【書評】『孤独のすすめ 人生後半の生き方』~逆転勝利の楽しみ
才能溢れる文化人、著名人を次々と起用し、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を、創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏に、現在のライフスタイル、人生観などを連載で寄稿していただいてる人気シリーズ「84才、一人暮らし。ああ、快適なり」の番外編をお送りする。
今回は、若い頃より親交を重ねてきたという作家・五木寛之氏の著作『孤独のすすめ 人生後半の生き方』(中央公論社)の書評だ。ベストセラーの同書を、矢崎氏はどう読むのだろうか。
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作家、編集者の関係を超えて意気投合
人は誰も孤独に脅え悩んでいる。ところが本書はタイトルで、その恐るべき孤独をすすめているのだ。明らかに逆説(パラドックス)を堂々と逆手に取っているのである。素晴らしい。
果たして出版社の思惑通りに売れている。20万部を突破したというから、おそらくベストセラーの一角に位置しているに違いない。
近頃はすっかり疎遠になっているが、五木寛之さんと私はかつて非常に親しかった。作家と編集者という関係を超えて、もっぱら遊んだ。それこそほとんど毎日のように会って、いろいろなことに挑戦していた。五木さんが『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞作家になったのと、私が雑誌『話の特集』を創刊したのがほぼ同時期であり、たちまち意気投合したのである。年齢も同じだ。
40才を目前にしたころ、五木さんと演出家で作詞家の藤田敏雄さん、私の3人がステージ作りの相談をしていた時に、五木さんが突然ある提案をした。
「3人共、運転免許証を取得してませんよね。一緒にチャレンジしてみませんか」と言う。
「誰が最っ先に合格するか。賭けましょう。免許を取得するのに10万円くらいかかるから、トップにビリが10万円払う。眞ん中はゼロというのはどうですか」
勝負事が好きな私はすぐに賛成した。藤田さんは渋々同意したが、何と五木さんは10日間で免許試験に合格した。いくら何でも早すぎる。結果は4日遅れて私が合格。結局、藤田さんはギブアップした。
私は口惜しかったが、五木さんの(免許取得の)スピードには及ばなかった。ハードな個人レッスンが功を奏したらしい。
次に、私たちは中古の外車を購入して、運転スピードで競争することになった。当時の『週刊現代』の編集長が発売されたばかりのフェアレディZを買って、私たちに挑戦したりもしていて愉快な日々だった。
神戸のテレビ局にレギュラー番組を持っていた五木さんと私は、東名高速の用賀インターチェンジで落ち合って、どちらが先に神戸のオリエンタルホテルに到着するかを競ったりした。
超多忙な流行作家と、雑誌作りに熱中しながら、テレビのプロデューサーの仕事で雑誌の赤字をカバーしていた私、お互いに会う時間を捻出するだけでも大変だった。まして現代と違ってケイタイ電話のない時代である。
ダイアル・サービスという24時間伝言を受ける会社がスタートし、私たちは飛びつくように加入し、緊密に連絡を取り合うようになった。
午前1時すぎにマージャンを始めて、徹夜で連日のように遊んだのもその頃である。五木さんは締切りギリギリまで遊ぶ。明け方になると真剣な顔をして、原稿の〆切り時間を逆算している。
「よし、8時に終われば間に合う。」
指折り数えて、ラストスパートする。決して上手ではないのだが、運を味方につけて、大逆転で勝ち切って、BMWで颯爽と去って行くのだった。余りの勝負強さにうんざりしていると、
「ボクは30を過ぎるまで、無茶苦茶運が悪かった。ようやくツキに恵まれるようになったんです」と、ケロリと言ってのけた。
夏には、軽井沢に出かけ、草津までの直線道路で競争したこともあった。私は、のべつスピード違反で捕まったが、五木さんはそんなことはない。実に不公平、運の違いは随所にあったのである。
孤独の楽しさは「一人秘やかに回想に耽ること」
こんな回想を書いているのは、実は『孤独のすすめ』の実践を試みているからだ。
五木さんは、「孤独の楽しさの最たるものは、一人秘やかに回想に耽ることにある」と、記している。
五木さんは不摂生そのものだったが、タフだった。快活でもあり、人をそらさない。咄々とした口調は説得力に溢れていた。それは今でも変らないだろう。そんな気がする。
例えば仕事量では、今でも私などは足元にも及ばない。新聞、週刊誌、雑誌などの連載は移しい数だし、加えてテレビ、ラジオなどにレギュラーを持ち、更に講演で日本全国を飛び回っている。
もちろん作家活動が主だと思うが、ド胆を抜かれるのは、現在『週刊現代』に連載中の小説『青春の門』(完結篇)である。途中休んではいるが、ほぼ50年の時空の上に成り立している。他にこんな作家はいない。
また『日刊ゲンダイ』の『流されゆく日々』は創刊以来毎週月曜日から金曜日まで、毎日掲載されている。まったく切れ目なしなのだ。恐らく口述とかワープロとか、そうしたもの頼ることなく、コツコツと(原稿用紙の)升目を埋めておられるに違いない。
このふたつだけでも驚異だが、他にも山ほど仕事を抱えているのだから敬服に値する。天才と言うべきか、哲人と言うべきか、どう形容してよいか、言葉すら失ってしまう。
しかもレベルが高いのだから、誰も多少の重複があっても文句など口が裂けても言えない。読書家であり、数多くの資料に目を通している。秘書とか弟子とかを使っている気配も全くない。
五木さんの本音
こう考えてくると、五木さんは徹底して孤独を身内に引き入れているように思える。つまり、ホンの軽いエッセイだとおっしゃるかも知れないが、『孤独のすすめ』こそが、五木さんの本音のような気がしてくる。彼こそが天下一品の超孤独人間なのではあるまいか。
五木さんの思想とも言える「世界も国家も、そして人生も、登山と下山に二分される」という視点は実に鋭い。しかも、下山にこそ注意が肝要だという指摘は重い。
人間は必ず死に至る。その道程はそれこそ人さまざまである。生死こそ個人的な自然な営みは他にない。自分が自分をどのように看取るかの分別は個有な覚悟だ。五木さんはそのことを尊重してペンを握っているようだ。
自宅に送られてきた大作『親鸞』(講談社)の献辞に、”あなたは親鸞のような人です”とあった。わが眼を疑った。
私は褒められたのか、バカにされたのかわからなかった。もちろん、どちらでもないのだが、納得するまでに時間がかかった。つまり長編小説を読み終わって、やっと落着くことが出来た。上質な謎解きだったのだ。
五木さんが覚えているかどうかはともかくとして、気にかけていることを知ってとても嬉しかった。
おそらく五木さんは、叙勲又は勲章を受けていないと思う。打診はあっただろう。だが断ったという話も伝ってはいない。むろんどうでもいいことかも知れないけれど、形式的な名誉を受ける気持ちのない水平目線の人だと思う。
失敗や挫折はもとより、悔悟や反省も数多くされているに違いない。だが、あまりそうしたことを口にしない質だろう。それでいいように思えるようになったのは、私も間なしに齢85になるからだろうか。
登山期に親しく交友し、下山期にはほとんど相見(あいまみ)えることはなかった。それは孤独を愛する私たちにとっては、最良の選択だった。
『孤独のすすめ』は小冊子ではあるが、古今東西稀な名著である。是非とも多くの老若男女に読まれて欲しいものだ。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。