協力してほしいのですが…」
対処法「承認欲求を満たすお願いの仕方を試してみる」
「『介護は女性が担うもの』というジェンダーバイアスは根深いですね。これまでの成り行き上、女性が介護を担う状況になっただけなのに、未来永劫女性だけが介護を背負わされるのは、あまりにも女性へのリスペクトが欠けているのではないでしょうか。
介護にはいろんなタスクがあります。本人のニーズを把握し、役割分担を決め、それを指示するのも重要な介護であり、これらも含め女性が全部行う必然性はないはずです。
さて、このケースでは、『介護をもっと手伝って』とあいまいな頼み方をすると、『介護は女性の仕事』といういつも通りの回答が返ってくる可能性が高いです。ここは明確な行動指示をするのがよいでしょう。
『あなたは顔が広いから、今月中に市内のデイサービスを探して、見学の日程調整をしてね』『あなたは経理が得意だから、支払関係をお願いできるかな?』など、具体的に提案すると、引き受ける可能性が高まります。これを『具体化ナッジ』と言います。
弟さんは『これまで姉が介護をしていて問題がなかったので、自分が下手に手出しをしないほうがいい』と様子見しているかもしれませんし、介護にかかわらないことを心苦しく思っている可能性もあります。
自分の得意分野を認められたのであれば断る理由もなく、結果的に弟さんは『自分は何も介護をしていない』という罪悪感から逃れることができ、一歩前進できそうです」
実例4「70代後半の父親が運転免許の返納を嫌がる」(50代男性)
「忘れっぽくなった父に車の運転免許を返納するようにすすめていますが、いっこうに受け入れてくれません。事故に遭ってからでは遅いと家族で心配しています。いい説得方法はありますか?」
対処法「強い認知バイアスがある場合は目標設定を低く」
「運転免許の返納手続きは、手続きが面倒(現在バイアス)だし、別にこのままでいい(現状維持バイアス)と感じるものであり、本人には返納する動機が生まれにくいのです。
お父さんには、目標を『免許返納』にするのではなく、『車を運転しないこと』に変えてみてはいかがでしょうか?
マイカーが目の前にあると、やはり運転したくなりますよね。まずは『車の点検があるから』と言って、車を目の前から見えない場所へ移動するのがおすすめです。
今までもお父さんは車がない生活を経験したことがあったでしょうから、意外に受け入れてくれるものです。その際、『代車は1日1万円かかるので、移動にはタクシーを使ったほうが割安だよ』と説明し、タクシーを使うのに慣れてもらうとよいですよね。
『タクシーだなんてぜいたく』と考える人が多いですが、実際にはマイカーの維持費のほうが高いこともよくあります(事故を起こすことを考えたら、比較にならないくらいマイカーのコストは高いです)。どうしてもタクシー代を払うのに抵抗があるのなら、スマホアプリの使い方を教えてあげるとよいですよね。カードから自動引き落としなので、お金を払うストレスから解放されます」
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さっそく記者も実家の片づけをめぐって衝突しがちな母(90代)にナッジを活用してみた。
いつもなら、「これもう古いから捨てていい?」と言ってしまっていたが、「これを廊下に置いておくと転びそうだから、納戸によけておくね」と言い方を変えてみると、母は「はい、お願いね」と明るい受け答えをしてくれた。これからはナッジの手法も採り入れて、介護生活を円滑にしていきたいと感じた。
取材・文/本上夕貴