猫が母になつきません 第401話「12年前の私へ_その3」
昨日、田舎の道を車で走っていたら小さな動物が轢かれて死んでいるのが見えました。用事があって約束の時間にそこ行かなくてはならなかったので、かわいそうと思いながらそのまま通り過ぎました。猫かな?そういえば以前この近くで子猫を見たな。道沿いの農家の納屋をすみかにしているらしかった。
帰り道、その場所を通ると亡骸が道路の真ん中に移動していました。周りは畑と山で交通量は少ない道路です。また轢かれたというよりカラスか何かが動かしたのだと思いました。私は車を停めて車にあったタオルと軍手を持って亡骸に近づきました。小さな子だぬきでした。後ろ脚を轢かれていてその傷に銀蝿がびっしりとたかっていました。蝿をはらってタオルをかけ、小さな亡骸を持ち上げすぐそばの山に入って子だぬきを埋めました。葉っぱや木の枝を上にかぶせ、最後に近くに咲いていたアザミの花を置きました。車に乗り込んでから履いていたズボンやスニーカーに血がついてしまったことに気がつきました。「帰りにスーパーに寄ろうと思っていたのに…」そう思いながら帰途につきました。
帰ってからすぐにさびを近寄らせないようにして、服を脱ぎお風呂場で洗濯しました。血がついた部分をごしごししながら、まだ傷口の血が固まっていなかったのなら行きで見たときには生きていたのかもしれないと思いました。空の青、カラスの影、銀蝿がぶんぶんいう音、アスファルトの熱さ…いろんな感覚が脳裏に浮かびました。行きで子だぬきに近づいていて、まだ息があったとして、私に何ができた? やはり山の中に連れて行ってやることくらいだったと思います。
子だぬきを埋葬したのは帰ってからあの亡骸はどうなっただろうといつまでも気になるくらいなら自分でと思っただけなのに、そうしてもなおぐずぐず考えて泣いたりしている。まだ死に対してナイーブなのか? 何をしようと、しなかろうと、亡くなった者に対する思いは「悔いがない」ということのほうが少ないのかもしれません。
作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母と暮らすため地元に帰る。ゴミ屋敷を片付け、野良の母猫に託された猫二匹(わび♀、さび♀)も一緒に暮らしていたが、帰って12年目に母が亡くなる。猫も今はさびだけ。実家を売却後60年近く前に建てられた海が見える平屋に引越し、草ボーボーの庭を楽園に変えようと奮闘中(←賃貸なので制限あり)。