健康

「インフルエンザ感染予防に、皮下注射は意味がない」その理由とワクチン最新事情

「インフルエンザを予防するには、皮下注射では意味がない」

 実は、科学的にはこれが現実だと、専門家は話す。では、本当に予防するにはどうすればいいのか。インフルエンザ予防の基礎知識と、今、日本で研究開発が進んでいるワクチンの最新事情について解説してもらった。

インフルエンザ予防のカギは粘膜の「IgA」

 インフルエンザの原因となるウイルスは、鼻や喉、喉から肺へと続く気道から入り込み、爆発的に増殖して高熱などの症状を引き起こす。ウイルスの侵入を防ぐために、鼻や喉、気道の粘膜には「IgA(アイジーエー/免疫グロブリンA)」という抗体が分泌されている。

「IgAはウイルスや細菌などさまざまな外敵にくっついて反応し、その場で外敵を無毒化する能力のある防御物質です。鼻や喉、気道の粘膜はウイルスに最も接触しやすい部分ですから、これらの部分にIgAが十分に存在し、インフルエンザウイルスに対してしっかり反応するかどうかが予防のカギとなります」

 こう解説してくれたのは、徳島大学先端酵素学研究所の木戸博教授。木戸教授はインフルエンザをはじめとするさまざまな感染症の予防について研究を行なっている。

皮下注射の目的は重症化予防

 ところが、私たちがこれまで受けてきたインフルエンザワクチンの皮下注射では、IgAを増やすことはできないと、木戸教授は語る。

「皮膚に打つワクチンで誘導されるのはIgG(アイジージー/免疫グロブリンG)。IgGは血液中に最も多く存在し、すでに入ってきたウイルスやウイルスが出す毒素を無力化する役割があります。つまり、IgGは『インフルエンザにかかってから働く』抗体なのです。

 皮下注射ワクチンの合格基準は、『打った人の50%に感染防御効果がある』ことです。注射を打った人の半分程度はインフルエンザにかかってしまう可能性があります。それにもかかわらず皮下注射が推奨されるのは、血液のIgGを増やしてインフルエンザの重症化を防ぐという重要な働きがあるためです」

赤ちゃんの肺がヒントに

 より効果のあるワクチンでインフルエンザを予防するには、ワクチンに何らかの「アジュバント」を使う必要がある。アジュバントとは、ワクチンと一緒に投与して、その効果を高める物質のこと。

 これまで、インフルエンザの予防接種に有効なIgAを誘導するアジュバントは見つかっていなかったが、木戸教授らの研究チームは非常に有効で、しかも安全性が高いアジュバントを発見した。それが、新生児の肺の表面を覆う「肺サーファクタント」という物質。生まれた瞬間、赤ちゃんが大きく空気を吸い込むと、肺は急激にふくらむ。その際、肺の組織がつぶれないように守るのが肺サーファクタントだ。

「お母さんのお腹の中にいるとき、赤ちゃんは肺サーファクタントの混じった羊水をゴクゴク飲んでいます。肺サーファクタントは赤ちゃんの腸に届き、免疫を発達させることがわかりました。この働きを知ったとき、私は肺サーファクタントをアジュバントとして使えば、腸の免疫システムでIgAを作れるのではないかと考えました」

 木戸教授は、肺サーファクタントを人工的に合成することに成功し、「SF10」というアジュバントを完成させた。

抗生物質もアジュバントになるが…

 アジュバント作用をもつ物質は他にもある。その一つが「クラリスロマイシン」。風邪やケガなどの際によく処方される抗生物質の一種だ。

「インフルエンザにかかるとタミフルなどの抗ウイルス薬が処方され、体内に入ったインフルエンザウイルスを殺し、症状を短期間で抑えることができます。それ自体はよいことですが、ウイルス数が激減するために、私たちの体が次の感染にために本来備えている免疫記憶や、IgAとIgGの誘導効果が不十分となり、同じインフルエンザに再感染するリスクがあるのです。

 しかし、インフルエンザにかかった人がタミフルとクラリスロマイシンを併せて服用すると、そのインフルエンザに対抗するIgAやIgGがタミフルだけの場合よりかなり多く作られることがわかっています」

 ただ、アジュバントとしてクラリスロマイシンを使うには、主に2つの問題があるという。1つは、クラリスロマイシンはさまざまな感染症の際に投与されており、クラリスロマイシンが効かない病原菌(耐性菌)を出現させてしまう可能性があること。このため、最近はクラリスロマイシンの投与を控える傾向にある。もう1つは、クラリスロマイシンは胃腸への副作用を引き起こす可能性があることだ。

ヨーグルトが有効なアジュバントに

 ほかにアジュバント作用をもつ可能性があるのがヨーグルトだ。ヨーグルトの中には腸の免疫システムに働きかけ、インフルエンザなどの感染症への抵抗力を高めるものがあることが知られている。

 木戸教授はインフルエンザに感染させたマウスに対して、(1)タミフルだけを与えた場合と、(2)タミフルとR-1乳酸菌で発酵させたヨーグルトを与えた場合の免疫の働きを調べた。その結果、タミフルとヨーグルトを与えたマウスでは、タミフルだけを与えたマウスよりもIgAやIgGが有意に多く誘導されていた。また、タミフルとヨーグルトを与えたマウスは同じインフルエンザに再感染しにくいことも確認された。

「ヨーグルトは食品ですから副作用はなく、もちろん耐性菌ができるリスクもありません。すでに簡単に手に入るものがアジュバントとして活用できるのは、魅力的なことだと考えます。ただ、ヨーグルトは食べてすぐにアジュバント効果を発揮するわけではありません。IgAやIgGの産生を増やすためには、普段から定期的に摂取するほうが有効でしょう」

「飲むワクチン」実用化の可能性

 木戸教授は現在、SF10をアジュバントとして添加した「飲むワクチン」の完成を目指している。ワクチンを腸で働かせてIgAやIgGの産生を高めるには、皮膚に打つよりも飲むほうが有効だからだ。

「SF10を加えたワクチンはとくにIgAを作る能力が高いことがすでに確認されています。しかもこのワクチンの場合、現在の皮下注射に入っているインフルエンザ抗原よりもずっと少ない量で同等の効果を発揮できるため、今の皮下注射と同じか、それ以下の価格で提供できそうです」

 SF10を使ったワクチンには、ほかにも多くのメリットがある。

「その一つが、ワクチンの有効期間。現在の皮下注射の効果は数ヶ月から半年程度とされ、私たちは毎年、予防接種を受けなければなりません。しかし、腸の免疫を介してIgAやIgGを作ると免疫の記憶が長持ちするため、1年たっても同じ型のインフルエンザを完全に抑制できるのです。

 SF10はワクチンの成分を腸に運んだ後、すぐに分解されるため副作用がないこともメリットです。また、腸の免疫系によって得られた情報は全身の粘膜に運ばれるため、鼻や喉、気道のIgA抗体誘導と、血液IgG抗体誘導を導いて、全身に感染症を防御する仕組みことができます」

 さらに、SF10はインフルエンザワクチンの他、例えばノロウイルス、ロタウイルスなどの感染を予防するワクチンにも応用できる可能性があるという。

「現在は実用化に向けた研究を続けるとともに、共同研究をしてくれるパートナー企業を探している段階です。また、動物用のワクチンメーカーからはすでにアプローチがあり、まずは動物用のワクチンにSF10を利用することを考えています」

 これほど多くのメリットがあるインフルエンザの新型ワクチン、1日も早い実用化が期待される。

木戸博(きど・ひろし)

徳島大学特任教授・名誉教授。専門は生化学、分子生物学。1973年弘前大学医学部卒、1977年徳島大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程修了、同医学部附属病院医員。1979年米国ロッシュ分子生物学研究所研究員となる。1981年より徳島大学助手、1989年同助教授、1993年同教授に就任。2007〜11年徳島大学疾患酵素学研究センター長、徳島大学役員参与(研究担当)、2013年徳島大学疾患酵素学研究センター特任教授(名誉教授)、2016年同先端酵素化学研究所特任教授に就任。日本生化学会永年会員・評議員。International Proteolysis Society(President 2009-2011, Vice President 2001-2005)、日本病態プロテアーゼ学会理事・評議員、日本界面医学会理事・評議員、日本アレルギー学会、日本ワクチン学会、日本感染症学会に所属。

取材・文/市原淳子

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