コメント
この記事へのみんなのコメント
-
イチロウ
2019-05-09
おお~! 終活ビジネスが御盛んですな~! 私自身は、人の終活は、法令に基づいて粛々と本人の死後に行われるのであり、本人は、最低限の後始末の準備を行うことで足りる、と信じていますので、「就活ビジネス」には縁遠い者です。 一例を挙げれば、本人が如何に特定の縁者に己の私財を残そうとした処で、民法に定められた相続分を犯すことは出来ません。 本人の死後にその意思に反しようとも、特定の縁者が裁判所に訴えれば、本人の意思は無視されます。 本人が生前に行うべきことは、己の今の生活に便宜なように生活を見直し、己の死まで己の生活の利便を図ることなのです。 死後のことまで考えるのは、無駄です。 従って、私の場合には、最愛の猫達が自分の死後に困らないように、ある動物保護団体と契約して、己の死後に猫達を引き取って貰えるようにしています。 一頭につき数十万円と高価ですが、猫とは言え、最早、家族になっていますので当然です。 後のことは、自分の死後に相続人がするべきことですので、私には関係がありません。 出来得るならば、生きている間に私財等の全てを使い切ることです。 我が家の長男猫が教えてくれたことです。 生きているものは、最後まで生きるように努める、と。
最近のコメント
-
加藤与施夫
2026-06-13
キューブラーロス女史による臨死体験を集めた本が話題になった事がありますが...いわゆる幽体離脱というお花畑や三途の川を認識する体験は...私には一度もありませんが...幽体離脱と思しき体験はあるのです…仰向けに寝ている時に起きた奇妙な錯覚かもしれないのですが...私の意識だけが空中浮遊して部屋の天井付近まで上昇してから..突然体に引き戻された不思議な錯覚は体験した事があるのです…この幽体離脱と思しき体験は...部屋が消灯している時に発生したので...周囲は真っ暗闇で何も見えませんでしたが...不思議な錯覚のような体験はあるのです…
-
ちゃぼ
2026-06-11
パソコン操作を手伝ってもらったとき、自分ひとりでできる気がしないのは私もまったく同じです! でもスマホの操作ができない上司に代わりアプリを入れて操作してあげたとき、「自分じゃできないだろうな」と思ったこともあります。 きっとその税務署のお嬢さんも「一人じゃできないだろうな」と思いながら手伝ってくださったことでしょう。遠慮なく来年も手伝ってもらいましょう!
-
gaku
2026-06-10
臨死体験談には、心肺が停止する前の現象と、心肺停止後の現象が混同して語られているようですが、厳密には心肺停止後に起きる現象ではないかと思います。特に幽体離脱は心肺が停止する前に体験する現象ではないかと思います。以前、NHKで人間の脳死に関する番組が放送されており、心肺が停止しても脳波により脳だけは数十分単位で活動を継続している事が推察されるようだとのことでした。その間に過去の人々との邂逅、トンネル、光、お花畑、幸福感など臨死体験で語られている現象が起きているのではないかと解説されていました。 私は、随分前に立花隆著の「臨死体験を」読んだことがあり、それ以後、臨死体験には関心を持っていましたが、NHKの番組を切っ掛けに専門分野ではありませんが自分なりに思索してみました。人間は心肺停止後、脳の機能が失われていく段階で、近々の新しい記憶から随時過去の古い記憶に向かって失われていき、生まれた時の記憶に至り、生まれた時の光と産道のトンネル、そして母親の胎内における幸せ感あるいは安堵感など、併せて三途の川、お花畑などの受精してから10カ月間にの記憶を辿り、生命が尽きるのではないかと思います。生まれる前の胎児は既に目を開いているそうですから、母親の胎内で、羊水の中から母親の薄くなった皮膚を通して外の光を感じ、その光が羊水の濃淡などで三途の川やお花畑に見えているのではないかと想像します、またお腹の外から入ってくる人の音声も感じ取っていたかも知れません。この説に対して、心肺停止から息を吹き返した人の臨死体験で語られる記憶は既に破壊し失われれていて整合性が取れないのではないかという考えもあるようですが、脳内の記憶を司る海馬の作用で過去の記憶に遡ると解釈すると、記憶自体は失わていない段階で生き返れば整合性が取れるのではないかと想像します。もし臨死体験がこのようであると、人の一生は、母親の中で過ごした10カ月の記憶を辿り、受精の時点まで遡って終わるのではないかと思われ、そうと仮定しますと、これまでの宗教観は変化を求めれれ、また臓器移植で心肺停止後に体内から臓器を取り出すタイミングにも変更を求められるのではないかと思います。臨死体験という現象は、オカルトとして放置されるべきでなく、早急に解明する必要があるのではないでしょうか。
関連記事
シリーズ