兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第150回 まさかのキッチンオシ?】
若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが日々の暮らしを綴る連載エッセイ。症状が進んできた兄は、ベランダで排尿してしまう通称「ベラオシ」を皮切りに、排泄のトラブルが止まりません。先日は、行方不明になってしまう事件も発生し、心が休まる日のないマナミコさんですが、またまた悲しい出来事が起こってしまった模様。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えるエッセイでしたが、もうそれどころではない状況か…。
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連載150回をお祝いしたいところなんですが…
いよいよ 150回目となりました。たくさんの励ましのお言葉、応援のお声がなければ、とっくに終わっていたことと思いますが、おかげさまで丸3年を迎えようとしております。自分がしている介護が正解かどうかわからない中、「大丈夫だよ」と言っていただいているような気がしております。そのお声がある限り、そして小学館さまが「書いてもいいよ」と懐深くいてくださる限り、ツガエは書き続ける覚悟でおります。(途中で気が変わったらごめんなさい)
今回は、前回予告した通り、わたくしが目撃した衝撃的な場面をお話しいたします。
それはマンションの大規模修繕工事の足場も取れ始め、兄の一人放浪の一件からも落ち着いてきたころでした。キッチンの流しのふちにお尿さまの痕跡を見たのです!
夕食の支度をしようと台所に立つと白い流し台のふちに黄色い液体が…。洗面所で用を足す兄のおしるしとそっくりなものが、ついにキッチンにもついてしまいました。
「許せん!」と猛然と怒りがこみ上げ、手にしたコーヒーカップを床にたたきつけたい衝動にかられました。でもそれが従姉弟からいただいた値の張るカップだったのでギリギリで思いとどまり、握りこぶしを作ってワナワナと震えました。
泣きそうになりながら掃除をし、消毒をし、嫌々食事を作りました。あとから「お茶かスープだったかも」と可能性を考えて、なんとか平静を保とう努力いたしました。
でもその数日後、キッチンの流しの前でそそくさとズボンを上げている兄がいたのです。
何食わぬ顔で椅子に戻ってテレビを観る兄。わたくしはその後ろ姿に向かって申し上げました。「今、ここでオシッコしたでしょう」と。でも兄は「え?」とすっとぼけます。
「ここは何をするところか知ってる? ご飯作るところなんだよ」
そういっても兄は「そうか、そうなんだ」と白を切ります。
「ここでオシッコしちゃダメなの。食べる物を扱ってるんだから」とだんだん語気が強くなっていくわたくしに、兄は「すんません。もうしません」とのたまいました。いつもの姑息な手段です。すかさずわたくしは「今、謝ってくれたけど、何に対して謝ったの?どんな悪いことをしたか教えて?」と訊いてみました。
答えられない兄にさらに「もうしませんって、何をしないって言ってるの?」と畳みかけ、ふと「こんなこと言わせてもしょうがないんだ」と思い、アホらしくなってやめました。
そして天井を仰いで「ここでオシッコしないようにするにはどうしたらいいの!?」と叫び、兄と口を利くのをやめました。
できれば流しのふちに有刺鉄線を設置したいくらいです。でもそんなことはできないので、取り急ぎお米やジャガイモを入れているキッチンワゴンを流しの前にビタリとつけ、袋ラーメンを流しのふちに並べて、オシッコするにはいろいろどかさなければならない状態を作り出しました。
当然、わたくしにとってもかなり面倒なわけですが、“キッチンオシ”(キッチンでオシッコ)を阻止するにはやむを得ません。でも兄はチャンスがあればキッチンでやろうとする傾向があり、うっかり障害物を置くのを忘れてキッチンを離れると、次に見たときには例のおしるしがついている。油断も隙もないとはこのことでございます。
そんな中、兄の放浪騒動でお世話になった交番と管理人さまに手土産のお菓子を持ってご挨拶に伺ってみました。でも、どちらとも受け取ってもらえませんでした。あくまで規則だったり、善意だったりするのですが、「こういうのはいただけませんから」と丁寧に押し返されたわたくしは、なぜかものすごく悔しくて、家に帰るなり手提げ袋ごと床に投げつけました。ひしゃげてしまった箱の角を見てますます悲しくなったのは言うまでもございません。この怒りはおまわりさまや管理人さまに対してではなく、兄に翻弄された上に、こんな小さな自己満足も許されない、何もかもうまくいかないここ数年の人生に対してです。「どんだけいじめたら気が済むの~!」と天を睨んだ瞬間でございました。
まだ怒れる気力があるだけ健康だと自己分析しております。これからもどんどん怒って毒を吐いていく所存でございます。宜しくお付き合いのほどお願いいたします。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ