寺田ユースケさんが歩んだ10年「僕にとって車いすはシンデレラのカボチャの馬車」
寺田ユースケさんは、「車いす芸人」「車いすホスト」「車いすヒッチハイク」など、車いすを相棒に、新たなことにチャレンジしてきた人だ。現在はYouTuberとして、一児のパパとして、長野を拠点に活動している。介護が必要な人にとって、車いすや車といった移動手段が、生活にどんな変化をもたらすのか――。寺田ユースケさんに、車いすのある暮らしや現在の心境を聞いた。
20才で出会った車いすで人生が変わった!
「僕にとって車いすは、まさにシンデレラに出てくるカボチャの馬車でした」
車いすとの出会いについてとても楽しそうに語る寺田ユースケさん(31才)。現在は長野県で妻の真弓さん(31)、息子の深旅(みたび)くん(1才)と3人で暮らしている。
「雪深い長野では車いすでの移動は大変。人生で初めて車も購入しました。今のことろ、運転するのは妻ですが」と、取材に同席してくれた妻の真弓さんと夫婦で笑い合う。
「僕は生まれつき脳性麻痺でうまく歩けないのですが、生まれた瞬間から車いすを使っていたわけではないんです。ふらふらして足を引きずってしまうような感じですが、幼い頃から自分の足で歩いてきました。
だけど、30秒くらい歩くと息が上がってしまうような生活をしていて、ずっと自分に自信が持てなかったんです」
車いすに乗ることを決断したのは、ユースケさんが20才のとき。「試しに1週間だけ…」。迷いながらも車いすに乗ってみると――。
「僕の人生が変わった瞬間でした。車いすが僕の人生で移動という革命をもたらしてくれた。シンデレラが舞踏会に行けたように、僕にとって車いすはカボチャの馬車。本当に魔法の乗り物だと思いましたね」
ユースケさんを夢の世界へと導いたのは、出身地でもある愛知県の企業、日進医療器の車いす。
「当時乗っていたのは、『EVOLUTION AS-Ⅱ』で折り畳みできるタイプで、ホスト時代も使っていました。
今乗っているのは2台目で『AS-3 Shock absorber』という車種。ショックアブソーバーが振動を吸収してくれるので、乗っていてもガタガタしなくて安定感があって、腰への負担も軽いように感じます」
「車いすに出会ったときは大学生で1年間イギリスに留学しました。そのあとお笑い芸人やって、ホストをやって、ヒッチハイクの旅もして。20才から30才までの10年は、車いすに乗る前の僕からは想像もできないような人生を歩めたんです」
新たなことに果敢に挑んでいくユースケさんについて、妻の真弓さんはこう考えている。
「最初に出会ったときは『とにかく明るい車いすの人』という印象(笑い)。何か行動をしようといつも考えていて、自分で道を切り開こうとするところがカッコいいって思います。
車いすホストのきっかけを作ってくれたのが、乙武洋匡さんだったんです。ずっとファンだったようで手紙を書いてアタックし続けて、今は師匠と弟子のような関係で、YouTubeで共演もしてくださっています」(真弓さん)
新宿歌舞伎町でホストとして働いた経験は、著書『車イスホスト』(双葉社)に綴られているが、源氏名は「クララ」。アルプスの少女ハイジでは「クララが立った」シーンは有名だが、実はユースケさんも車いすから立ち上がる新たな計画を実行中だ。
車いす生活10年目の新たな出会い
「車いすと出会ってからの10年は本当に夢のような時間でしたたが、それと同時に、僕の足は使わなければ使わないほど体調が悪化するということに気が付いた10年でもありました。
あのときの僕は自分の殻を破るということと、足が悪くなるというのを天秤にかけたとき、足が悪くなったとしても、車いすという移動手段を使って自分の人生を切り開く可能性にかけたいと思っていたんですよね。
だけど息子が生まれることがわかって、仕事も子育ても頑張りたいと思っていたのに、すごく体調が悪くて冬になると体がこわばってまったく動けないという状態でした」
車いす生活10年目、ユースケさんは30才のときに新たな転機を迎える。
「2020年4月に息子が生まれたんですが、その2か月前に装着型サイボーグ『HAL(ハル)』※と出会いました。これは僕の人生でも面白い出来事だと思っていて。ハルを装着して歩くトレーニングを始めました。
車いすは、僕の人生を変えてくれたけど、これからは車いすを卒業して、好きなときに乗れるような生活にしたいなと思って」
※『HAL(R)(Hybrid Assistive Limb(R))/サイバーダイン社が開発する装着型サイボーグ。装着した人から送られる生体電位信号を読み取って、意思に従った動作をサポートする。足腰が弱った高齢者や、障がいを持つ人の自立歩行を支援する機器として注目を集めている。
ユースケさんが発信するYouTubeチャンネル『寺田家TV』でも“サイボーグパパ”と自ら名乗り、「息子の子育てのために歩けるようになること」が目標にある。
「2月に開始して息子が3か月になる7月には、車いすから手も使わず立ち上がれて、息子を抱っこできるようになった。あのときは感動しました。
動画にも残していますが、『【車椅子卒業】一生治らないはずの障害が治りました』っていうタイトルで、400万回再生されているんです。タイトルがちょっと“釣り”ですが(笑い)、治ったって言いきってやろうと思って」
「何年後かの未来に本当に治った!と言いたい。これからもHALで歩くトレーニングを頑張って、本当に車いすを卒業したいというのが今の気持ちです。
10年お世話になった車いすは僕の人生を変えてくれたけど、これからはセグウェイみたいな移動ツールにしたい。母校に帰るような感じで、車いすを使いこなす人生にしたいと思っているんです」
カボチャの馬車から立ち上がったユースケさんの挑戦は、これからも続いていく。
(次回は『車いすヒッチハイクの旅』のお話をお届けする予定)
お話を聞いた人
寺田ユースケさん
愛知県生まれの31才。長野県に暮らす一児のパパ。生まれつきの脳性麻痺で足が不自由ながらも20才で出会った車いすで人生が一変。「車いす芸人」「車いすホスト」「車いすヒッチハイカー」など、異色の経歴を持つ。チャンネル登録者数10万人を超える『寺田家TV – サイボーグパパ』で情報を発信するほか、クラウドファンディングを展開する企業『CAMPFIRE』にも勤務。著書『車イスホスト』(双葉社)。
取材・文/氏家裕子