85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第21回 エロティシズム礼讃】
齢、85。数年前からは、自ら望み、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らしているという、伝説の編集者にして、ジャーナリストの矢崎泰久さん。
1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などがを次々と起用して旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』の編集長を30年にわたり務めた経歴の持ち主で、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起し続けている。
矢崎氏が、歳を重ねた今、あえて一人暮らしを始めた理由やそのライフスタイル、人生観などを連載で寄稿していただき、シリーズで連載している。
今回のテーマは「エロティシズム」だ。老いたからこそ身についた想像力あり、それを駆使することで享受できる世界があるのだと語る矢崎氏、さてその真意とは?
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
* * *
エロティシズムは人間の本能の発露
想像力ほど貴重なものは他にない。語呂合せ的だが、想像は創造に直結する。私たちの人生は想像力によって、大きく左右されていると言ってもいいと思う。
イギリスの偉大な画家ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、浮世絵に影響を受けていた。ことに春画の大胆なデフォルメとエロスに感動したのである。
ターナーは、性行為直後のベッドを克明に描いている。乱れたシーツは、裸の男女が不在なのに、エロティシズムを発散していた。もちろん全ては想像力の賜(たまもの)だった。創る側にも、観る側にも。
荒海と船を強烈な筆捌(ふでさば)きでキャンバスに描くことで著名な画家が、何故シーツにこだわったのか。謎こそが真実であったのだ。
ロダンの彫刻『接吻」は、最初、フランス政府から『地獄の門』の一部として制作を依頼されたのだが、最終的には『地獄の門』から外れ、普遍的な愛を表す作品として独立したものだ。
発表当時は、高い評価を受けたのだが、イギリス・ルイス市に作品を貸し出したところ、エロティック過ぎると、シーツで覆い隠されてしまった。日本でも、『フランス現代美術展』で展示されることになったのだが、”猥褻”を理由に警視庁から撤去を求められ、結局、特別室に押し込められて非公開になってしまったことがある。
想像力が貧困な為政者には『接吻』の価値がわからなかったのである。エロティシズムは、人間にとって、大切な本能の発露である。その自由を奪う権利には誰もない。
ロダンは、『考える人』を制作する段階で、作者の意図することと別に、観る人がそれをどう解釈しても自由で、それぞれに委ねることが大切だと語っている。
やがて、『接吻』は街角に蘚る。まさしく想像力の勝利だった。
老いることの素晴らしさのひとつは、想像力の豊かさにある。長い年月を経て培われた既視感(デジャヴュ)を活用すれば、想像の世界は無限に広がる。それは、誰にでも備わっている快楽でもある。
もちろん肉体的な衰えは否めないが、脳に関しては使えば使うほど、活性化するとされている。逆に言えば、使わないと劣化しかねない。
想像力はその尖兵たる使命を果してくれる。
経験から生まれた想像力を駆使する
若い頃は美しい女性を見れば、たちまち興奮して、すぐにでも飛びかかりたくなったものだが、行動力が低下した老人は、その代わりに経験を身につけている。
ゆっくり、じっくり楽しむことができる。想像力を発揮して、エロティシズムの甘美な夢に耽ることが可能である。
ふとした仕草の中からさまざまな姿態を脳裏に描くことが瞬時にできる。
この特技を磨けば、極楽浄土も夢ではない。瑠璃(るり)も玻璃(はり)も磨けば光るのである。
悪びれることなく、臆することなく、自信を持ってエロティシズムを礼讃したらいいのだ。
エロティシズムは生きる源
私たちの想像力を満たしてくれるのは、いろいろな芸術(アート)である。絵画、音楽、文学によって培われた美や思想の世界は、エロスへの道案内でもある。
好色という言葉は、あまりいい意味で受け止められていない。しかし、本来は美しい容色。あるいは美女に与えられた言葉だった。それが、女色を好むこと。いまはスケベな男の代名詞のように用いられるようになった。ここに大きな間違いがある。
江戸時代には、「好色・博奕(ばくえき)・大酒」を三重戒と諫める風潮が蔓延するようになった。要するに幕府(権力)が、庶民の自由を奪うために思い付いた政策のひとつだったのである。
好色な人は長命である。私の周囲を見渡しても、これほどの真実は他にない。
つまり、エロティシズムは、男女を問わず、生きる源(みなもと)とも言える。古代より子孫が続いてきたのは、その証拠以外の何でもないと思う。好色を卑しめることは、明らかに誤りなのだ。
欲望なしには、人間は存在しない。その原理は永遠にして不朽なものである。中でもエロティシズムは、その発露であり自由への懸け橋なのだ。それこそが私たちの原点を知る道ではないだろうか。
今夜も、想像力を駆使して、夢の世界にエロティシズムを招き入れることにしよう。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。