《火災後、一時赤羽署に保護》元マネジャーが見たパー子さんの芸人魂と美意識の高さ 本番ステージ直前まで続けた“顔マッサージ”
自宅マンションが火事にあった林家ペー・パー子夫妻を応援するイベントが11月4日、開催された。2人は多くの人に勇気づけられ、生活を立て直すために前を向き始めている。今回の火事があって以降、2人の関係にも改めて注目が集まっている。元マネジャーでライターのオバ記者こと野原広子氏が“高齢者芸人夫婦”のリアルについて綴る。
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かかってきた電話をスルーしていたペーさん
「ところでパー子さんは大丈夫なの?」
9月19日の林家ペー・パー子夫妻のマンション火災から2か月、何度同じことを聞かれたかしら。というのも、おそらく私が最もパー子さんに会った回数の多い他人だからだろうけれど、そのたびに返答に迷うんだわ。
たとえば火災直後は、ぺーさん(83歳)もパー子さん(77歳)もそりゃあ、大丈夫じゃなかったわよ。ぺーさんは火災から10日ほどホテル暮らしだったけれど、その間、3日間パー子さんと離れている。ぺーさんはもともと早飲み込みの人で、この時も「パー子さんは?」と聞くと「親戚の家に身を寄せているって」と言うんだわ。「話したの?」と聞くと「いやいや、パー子は携帯を持ってないから用事があると公衆電話からぼくの携帯にかけてくるの」と言う。
で、一瞬、開いたぺーさんの携帯をのぞくと着信はいっぱいあるのに出ていないしかけ直してもいない。「ええ〜! これじゃ、パー子さんからかかってきた電話に出られないじゃない!」と言うと「大丈夫、大丈夫」。今にして思えばぺーさんもいっぱいいっぱいだったのよね。
だけどその間、パー子さんは親戚の家には行ってなかったの。ではどこにいたか。実はぺーさんも全部はわかっていないのよ。パー子さんはカラオケボックスで寝たとか、『富士そば』に長い時間いて追い出されたとか、断片的なことは口にするけど、順序立てて話せないんだって。
「パー子も火事のあと、気が動転していたんだと思うけど、こっちもね、探しもしないでかわいそうなことをしたなと思って」とぺーさんはうなだれる。かと思えば「半分くらいは認知症になってるから」なんてひどいことを口走るから「ぺーさん、そんな不確実なことを言うもんじゃないって」と、私は思わずタメ口になる。
赤羽署に保護されていたパー子さん
それでどうして家がないふたりが再会したかというと、これがいかにも、赤羽という土地柄なんだよね。ふたりは結婚して53年、ずっとパー子さんの地元の赤羽に住んでいるから、顔が売れている。「赤羽といえばピンクの服を着たぺーパー子」なんて言われていて、半年住んだことがあるという人まで買い物をする姿や、道で口ケンカしている姿を目撃しているの。もちろん見かけた、というレベルではなくて深い付き合いをしている人もいる。今回はその中のひとり、スナックのママがパー子さんの居場所をぺーさんに知らせてくれた。「どこにいたと思う? なんと赤羽署に保護されていたのよ」。
それで「パー子さんは大丈夫?」という質問だけど、大丈夫か大丈夫じゃないかというと、うーん、大丈夫じゃない寄りの大丈夫という感じだね。
ここで何度も書いているけど私は25年前に3年間、ぺー・パー子夫妻のマネジャーをして、今年7月にぺーさんから編集部にかかってきた電話で再会を果たしたんだけど、笑っちゃうくらい2人とも当時のまんま。ぺーさんは相変わらずの早足、早口、早飲み込みで、パー子さんはおっとりしているけどやや早飲み込み。それから当時から難聴気味で、それがコミュニケーションをややこしくしている。それに焦れてぺーさんが「認知症なんしゃないの!」と言っていると、私からは見えた。
安住アナが来たときもマスクをつけたまま…
あと私がパー子さんを「変わらないなぁ」と思ったのがビューティーボルテージの高さよ。それで10月20日の浅草、東洋館のチャリティーイベントの時は、舞台に上がる直前までマスクを取りたがらなかったの。「顔がひどいのよ。こんな顔、人に見せられないわよ」と言って。
さすがにマスクをつけたまま舞台に上がることはしなかったけれど、火事で顔の手入れどころじゃなかったんだなと思ったら気の毒になった。
「新宿末廣亭」にTBSアナウンサーの安住紳一郎さんがぺー・パー子夫妻を訪ねてきてくれた時もマスクはつけたままだったものね。
「もう、この手の下のたるみ、どうにかならないかしら」と、パー子さんの悩みが具体的になったとき、ふふふ、私、ひらめいたんだよね。私の顔がむくんでいるときにYouTubeを見ながらやる顔ストレッチを教えたのよ。一度はYouTubeを見ながらいっしょにやって、次は要約をして。ぺーさんにもこの動画を送ったけれど、少しでも顔に張りをもたせたい女心は彼には理解できない。
さて、どうなったか。11月4日の1000人規模の大舞台の日、パー子さんは私の方を見て、顔マッサージの耳の下のリンパを押し回す仕草を見せてニコッと笑ったのよ。そしてとうとうマスクを取るのが嫌だとは言わなかった。幼い頃からさまざまな芸事をしてきたパー子さんはやるとなったらマジメにやる! この勤勉さはたいしたものだと思う。
もちろん、難聴で不都合なことはいろいろあって、私もどうしたものかと考えることもあるのよ。でもやっぱり愛すべき人であることには変わりないんだよね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。2021年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。実母の介護も経験している。
