兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第198回 人は見かけではわからない】
兄が若年性認知症と診断されてから早5年。兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんは、度重なる兄の排泄問題に心が折れそうな日々ですが、久しぶりの親戚の来訪に心が和んだ模様です。そして、また新たな気づきもありました。マナミコさんの心持ちは、日々向上しているのです。
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「希望を持つしかございません」
先日、埼玉に住む従兄弟が兄に会いに来てくれました。コロナ禍があってすっかりご無沙汰しておりましたので、兄の変わり様にがっかりするのではないかと思いましたが、来るなり「兄さん、元気そうでよかった」と嫌がることなく兄とハグしてくれたのを見て、ありがたいな~と思いました。
わたくしと同い年なので還暦の男子。奥様が語学堪能で、家で海外留学生のお世話をしているというちょっとグローバルな親戚なのでございます。ハグしなれているといいますか、自然にハグしてくるので、わたくしなどドギマギしてしまいました。娘が結婚して海外生活をしていると言い、「2月にニューヨークに行ってきた」なんて景気のいいお話が聴けました。
介護介護のツガエ家とは雲泥の差。でもいつもは暗く動きのないリビングが華やいだ明るい雰囲気に包まれていることに「住む人が住めば我が家もこんな明るい雰囲気になるんだ」と思いました。逆にいえば、いかに自分が暗く動きのない生活をしているかを思い知ったわけですけれども……。
兄はニコニコして彼の話を聞いていました。従兄弟が「ここ最近、外国人観光客が増えたね~」というと「そうだよね、増えたよね~」と、さも実感しているかのような相槌を打ち、「トランジットで飛行機遅れて大変だったよ」といえば、「飛行機はたいへんだなぁ」と、自然な返し。ほぼオウム返しなのに「天才か?」と思わせるほど話を合わせるのはお上手でございました。
従兄弟は去年仕事をリタイヤしたと言い、今は悠々自適な生活をしているようですが、聴けば、精神を病んで心療内科に行っていたというのでびっくり。会社でいろいろあったようで「電車に飛び込んじゃう人の気持ちがちょっとわかっちゃって、このままじゃダメだと思って辞めたんだ」とのこと。明るくてにぎやかで悩みなんかないようにお見受けしたけれど、人は見かけではわからないものでございます。
「マナミコちゃんは大丈夫?」と気を遣っていただき、思わず、兄のお便さま問題をポロリ。認知症の件は、前々から伝えていましたけれど、あまり詳しく言ってもご迷惑だろうと思ったので、「もうた~いへん」と茶化して笑い話にいたしました。従兄弟も深堀りはせず苦笑いでございました。いよいよそういう生活になったんだな、とわかってもらえたので来訪していただいて良かったなと思いました。
最近、朝日新聞の「折々のことば」(朝刊コラム)にあったアメリカの言語学者で哲学者のノーム・チョムスキーさまの言葉にハッとさせられました。
「希望を手放すのは”最悪の事態が起こるのに協力しよう”と言うのに等しい」
チョムスキーさまは、「未来に希望が持てない世の中で、あなたが希望を手放さないのはなぜですか?」と言う記者の問いに「選択の余地はない。……希望を持つしかないのだよ」と答えています。絶望することは、事態が悪化することに加担しているのと同じと考えるからでございます。
わたくしには、その概念がまったく欠落しておりました。「諦める」ことで世の中を渡ってきたからでございます。「下手に希望など持たないほうが幸せ」「潔いことは美しい」とさえ思って、与えられた環境に順応しようと思って生きてきたのでございます。
だから希望を捨てずに、なにかを訴え続ける人たちを「どうしてこんなに頑張るのだろう」と不思議に感じていたのです。でも絶望してしまったら敵(対立している何か)に味方するのと同じなのだと思ったならば、その信念も理解できます。
「選択の余地などなく希望は持つしかない」という新たな概念がツガエの腹に落ちてまいりました。
認知症の治療にも希望を持つしかございません。絶望すれば「治りませんように」と願っているのと等しいのですから。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ