兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第132回 自宅療養でも入院給付金がキター!】
昨年、まだオミクロン株が登場する前に、ツガエマナミコさんは新型コロナウイルスに感染してしまいました。幸い、同居する若年性認知症を患う兄にはうつらなかったのですが、それでも、嗅覚障害も起こり大変な時を過ごしたツガエさんに、ひょんなことから、コロナの自宅療養では、入院保険が下りることが判明。ついにその保険金が振り込まれたというお話です。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
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もうかつての日常には戻らないのか?
先日、公立高校の入学願書から性別欄が廃止されるという新聞記事を読みました。初見は「やりすぎ」と思いましたが、それだけ世の中には体と心が一致しないことで悩む人がたくさんいらっしゃり、声を上げれば受け入れられる社会になったのだなと思い直しました。ジェンダー問題の根本的な解決には程遠い改正ではありますが、「小さなことからコツコツと」という西川きよし師匠の名言もございます。少数派が多数派になったらトイレも更衣室も制服もスポーツの男女別もなくなるのかもしれません。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら次第に角が取れて丸くなり、丸くなりすぎたら今度は角が珍しいものに見えてもてはやされる。次のやりすぎは女尊男卑の時代かもしれません。社長は女性、男性はお茶汲みが当たり前、とか。良い悪いは別として世界のトップが全員女性になった世の中も見てみたい気がしているツガエでございます。
ところで、かねてよりやや疑っておりましたコロナ自宅療養での保険の「入院給付金」がついに、先日わたくしの銀行口座に入ってまいりました!ありがとうございます。
10万円はとても大きい。かかった医療費はPCR検査を受けたクリニックの初診料3000円ぐらいなものですからまるっと丸儲け。療養証明書も申請から10日ぐらいで郵送されてきましたし、担当の生保レディーさまにそれを見せて手続きを済ませたらほぼ1週間でした。
でも、よくよく考えれば保険料を毎月支払っているので「丸儲け」は明らかな錯覚。それでも、あの自宅療養で保険が下りるとはこれっぽっちも考えなかったわたくしにとってはやはり丸儲け。生保レディーさまにご訪問いただいた際には、一刻も早くお帰りいただこうとするのではなく、お茶をお出ししてお世間話をしてみるものだと学習いたしました。
保険といえば、先日ロサンゼルス在住の日本人の方をZoomで取材させていただいた際、米国の保険制度の複雑さに驚かされました。日本の公的医療保険のようなものは高齢者と障がい者などに限られていて、一般的には会社なり個人が任意で民間の保険会社と契約をしているようでございます。さらに契約した保険会社のネットワーク内で主治医が決められ、がんだろうが白内障だろうがすべての病気はその主治医を起点としてネットワーク内の医療機関で治療を受けるのが基本となっているそうでございます。日本のようにどこの病院のどの医師を受診しても3割負担で済むなどということはないと聞きました。
そう考えれば、日本はシンプルでありがたい。兄もそのおかげで認知症に関しては診察料もお薬代も1割負担で済んでおります。デイケアに関しても1回2000~3000円で済んでいるのは国民健康保険(国保)制度の賜物。もしものときは高額医療保険制度を利用すれば、所得に応じて上限が決められ、超えた分はお国が負担してくださいます。かつて父が交通事故で入院・手術をした際の請求額は最高でも月11万円ぐらいでした。それも後々相手方の自動車保険会社から支払われましたけれど…。
そういえばあの自動車保険会社はなるべく支払いたくないものですから、こちらが請求を諦めるように誘導してきました。「今回のケースではもしかすると保険は出ないかもしれません」とか何とか…。父は徒歩、相手は会社のトラックだったので、父によほどの過失がなければ保険が出ないなどということはないのに…。当時は今よりも世間知らずで一瞬「そうなの?」と思ってしまったアホなわたくしでございますが、今なら言えます「それがお前らのやり方かっ!」(byおかずクラブさんの名ゼリフ)と。
すべては50歳からはじまった気がいたします。それまでは気ままな独身生活でございました。ひとしきり両親を見送ったらまた気ままな暮らしに戻れると思っておりましたのに、兄がこんなことになってしまって、もう気ままには戻れなくなりました。まるで今のコロナ禍のようでございます。「あの頃の日常は戻らないのか?」と閉塞からの解放を望みながら、なんとか折り合いをつけて耐えている。ツガエの暮らしと世の中は今シンクロしていると感じております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ