ハリー杉山さん、東京都主催の「認知症シンポジウム」で専門家と対談「認知症になっても新しい扉は開ける」
「令和8年度東京都認知症シンポジウム」が東京都庁で開催された。今回で20回目を迎える同シンポジウムに、タレントのハリー杉山さんが登壇。東京都健康長寿医療センターの岡村毅さんと対談を行った。その一部をレポートする。
令和5年6月に成立した「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」により、9月は「認知症月間」、9月21日は「認知症の日」と定められている。
東京都では、令和7年3月に策定した「東京都認知症施策推進計画」に基づき、認知症のある人が希望を持って暮らすことができる東京の実現を目指し、認知症月間を中心にさまざまな普及啓発活動を行っている。その取り組みの一環として開催されたのが今回のシンポジウムだ。
父親の介護経験をもつハリー杉山さんと、高齢者のメンタルヘルスの研究に従事する、東京都健康長寿医療センター・研究部長の岡村毅さんによる対談では、「認知症に対する考え方や接し方のヒント」が体験を通して語られた。
ハリー杉山さん「認知症になっても人生は続く」
ハリー杉山さん(以下ハリーさん):父(イギリス人ジャーナリストのヘンリー・スコット氏)が認知症と診断されたとき、僕は「信じられない」と思いました。セカンドオピニオンを取ろうとしたし、認知症と向き合うことは、人生の最後に向かってカウントダウンが始まることだと勘違いしていたんです。
父が亡くなったのは2022年です。認知症と診断されたのは2012~2013年ごろでしたから、その後10~11年ほど、認知症やパーキンソンとともに生きました。
今振り返って後悔しているのは、診断直後のことです。僕は父に「仕事なんか諦めるべきだ」といった強い言葉をかけてしまった。僕と母で全部支えなければと思い込んでいたんですよね。
もし、あの頃に「認知症になっても人生は続く」と知っていたら、父との時間はまったく違ったものになっていたと思います。
岡村さん:まさにそこなんです。認知症になったら人生が終わるわけではありません。むしろ、認知症になったからこそ生まれる人との関係や、これまでとは違う経験もあります。
日本では高齢化が進み、認知症のある人がいることが当たり前の社会になっていきます。だからこそ、これまでの認知症に対する考え方そのものを変えていく必要があります。
接し方によって相手の表情も反応も変わる
ハリーさん:父が施設で暮らすようになってから、僕の反応によって父の1日が変わることに気づきました。
僕のことを息子だと分からないこともありました。でも、そこで僕が慌てて「僕だよ、息子だよ!」と言うのではなく、明るいトーンで接すると、「ああ、そうだ、そうだ」と反応してくれることがある。
僕の表情や声のトーンによって、父の反応が変わるんです。そこで、「じゃあ、父にとって何が大切なんだろう」と考えるようになりました。
父は新聞記者でした。1964年の東京オリンピックをきっかけに日本の文化や歴史に魅了され、日本について世界に発信するジャーナリストになった人です。
音楽も大好きでした。昔聴いていた音楽を流したり、マッサージをしたりすると、昔の話をしてくれることがありました。そして「紙をくれ」と言うんです。新聞記者だった父にとって、書くことは大切なことだったんですよね。
だから、認知症になった後でも、できることはたくさんあるんだと思いました。
イギリスにも連れて行きました。父の故郷で、親戚にも会わせました。僕が一番したくなかったのは「後悔」だったんです。
岡村さん:「本人がやりたいことは何なのか」を聞き出して、一つずつ実現していく。これはとても大切なことだと思います。
認知症になったことを「残念だった」と捉えることも多いですが、認知症になったからこそ経験できる世界もあります。
ケアをする人が、人生の最期に寄り添う中で、「人生についてすごく学んだ」と話してくれたことがあります。短い期間でも、とても濃密な関係が生まれることがあるんです。
介護経験を伝えることで「自分だけじゃない」と思えた
ハリーさん:介護について分からないことは、介護のプロの方たちにとことん聞きました。そして、もう一つ大きかったのが、「隠さなくていい」と思えたことです。
最初は、父が認知症になったことを恥ずかしいと思って、仕事でも隠していました。でも、表で話すようになってみると、「自分も同じ経験をしています」と声をかけてくれる人がたくさんいた。「自分だけじゃないんだ」と思えたんです。
岡村さん:ひとりで抱え込まないことは、本当に大切です。
ハリーさん:介護では、もちろん大変なこともありました。父はパーキンソン病でもあったので、立ち上がってくれなかったり、トイレに行ってくれなかったりすることもありました。
その頃僕に知識がなかったので、無理に引っ張ろうとして、二人とも転んで腰を痛めたこともあります。
そんなときは、自分がカッとなる前に一度外の空気を吸うと、少し余裕を持って話せること知りました。
そして、父と接する中で、「声を荒らげない」「後ろから話しかけない」ということも学びました。父が座っているなら、前から、目線を合わせて話す。耳が聞こえにくかったので、ゆっくり、紙なども使って伝える。
岡村さん:それはまさに「ユマニチュード」(認知症の方の人間らしさを尊重するための技法)の考え方にもつながります。
認知症のある方に後ろから大きな声で話しかけると、本人からすれば突然のことですから、不快に感じることがあります。
前から、本人と同じくらいの高さで目を合わせて話す。ハリー杉山さんは、ご自身の経験から自然にそこにたどり着いたんですね。
ケアというのは、実はとても頭を使う、人間的な行為なんです。今話を聞いていて「そっか自分でユマニチュードに到達したんだ」と思ってちょっと感動しました。
ハリーさん:不思議なことに、その後、実際に福岡に行って、ユマニチュードに触れる機会があったんです。実際に自分が体験してみると、「こういうふうに感じているのか」と気づかされることが多くて、ものすごく勉強になりました。
認知症でも「できること」はたくさんある
ハリーさん:岡村さんはこれまで、たくさんの認知症の方と接してこられたと思いますが、認知症と向き合いながらも、自分らしく生きているかたって、たくさんいらっしゃいますか?
岡村さん:地方の精神科病院に医師として通っているのですが、そこには認知症病棟があって、認知症のかたが、ただ病院にいるだけで、ほとんど何もせずに過ごしていました。
「これは、ちょっと違うんじゃないか」と思ったんです。その地域は稲作が盛んな土地で、みんなで田んぼを作ってみることにしたんです。できることを、それぞれのペースでやってもらえたらいいと思ったんです。
すると、それまで寝たきりで、ほとんど何もしていなかったかたたちが、田んぼに行って、畑作業をするようになってどんどん元気になっていったんです。中には、車いすで田んぼに行ったかたが、車いすを置いたまま歩いて帰ってきてしまうこともあって(笑い)。
ハリーさん:ええ! それはすごいですね。
岡村さん:そうなんです。それくらい、皆さんには「やりたいこと」があったんですよね。
そして、実は一番変わったのは、病院のスタッフでした。それまでは「患者さんを安全に、静かに、しっかり介護する」ということを大切にしていました。患者さんには「患者さんらしく」過ごしてもらうという考え方です。
ところが、田んぼに出てみると、その境目がなくなるんです。誰が患者さんで、誰がスタッフなのか分からない。みんな一緒になって田んぼで作業をする。
最初は、「転んだらどうしよう」と心配する声もありました。でも、実際に田んぼで転んだのは大学生だけだったんですよ(笑い)。
高齢のかたたちは、昔取った杵柄で意外と転ばないんです。この経験から、私は「安全だから何もしない」のではなく、できることを作ってあげるのが大切だと思いました。
ハリーさん:父の場合は、体を動かすことも効果的でしたね。好きな音楽を聴かせながら、足を動かしたり、自転車型のマシンを使ったりすると、音楽のリズムと足を動かすリズムが合ってくるんです。
「これは父にとっていい方法なんだ」と感じました。
動くから食欲が出てきたり、表情が変わったりすることもありました。
岡村さん:大切なのは、「認知症の人だからこうする」と決めつけるのではなく、その人自身を見ることですね。
何が好きだったのか。何に情熱を持っていたのか。何をすると楽しいのか。
野球観戦かもしれないし、絵を描くことかもしれない。職人だった人なら、昔から魂を込めて作ってきたものかもしれない。可能性は無限にあります。
認知症になったことを、すべて「できなくなったこと」と捉えるのではなく、「人生の新たな扉」と考えてみる。そうすると、見える景色も変わってくると思います。
ハリーさん:認知症になっても、その人の人生は続いていきます。
だからこそ、その人自身が何を大切にしているのか、何をしたいのかを、一緒に考えていけるといいですよね。そして、家族だけで抱え込まずに、誰かとつながりながら、当事者も家族もその人らしい人生を続けていくことが大切なんだと思います。
構成/介護ポストセブン編集部
