85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第36回 不思議大国】
1960年代半ばに創刊し、才能溢れる著名人、クリエイターを次々起用し話題を呼んだ雑誌『話の特集』の編集長を30年にわたり務めた矢崎泰久氏。社会問題を独自の視点で掘り下げ、本当に正しいのかを世に問い続けるジャーナリストとして活躍中だ。
矢崎氏は現在、85才。数年前から、自ら望み、家族と離れ一人暮らしをしているという。歳を重ねた今、あえて一人で暮らす理由や信念、ライフスタイルなどを寄稿していただいて、シリーズで連載している。
今回のテーマでは、日本、日本人のあり方についてだ。世界の中でも特異な文化、習慣を持つ日本人に、それでいいのかと問う。
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「寄らば大樹の陰」が好きな日本人
日本なのか日本人なのか、そこがはっきりしないのだが、私にはさっぱりわからないことがある。何につけても、不思議でならない。
ハロウィーンで大騒ぎをし、クリスマスは家でパーティーをする。とにかくクリスチャンでもないのに大いに楽しんでいる。
紅白歌合戦を観て、初詣でに神社や仏閣に出かけ、祈願成就のお礼として賽銭を投げる。
同じ人が様々な役どころをこなしている。柏手を打ち、深々と頭を垂れて、お札を求めたり、晴れ着で年始の挨拶に行く。
神様だったり、仏様だったり、八幡様だったり、あちこちに顔を出すというのは、どういう神経なのか。魂胆なのか。
「ほう、出雲大社へ」「へえ、伊勢神宮ですか」「熱田神宮に行ってきました」ご多忙ですね~。
おぎゃーと生まれると大借金を背負わされている。国の借金は世界一。それなのに、景気は上向きだと総理大臣は胸を張る。まるで悪い冗談を聞かされている思いである。
祭り好きというより、騙され易いというべきなのか。まったく摩訶不思議である。
昔、「親方日の丸」という言葉が流行(はや)っていた時代があった。言うなれば、寄らば大樹の陰というわけだ。
権力者に取り付いて、いれば、某(なにがし)かのご褒美を授かることが出来る。そういう時代が今もどこかに残っているに違いない。たぶんそんなところか。
日本人の特色には、曖昧さがある。どんなことにも結論を出したがらない。決めなくてはならないことから必死に逃げまくる。
その中心にあるのが、例の忖度(そんたく)である。
私も日本人の一人であるが、日本人ほど不思議な存在は世界でも稀だと思っている。神仏を崇(あが)め奉(たてまつ)っているが、どうも本気とは思えない。
信仰心がどれほどのものか、実に疑わしい。それでいながら、頼りになるものを求め続けている。
基本的に私は神や仏を信じない。したがって祈ったり、願ったりしない。ところが身近にいる人々を観察すると、どうやら祈念の心を強く持っているように見えてならない。
日本人は明らかに、正義とか、眞面目とか、勤勉心が尊いとする傾向がある。それでいながら、損得に拘泥(こうでい)している。実に狡(ずる)いというか、狡(こす)っ辛(から)い。
見せかけの儀礼を重んじている人が如何に多いか。周囲を見渡せば、その類いの人ばかりである。