《義妹がくも膜下出血で急逝》68歳ライター、悲しみに暮れる中で感じた「食べることは生きること。残された人間は前を向くしかない」
大切な人を失った時、前を向くにはどうしたらいいのだろうか──。悲しみの中で支えとなるものもある。3月下旬、くも膜下出血で義理の妹が急逝し、いまだに胸が締め付けられるような日々を送るオバ記者ことライターの野原広子氏(68歳)は「食」の大切さを感じたという。
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義妹がくも膜下出血で急逝
思えば4年前に母親の介護で茨城の実家に帰って4か月間暮らして以来だね。11歳年下の弟の同級生妻の“Nみ”がくも膜下出血で急逝してから10日間、弟の家で暮らした。この家には思い出がある、なんて生やさしいものじゃない。
大手住宅メーカーに発注する段階から「同席してくれないかな」と言われ、Nみの美意識に合わない住宅メーカーの提案を片っ端から退けた私。家具選びや玄関に飾る抽象画選びにも加わって「なんの不満もない」と30代の夫婦は喜んでくれて、めでたし、だったんだけどね。
きれい好きなNみの手入れが行き届いた家は美しいままだったけれど、20年経つと人は変わる。いつしか吹き抜けのリビングが寒くてたまらなくなったんだわ。それで寒い間はつい足が遠のいていた。するとNみは「うちは冬は家の中でダウンを着てるよ」と笑っていたのがついひと月前のこと。そうなのよね。30代に建てた時は50代の体感温度がまったく想像がつかないんだよ。これから家を建てる若い人に言いたい。「年寄りのいうことは、とりあえず聞け!」と。ま、「知るか!」と即座に却下されるに違いないんだけどね。「誰がこれからずっとローン払うんだ!大きなお世話だ」とかね。
違和感しかない家
Nみのいない家は違和感しかない。その中に3日間、無言で横たわり、4日目の葬儀を経て、Nみはひと抱えのお骨になった。そうしている間にも刻々と時は過ぎる。Nみのお姉さんは葬儀のあと3日間、三食作ってくれた。そのたびにNみの祭壇に供えて私たち3人は黙々と食べた。
葬儀から4日目。「もう大丈夫だよ」と弟がいうのでとりあえず退去することにして私は高速バスで上京した。さて、これからどうしよう。Nみが倒れてから12日間は”時の落とし穴”に落ちたようだったけれど、さて。差し当たり以前から入っていた予定をどうするか問題がある。近しい人はNみの急逝を知っているけど、翌々日にランチの約束をしている洋裁の師匠のY先生(77歳)は生前のNみと面識がないから話していない。
「2日前に夫を亡くした」洋裁の師匠と献杯
ええい、言わずに会おう。Y先生は大きな賞を受賞して私はその祝賀会の司会をすることになっている。何もなかったことにして、水道橋駅で待ち合わせした。そしてランチ店に歩きだしたところで、Y先生は「明るい色の服を着てこようと思っていたんだけど、状況が許さないのよねぇ」と言う。なんとNみが亡くなった2日前に82歳のご主人が他界していたの。
「えええ~、実は私もなんですよ」と予約していた中華料理店に着く頃にはすっかり肩の荷が降りていた私。Y先生もそうだったのね。「私、ニラレバ定食食べようかな。主人が好きだったの」と言うので急に私もニラレバを食べたくなった。すると「餃子もつけない?」とY先生。何十日ぶりかでビールで献杯もした。
数日後、弟が葬儀後のお礼品の買い物に上京してきた。そして「浅草寺にお参りして鰻食わね?」だって。すかさず上等をねだる私。
生きることは食べること。食べることは生きること。残された人間はこうして前を向くしかないんだよね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。2021年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑で、やせたの?』を出版。実母の介護も経験している。
