安藤和津の「介護うつ」救った娘・安藤サクラ、桃子の活躍
「やる気満々だったんです、孫育て。孫に会いたい気持ちだけで行くんです。世話しているんだか、されているんだか(笑い)」(以下、「」内は和津)
在宅介護で母を看取ったあとも続いた「介護うつ」
疲れた様子も見せずそう声を弾ませる。最近まで十数年もの間、うつに悩み続けたという様相はどこにもない。
「去年の12月まで介護うつだったんですよ。それもやっと抜けました」
発端は1998年に和津の母親に脳腫瘍が見つかったこと。以来、2006年に亡くなるまで母親の介護に時間を費やしてきた。
「うつがひどくなったのは、母が亡くなる1年前からです。在宅介護で看取ったんですが、亡くなった後もずっと介護うつが行ったり来たりしていました。無理してテレビに出ても、言葉が出なくなったこともあるし、ずっと文章も、手紙も書けませんでした」
未来がある孫の世話は大変だけど嬉しい
昨年末、孫育てにかかわるようになり状況が一変したという。もともと自立して子育てもひとりでこなすサクラが多忙になった時期だった。
「孫にかかわることが、私の中に残っていたうつの種みたいなものを、背中を叩いて出してくれた。孫の世話も介護も同じことを繰り返しやるんですが、結局介護の未来は看取ることしかない。でも孫は未来がある。同じ作業でも癒され方も違います。70才を過ぎてやることが山積みなのは、大変だけど嬉しい。何しろ年寄りは、役に立てるっていうのが幸せですから」
夫・奥田瑛二(68才)も積極的に手伝うという。
「今日も奥田が高知へ行っています。奥田はメチャクチャいいおじいちゃん。『瑛じぃ(奥田)が孫を抱いたら3分で寝る』っていうくらい、寝かしつけ上手なんです!」
そう言って「でも私があんまりしゃべると、家族会議でやり玉に挙がっちゃうからこれで失礼するわね(笑い)」と軽やかに語った。
※女性セブン2018年6月28日号
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