【身体拘束】廃止のための5つの基本的ケア|その人らしく過ごすために
さまざまな角度から「身体拘束」について考えている。前回に続き、身体拘束廃止運動の先駆け『多摩平の森の病院(旧・上川病院)』を訪ねた。
お話をうかがったのは、看護師長の井口昭子氏だ。
なぜ医療機関や施設は身体拘束をしてしまうのか。抑制廃止のための工夫、努力の先にあった『5つの基本的ケア』とは…。
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身体拘束をやめてわかったこと
“点滴や経管栄養の管を抜く”、“手足の筋肉が衰えているのに、ひとりで立ち上がって転んでしまいケガを負う“…。様々な事故を防ぐために身体拘束は行われる。
かつて身体拘束は『患者・被介護者』であり『医療・介護』のためであった。
ところが当連載で見てきた通り、身体拘束をやめると介護されている人は拘束されていたころより「その人らしく生きること」ができ、介護サービスを提供している側も仕事がやりやすくなることがわかった。
「多摩平の森の病院(旧・上川病院)は1986年に身体拘束禁止を宣言しました。私たちは当時、『身体抑制』という言葉を使っていました。身体抑制禁止を宣言すると、他の病院で抑制されていた患者さんがたくさん転院してきたのです。そこで私たちが考えざるを得なかったのが、抑制をせずその人らしく過ごしてもらう工夫でした」(井口氏)
立ち上がって自由に歩く。体を起こして食事をする。身体の清潔を保持し、朝夕にふさわしい着衣に着替えて過ごす。人間らしさやその人らしさを保持するための行為は、実は健康を維持するための行為でもある。
しかし身体拘束はこれを不可能にする。
1998年、同病院の調査で、他の病院から移ってきた高齢者117人のうち、65%が以前入院していた病院で身体拘束をされていたことがわかった。
「昼間の徘徊を防ぐためにベッドに縛ったとします。すると運動量が減り、夜中眠れずに騒ぐことになる。これを抑えるために向精神薬を多めに投与。薬剤の効能が朝方まで残り、足元がふらつくので立ち上がらないようにまた拘束。こうしたことが続くことでベッドに寝かされている時間が増え、身体機能が全体的に低下する。同じような病状でも、拘束された人とそうでない人では予後が違う。身体拘束を受けた人の一部には、非可逆的な器質的変化(編集部注:病変の原因となる身体の何かしらの損傷)が起きているのではないかと考え、それを起因として亡くなることを、私たちは『抑制死(※1)』と呼んでいます」(井口氏)
過度な身体拘束は食欲の低下、重い床ずれ(褥瘡)、関節の拘縮、心肺機能の低下などを招き、患者を弱らせてしまうということだ。
「現在、当院では患者さんの安全を確保した上で、基本的に自由に行動していただきます。例えば、当院で使っている車椅子は、ストッパーのハンドル部分に継ぎ足しをして、利用者の手に届きやすいようにしています」(井口氏)
腕の自由がきく人であれば、車椅子のタイヤを操作し行きたいところへ行く。腕が不自由でも足を伸ばして車椅子を移動させる人もいる。テーブルを使いたい場合は車椅子を使って近づき、自分でストッパーをかける。
本来ストッパーを操作するためのハンドルは利用者の手には届きにくい場所にある。ところが写真の通り多摩平の森の病院の車椅子は継ぎ足しレバーのおかげで利用者が自由に操作することができる。
拘束するどころか、どんどん動いてください。と言わんばかりの工夫だ。
身体拘束廃止を成功に導いた「5つの基本的ケア」
人としての尊厳を守る。その人らしい生活をする。さまざまな工夫や努力の末に、多摩平の森の病院が行き着いたのが『5つの基本的ケア』だ。
「『起きる』『食べる』『排泄』『清潔』『アクティビティ』の5つを徹底的にケアすることで身体拘束の必要を排除していくのです」(井口氏)
『起きる』
正しい姿勢で椅子に腰掛け、両足を床につける。重力が垂直にかかり心身を活性化する刺激を促す。ベッドに寝かされたまま、天井だけを見続けている状態とは全く異なる世界となる。
『食べる』
食べ物を噛んで、飲み込むのが生きていくための基本。味や形にも工夫するのはもちろん、食事の時間を十分にとり、口から食べることを続ける。脱水予防、栄養状態の保全につながり、健康な状態をキープすることができる。
『排泄』
排泄も生きていく上で欠かすことのできない行為。なるべくトイレを使うよう促し、どうしてもおむつを使うことになったら汚れたらすぐに取り替えることを心がける。
『清潔』
お風呂や清拭(せいしき)などで清潔を保つことは快適さばかりでなく合併症の予防にもつながる。皮膚の痒みなどを抑える効果もあり、身体拘束をしないためのケアとしては重要。
『アクティビティ』
良い刺激を与えること。寝巻きを着替え、車椅子に乗り、食堂に出ていき、コミュニケーションをとる。
当たり前のように見えるが、上の5つを徹底することが身体拘束廃止という革命を成功へと導いた。
例えば「下半身の筋力に不安があるから動けないように縛る」のが革命前だとすれば、革命後は「立ち上がりが可能な方であれば仮設の手すりを設置してでも歩いてもらう」となる。
多摩平の森の病院にはオリジナルの「可動式手すり」が常備されている。
ずっしりと丈夫な作りで、下に車輪がついている。例えば部屋の中に並べ、トイレまでの動線を作ることでつかまり歩きを促す。ベンチのような形状なので、疲れれば途中で腰掛けることもできる。
5つの基本的ケアで言えば、「起きる」と「排泄」の部分で大活躍するアイディアだ。
先に紹介したストッパーのハンドルを改造した車椅子も活動的に元気で生きるための工夫だ。
アイディアを絞り、この世になければ作り出す。紹介してきたような様々な取り組みで多摩の森の病院は身体拘束を廃止し、その人らしい療養生活を目指してきた。
拘束廃止を宣言したことで、様々なアイディアやノウハウが生み出された。多摩平の森の病院のケア技術の向上に『革命』はなくてはならないものだったのかもしれない。
※1:抑制死とは
他院で縛られていた体験を持つ患者さんが多く当院に転院してきた。同じような障害や病気で予後の予測をしていたが、中にはその予測と違い早く亡くなる患者が一部いらっしゃった。肺炎等にかかりやすい、そして治りにくく死亡するのが現実である。どうも高齢者を縛り続けると、身体的に非可逆的な変化が起きるのだろうと推測される。それを慢性抑制死と名付けた。1000回以上も講演等をして専門家たちにこの話をしたが、否定されたことは一度もない。
一方、抑制帯のひもが首に巻きついたり、嘔吐をして窒息死することがあるが、これが急性抑制死である。血栓による肺塞栓症、心電図上の変化や死後の解剖等で明らかになるが、これも急性抑制死となる。
抑制死の相関図は、抑制の悪循環として最悪こうなるということを示している。昔、抑制が多かったころはこれに近いこともあったと思われる。(多摩平の森の病院理事長・吉岡 充)
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。