皇后美智子さまロイヤルヒストリーアルバム|「愛」と「祈り」の来し方
“皇后”として天皇陛下を、“国母”として、国民を支え続けた60年の軌跡を振り返る――。
「皇太子としての立場が、何よりもまず優先される」という天皇陛下(当時・皇太子)の“将来の天皇としての覚悟”に心を打たれ、ためらっていた“皇室へのお嫁入り”を決意されたという美智子さま。以来、美智子さまは陛下を支え、そして国民に寄り添って、皇室という特殊な環境の中、全身全霊で生きてこられた。
時代が移り変わる今だからこそ、もう一度声を大にして言いたい。「ありがとうございます」と。
→祝・令和の幕開け!美智子さまから雅子さまへ役割を伝承|ロイヤルバトンタッチアルバム
1974年10月 40才お誕生日
黒田清子さん(当時・紀宮)と貝の音を聴かれる美智子さま(当時・皇太子妃)の左襟のブローチは陛下(当時・皇太子)が“未来の伴侶に”とスペインで求められ、5年後のご婚約時(1958年11月)に贈られたものである。
1986年4月 子宮筋腫の手術からご退院
子宮筋腫の手術で17日間の入院生活を送られた美智子さま。退院の日、美智子さまは陛下(当時・皇太子)の胸にお顔をうずめられた。銀婚式を超えられても、この初々しい愛に秋篠宮さま(当時・礼宮)、黒田清子さん(当時・紀宮)も感無量の表情を…。
1991年10月 インドネシアご訪問
即位された2年後、天皇皇后として初めてタイ、マレーシア、インドネシアをご訪問。インドネシアのボロブドゥール寺院の石段を、手をつないで上がられた。ご訪問先の文化に敬意を払われるのが美智子さま流で、バティック(ジャワ更紗)のスカートをはかれて、現地の人々を喜ばせた。
1992年6月 児童福祉施設をご訪問
美智子さまが声をかけた途端、トランポリンで遊んでいた女の子は無邪気に抱きついた。美智子さまがどんな身分のかたかも知らず、思いのまま振る舞った彼女。周囲もほのぼのと和んだ。
1995年1月 阪神・淡路大震災の被災地・神戸ご慰問
6400を超える人命が奪われた阪神・淡路大震災(1995年1月17日)。発生からわずか2週間後に神戸を慰問。泣きじゃくる若い女性被災者が突然美智子さまに抱きつくと周囲が騒然。だが、美智子さまは女性を抱きしめて「つらかったでしょう。悲しかったでしょう」と励まされた。国母の手の温もりに癒された。
2002年9月 栃木県高根沢の阿久津小学校をご視察
校庭で、思い思いのバンダナを頭に巻いた小学生と絵本を読まれる両陛下。木漏れ日が美しいこの日の思い出を子供たちは一生忘れないことでしょう。
2011年4月 東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町慰問
行方不明の3才の孫娘の写真を陛下にお見せする被害者家族。陛下はひざをおつきになり、身を乗り出されて熱心にご覧になった。一方の美智子さまは流された被災者宅跡地に咲いた水仙を被災者から贈られ、「ちょうだいできますか」と優しい微笑みを見せられた。
2012年3月 天皇陛下ご退院にお付き添い
心臓のバイパス手術のために16日間のご入院をされた陛下。退院の日、色とりどりの春のブーケを手に医師団に挨拶をされる陛下の傍らで、美智子さまは安堵の表情を浮かべた。
2013年10月 秋の園遊会
園遊会に招かれた長嶋茂雄さん。“国民的スーパースター”も両陛下の前では恐縮しきりで、終始相好を崩していた。
2014年6月 沖縄ご訪問
地方のご公務などで訪問先のイメージを活かした花や柄を取り入れるのが“美智子さま流”。沖縄ご訪問にあたって、伝統の織物、芭蕉布の使用をデザイナーにご提案。白いジャケットに取り入れられた。
2019年4月 こどもの国ご訪問
ご成婚(1959年4月10日)の記念に作られた「こどもの国」(神奈川)は、おふたりが「子供たちのための施設を」と強く希望された大自然公園。天皇皇后として最後のご訪問になったが、童心に返られたのか、スッと“恋人つなぎ”をなさった。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2019年5月9・16日号
●上皇さま上皇后美智子さま、御代がわり後、初の演奏会へご出席