市毛良枝さん、「80代後半、大腿骨骨折から奇跡の回復、100歳で旅立った母」の介護生活13年を振り返る
俳優の市毛良枝さんは、100歳で旅立った母の介護を長年続けてきた。80代後半で脳梗塞を発症し、要介護となった母の老いに伴走する様子を綴った新刊『百歳の景色見たいと母は言い』を上梓。骨折をきっかけに懸命にリハビリに取り組んだ母を支えてきた市毛さんに、介護に向き合うヒントを聞きました。【全3回の第1回】
プロフィール/市毛良枝(いちげよしえ)さん
文学座附属演劇研究所、俳優小劇場養成所を経て、1971年にドラマ『冬の華』でデビュー。以降、テレビドラマ、映画、舞台、講演と幅広く活躍。40歳から始めた趣味の登山では、キリマンジャロやヒマラヤにも挑戦。特定非営利活動法人・日本トレッキング協会の理事も務める。環境問題にも詳しく、1998年に環境庁(現・環境省)の環境カウンセラーに登録、第7回環境大臣賞受賞。最新出演作は映画『富士山と、コーヒーと、しあわせの数式』、NHKBSプレミアムドラマ『終活シェアハウス』。新刊『百歳の景色見たいと母は言い』(小学館)発売中。
母の老いと向き合った13年の介護生活
――100歳で旅立ったお母様は、どんなかただったのでしょうか。
母が60代、父は70代のとき、30年近く住んだ伊豆修善寺(静岡県)の家を引き払い、東京で暮らし始めました。
当時、父は外航船の船医でしたから長期間家を空けることが多く、母はしょっちゅう東京に来ていたんです。私の部屋での生活が中心になり、二世帯住宅に引っ越すことになりました。
母はパッチワークが趣味で、東京にたくさんの友人がいました。趣味があると、人とのつながりが広く、深くなると思います。これは母の姿から学びました。
90代になっても長年通っていた美容室で髪を薄い紫色に染めていて。カラーリングとカットをしてから帰ってくると、よく「キレイね」と褒められていましたね。その度に母は嬉しそうに「40年間、同じ美容院に通っているのよ」と自慢げに話していたものです。
親が高齢になって子供たちの近くに呼び寄せたいと考えるかたもいらっしゃると思いますが、地域のつながりやコミュニティから離れてしまうと、外に出かけなくなって老いが一気に進行してしまう可能性もあると思います。その点、母は裏表のない性格で、新しいもの好き。東京にも人間関係を築いており、多くの人と仲良くしていました。
80代後半で大腿骨を骨折、本格的な介護が始まる
そんな母に介護の兆しを感じたのは、市毛さんが50代半ばのことだった。80代後半、徐々に日常の世話も増え、病をきっかけに骨折したことで、医師に「もう歩けないかもしれない」と宣告されたという。
――本格的な介護に直面し、どのような想いでしたか。
父が他界して一時は寂しそうでしたが、その後の母は趣味や旅行を楽しんでいたので、介護とは程遠い生活だったんです。80代に入っても多少の老いは感じていましたが、介護の気配はありませんでした。
とはいえ、母が以前に比べゆっくり歩くと気になるようになりました。当時は、親の老いに対して知識も経験もなく「もっと早く歩いたら?」などと言ってしまいました。今思えばあのころから体の変化があったのかも知れませんが気づけませんでした。これは今でも後悔しています。
基本的に元気だった母も、80代半ばにがんが発覚して手術を受け、術後は順調に回復しましたが、その2年後には脳梗塞を煩い、入院中にベッドから転落して大腿骨頸部を骨折してしまって…。そこから母の状態は大きく変化していきました。
骨折したとき医師から「もう歩けなくなるかもしれない」と言われ、とてもショックを受けました。しかし、人の体は努力次第で変わっていくものですね。母はポジティブな性格で、好奇心旺盛ということもあり、術後のリハビリに果敢に取り組みました。
理学療法士や作業療法士さんやスタッフの皆様、リハビリ仲間の励ましも後押ししたのでしょう。半年のリハビリで筋力がついて、歩けるようになったのです。
その後も、骨折や脳梗塞など何度も大きな壁に直面し、そのたびに懸命にリハビリに取り組み、90代に入っても何度も回復し元の生活に戻りました。これは今振り返っても、奇跡のような出来事だったと思っています。
母、90代から犬を飼い始める
――お母様が90代に入ってから、ペットを迎えられたそうですね。
リハビリを頑張って元気になった母が、「犬を飼いたい」と言い出したのです。そして、友人たちを味方につけて「小型犬なら大丈夫」と、私を説得しようとするんですよ(笑い)。
その後、ペットショップでの出会いもあり、再びポメラニアンを飼うことにしました。犬を飼い始めたのちに猫2匹も迎えて、ペットとの暮らしがまた始まりました。3匹はいつも母の近くにいて、母の心を満たしているように見えました。
――お母様は日々の暮らしの中で、喜びを見つけながら100歳までの人生をまっとうされたんですね。
そうですね、私自身も、母がいたから、世界を広げることができましたし、経験値も上がりました。母が車椅子になっても、国内外の旅行にも行ったのです。やはり思い出深いのは、98歳のときに母を連れてアメリカのオレゴン州に行ったことでしょうか。
介護に正解はありませんが、母と私は互いの反発をエネルギーに、生きることを楽しんでいたと思います。もちろん、不安もありましたし、腹が立つことや、困惑することもありましたが、楽しいことや学びもたくさんあったのです。あの介護の日々は、今も思い出し、多くの方に支えられたことに感謝しています。
撮影/フカヤマノリユキ スタイリング/金野春奈(foo) ヘア&メイク/長縄希穂(マービィ) 取材・文/前川亜紀
