安藤和津さん、娘に託す「車椅子でクラブへ。介護士はイケメンで」
脳腫瘍、認知症を患った母を在宅で長年介護した経験をもつ安藤和津さんが、横浜で行われた「シニアオータムフェスタ」(11月6日、主催:社会福祉法人聖隷福祉事業団)に登壇。「“ココロ”と“カラダ”を実らせる、シニアライフイベント」と銘打ったこのイベントに参集した、介護に関心を持つ多くのシニアの前で、母親を介護した日々、そして母親を見送った後の“介護後”うつ、そして娘たちへの思いを率直な言葉で語った。
母を憎んで、トイレの中で罵詈雑言をつぶやいていた日々
「トイレで一人、『クソババア!早く死ね!』と何度も独り言を言っては発散していました」と母を在宅介護していた当時の心情を赤裸々に語る安藤さん。
安藤さんの母が認知症を発症したのは70代に入る手前だった。おおらかだった母親が、手が付けられないほどのヒステリーを起こしたり、安藤さんや周囲の人たちに暴言を吐いたりするようになってしまったという。家に遊びに来たまだ幼い娘の友人に心ない言葉を浴びせることも。
「友人が家に来ている時に下半身裸で現れ、生理用ナプキン片手に『これ替えて』と言われた。母のそんな姿を見て泣き崩れました」(安藤さん、以下「」は安藤さん)
現在は俳優・映画監督の夫と2人の娘、そして孫たちに囲まれて仕事も順調。ずっと華やかな世界を歩んできたかのように見える安藤さんからは想像がつかないが、彼女が送った介護の日々は壮絶だった。介護中から安藤さんにうつの症状が現れたという。
「暴言を吐く母を憎んでトイレの中で『死ね、死ね』と、罵詈雑言をつぶやいていた自分を責めるようになって、最上の介護をしたいと思いつめる余り、自分自身を完全にすり減らしてしまったんです。当時は安心できるような施設もなくて…介護保険も導入されたばかりで信頼できるヘルパーさんに出会うまで、合計30人近くは替わってもらいました。母のようにしっかりしている人でさえ認知症になるんですよね」
介護が終わってから13年も苦しんだ「介護後うつ」
「介護が終わったらうつ病が抜けると思ったのに、あまりにも介護を背負いすぎて、燃え尽き症候群になってしまいました。母が旅立った後、娘たちが仕事を始めて自立していき、私は誰にも必要とされない存在なんだという気持ちになり、介護の後に“介護後うつ”に陥ってしまったんです」
介護後うつに13年も苦しんだ安藤さんは、感情が抑えきれなくなると、突然号泣したりしたそうだ。そういった感情をぶつける相手だった夫は、一番の被害者だったと語る。
「当時は心から笑えなくなりました。料理ができないどころか作り方を忘れてしまうし、テレビでは言葉につまり、エッセイストなのに文章も書けなくなってしまったんです」
娘たちへの“遺言”「介護士はイケメンがいい」
長女の安藤桃子さんは映画監督、NHK連続テレビ小説「まんぷく」にヒロインとして出演する女優の次女、安藤サクラさん。
安藤さんは2人の娘たちへの遺言を作っているという。
「痛いのは大嫌いだから体にどんなに悪くても痛み止めをガンガン打ってくれ。食べたいものは肉でも何でも好きなだけ食べさせてくれ。お酒が飲みたければ酔っ払うまで飲ませてくれ。踊りに行きたかったら車椅子でいいからクラブに連れていってくれ。介護士さんの面接は今のうちにしておく。イケメンがいい。好みのタイプを選びたい。死化粧はきれいにメイクしてくる人を頼んでくれ」
会場から笑い声が出るほどの明るい遺言。これは自身の介護の経験から生まれた娘たちへの愛情だった。
「娘たちの世話になりたくないんです。私自身は母を介護してよかったけれど、私はかわいい自分の娘たちに私と同じことはさせたくない。母は私に何も伝えないまま病に倒れ、逝ってしまった。もしかすると、母は介護を望んでいたかもしれませんが、私は何も聞いていないのでできませんでした。形見のことも遺産のことも聞いていないので、母の望むことはできなかったのではないかと心残りなんです…」
子どもの負担にならないように、元気なうちにこの世の始末をつけておくことを勧める言葉をメモする会場のシニアたち。具合が悪くなってからではなく、元気なうちに自分の最期の始末をつけておくことが大切だというメッセージに共感している様子だった。
「母には充分な介護をしましたが、納得してはいないんです。今でも後悔していることは、健康のことを考えすぎて、母が大好物だった天ぷらを食べさせてあげられなかったことです。母の日に車椅子OKのお店を探している内に、母が眠ってしまって結局食べさせてあげられませんでした。雑穀米がいい。薄味がいい。そういうことを押し付けてしまいました。母のように外を自由に歩けなくなって、おしゃれもできなくなった時、食べることぐらいが楽しみだったんじゃないかと思います」と振り返る安藤さん。
同じ経験を娘たちにはして欲しくないという思いから生まれたのが、娘たちへの“遺言”だ。
孫の誕生が介護後うつから抜け出すきっかけに
会場を訪れたシニアに「男性の自立度チェック」をするなど、終始和やかな雰囲気で語りかけた安藤さん。
講演を聞いていた80歳の女性は「自分も安藤さんと同じで、子どもには迷惑をかけたくないと思っています。介護付きの有料老人ホームに入っている友人がいますが、自分もどうするのがいいか考えるために今日は来ました」と話す。
この日はさわやかな水色の衣装で登壇した安藤さんだが、うつになっていた当時は色合わせができなくなって、1年中黒い服ばかり着ていたという。
「明るいはずの私が夜中になると『楽になりたい』と思いつめてしまう。死にたいのではなく、消えちゃいたいという気持ちでした」
そのような介護後うつから抜け出せたのは、孫の誕生がきっかけだったそうだ。
「辛かった記憶が孫のおかげで幸せに上書きされていきました。人生は絶対に捨ててはいけない。負けちゃいけない。孫のオムツを替えて、お風呂に入れて、食事をさせる。介護とまるで同じ作業ですけれど、明るい未来がある。孫の世話を通して、母の命は孫に受け継がれていると実感できたことが救いになりました」
安藤さんは、新著「“介護後”うつ『透明な箱』脱出までの13年間」(光文社)を10月に出したばかり。自身の介護経験を広く発信し、介護中の人、これから介護するかもしれない人への本音のメッセージが共感を呼んでいる。
撮影/政川慎治
【データ】
社会福祉法人聖隷福祉事業団
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