兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第91回 あの事件、再び】
若年性認知症の症状が進んできた様子の兄。同居する妹のツガエマナミコさんは、意を決して、地域包括支援センターに相談に行ったところ、要介護認定の調査員が来宅。兄は穏やかにやり取りに応じていたのだったが、その夜に、あの事件は起きてしまった!?
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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洗面所で衝撃の光景が
介護認定調査を受けた日の翌朝、日課である掃除機をかけながら、洗面所(脱衣所)の扉をガラガラと開けた途端にそれはわたくしの目を奪いました。
パンパカパーン!第2回、脱糞事件の幕開けでございます。ちょうど第1回脱糞事件(第84回)からひと月後ほどのタイミングですので、これはもうレギュラー化すること間違いなしの大人気企画!
朝からのそれは、深夜のそれとは気分が違います。深夜の掃除もかなり凹みましたが、朝からはもっと凹みました。朝食も準備しなければならないし、ゴミ出しだってございます。己の顔も洗えないまま、ゴム手袋をし、濡れティッシュで床をゴシゴシ、ゴシゴシ…。「おはようさん」と部屋から出てきた兄に、「ちょっと朝ごはん作れないから、しばらく待ってて」と言った声が怒りと悲しみで震えてしまいました。
やはり深夜の強行だったようで、今回は朝までに時間が経っており、半端じゃないこびりつき。兄がティッシュでぬぐったことで汚れが広がっており、狭い洗面所の床がほぼ一面黄色くなっておりました。少しずつ水をかけながらティッシュでぬぐい、雑巾で4度拭きしたあと、仕上げに除菌スプレーの大量噴霧。それでも気分の悪い洗面所です。もうさわやかなお風呂上りに素足をバスマットから1ミリでも踏み外したくはございません。
慣れてくれば、こんな惨事も「朝飯前」になるのでしょうか……。
要介護調査の結果が出るまでには1~2か月かかるとのことですので、まだどうなるかわかりませんが、あの日ひとつわかったことは兄が今の暮らし(三食おやつ昼寝付き・テレビ見放題・動かない・働かない・干渉されない)に慣れ切って、新しい場所や新しいことに後ろ向きだということでございます。
というのも、要介護認定員さまが来訪するにあたり、兄にもある程度説明しなければならないと思い、なるべくさりげなく、何でもない風を装って「もうお仕事を辞めて2年が経ったのね。ずっと家でテレビ見てるだけでしょう」と切り出してみました。「せっかく体は元気なんだからケアセンターで運動したり、お年寄りの話し相手になったりして、社会貢献したほうがいいんじゃないかなと思ってさ。それができるかどうか、調べてくれる人が来るのよ」と遠回しに来客の説明をしました。すると明らかに顔が曇り、下を向いて「え~?行かなくちゃいけないの?」と苦悶の表情をしたのでございます。
わたくしは兄のこの顔にめっぽう弱く、思わず「もちろん、行きたくなければ行かなくてもいいんだよ」と言ってしまいました。でも本当は全力で行かせたいわけで、嘘つきの自分を嗤(わら)ってしまいました。
そんな話しの1時間後に調査員さまがいらっしゃいました。兄はわたくしとの会話を記憶している様子もなく、持ち前の愛想の良さでお客さまを迎え入れ、お帰りになる頃には「ご苦労様でした。今日はあと何件回られるんですか?」と、十八番の質問をしておりました。あらゆる来訪者さまに放ってきたご愛用のセリフでございます。
脱糞事件はその夜勃発いたしました。愛想よく話しておりましたが、答えられない質問も多かったので、兄なりにストレスだったのかもしれません。
昨年に引き続き我慢を強いられるゴールデンウィークでございます。「そんなこともあったね」と言える時は必ずやってまいりますので、わたくしもいつか兄をどこかに預けて小旅行ぐらいしたいと願っております。そんな可能性を考えられるだけで、わたくしの人生も少し明るくなるというもの。すべては介護認定調査の結果次第でございましょう。結果が出ましたらご報告いたします。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ