荒木由美子 義母の20年介護【1】~結婚と同時に介護人生が始まって~
1983年、アイドルの絶頂期で13歳年上の歌手・タレントの湯原昌幸さんと結婚、潔く芸能界を引退した荒木由美子さん。結婚2週間後に義母が入院。その日から介護を余儀なくされた。その後、義母の病状は認知症へと進行し、およそ20年にわたり、介護と子育ての日々を送ることになる。
荒木由美子さんに、自身の介護経験を振り返り、語っていただいた。
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結婚2週間後に義母が入院
「まさか、あの時が介護人生の始まりだなんて、その時は気づいていませんでした」
荒木さん23歳。幼い頃から共働きの両親の代わりに家族の食事や身の回りの世話をしていたゆえ、家事全般をこなすことに心配はなかったが、”結婚2週間後に姑が入院をする”、そんな想像はしていなかった。
包容力のある夫と優しい義母。周りからは「新婚で同居?」と心配する声も聞こえたというが、九州女性の彼女、「結婚をしたら、夫の家族も自分の家族。夫を育ててくれたお母さんを夫ともども大事にしよう」と心に決めていた。
「最初の入院は2カ月ほど。入院中は『(病院の食事よりも)由美ちゃんの作ってくれたものが食べたいの』と言う母に、毎日おかずを作って(病院に)持っていきました。大変でしたが、どこかでそれが当たり前という気持ちもあって……母は糖尿病でしたので、退院後も食事と薬の徹底管理をし、いつ再び入院になっても大丈夫なように、下着セットと病室セットの2つの袋を常備していました」
その常備袋が無用の長物になればよかったのだが、実際には3カ月に1度程度の頻度で義母の入院は繰り返された。「糖尿病」以外にも「高血圧」「心臓肥大」などあらゆる生活習慣病にかかっていたのだ。
介護中に妊娠、流産の危険性も
義母が最初の入院から退院し、落ち着いたときに分かったのが荒木さんの妊娠。義母の自宅介護と入院時にはその付き添い、そして家事――。
妊娠中も絶え間なく動き回る由美子さんに、周りの人々は「妊娠中はあまり病院へは行かないほうがいい」「そんなに動き回っては体に堪える」とアドバイスをくれたと言うが、1日病院に行かないだけで、あるいは自宅介護中に少し買い物に出ただけで、義母は「由美ちゃんがいない」と心配し、寂しがる。休んでいるわけにはいかず、”つわり”すら感じることがないほどの慌ただしい日々は続いた。
「正直『少しは私のことをほおっておいて!』と思ったことも何度かあります。でも、義母に悪気がないことも分かる。頭では理解していても、心がついていかない。そんな妊娠期間でした」
そんな葛藤の中で、忙しさとストレスが重なったのか、妊娠5カ月目に流産の危機に陥り、3日ほど入院をした。続く9カ月目には切迫流産しそうになり、再び絶対安静状態に。
「夫はそのつど『無理はしなくていい』『由美子が元気でいてくれないと……』と励ましてくれましたが、性分もあるのでしょうね。そんなふうにはできなくて。芸能界を辞めてまで選んだ結婚。自分で決めたことだから、自分の力でやり遂げたいと実家の母にも相談をせずにやってきました。いま思えば、明らかに頑張り過ぎですね(笑い)。でも、そのときは、そうしなければ! と強い覚悟に突き動かされていたんです」
「妻」「嫁」「母」いくつもの役目を同時に
長男が生まれ、荒木さんは「嫁」と「妻」に加えて「母」の顔も持つようになる。義母の糖尿病は徐々に悪化し、年に2度の長期入院を余儀なくされるようになっていた。
「乳幼児の息子の世話をして、夫の身の回りの世話をして、義母の食事を作って、病院に行き看病をする。帰宅して、洗濯、掃除などの家事をやり、夫の夕飯を作り、子供を寝かしつける……。母が入院していないときは1日中、母と子供の世話。こうやって振り返ると、頭がこんがらがっちゃいますね(笑い)」
今でこそ、笑って話すが、座って息子におっぱいをあげているときも、義母の様子を見ながらこまごまと世話をする。胸から下は息子のものだが、首から上は義母に集中、そんな日々だった。
息子の世話が忙しいと、子供にかえった義母がやきもちを焼く。夫がいるときは夫の世話もしたくなる。
「由美ちゃ~ん!」と呼ぶ義母、「由美子~!」と話しかける夫、「ママちゃ~ん!」と甘える息子。ひっきりなしの由美子コールに、居合わせた親戚が「この家にはいったい何人の由美ちゃんがいるの?」と呆れ、驚くほどだったと言う。
「いま思えば、あの時期はとても忙しく慌ただしかったけれど、母に初孫を見せることもできて、入院していないときは一緒に出掛けることもできました。いい時期だったなぁとも思います」
――その後、義母は認知症を発症する。荒木さんが結婚をして3年目のことだった。
→荒木由美子 義母の20年介護【2】~由美ちゃん、ありがとう~を読む
荒木由美子
佐賀県神埼市生まれ。第1回ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」にてデビュー後、シングルレコードを10枚リリース、多数のレギュラー番組を持ち、アイドルとして歌謡以外にも司会やドラマなどで活躍。1983年に、歌手の湯原昌幸と結婚を機に芸能活動を引退。同居の義母を20年にわたり介護する。義母を看取った翌年2004年に芸能界復帰。義母の壮絶な介護体験を記した書籍『覚悟の介護』がビッグヒットとなる。
2017年12月に37年ぶりの新曲となる『私はブランコ』をシングルリリース。NHK『みんなのうた』で、12月1月の曲として放送。また。同CDに収録の『ありがとうはエンドレス』は、介護をやり遂げた荒木さんの人生が重なると話題を呼んでいる。
撮影/津野貴生 取材・文/池野佐知子