連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズへ征く~<20>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」に訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。

 宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。

 ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、次の目的地、ペンブロークを目指す。

 その前に、18回19回では、「ペンブローク城」を解説。

 * * *

(2017/4/11)

VII これぞカッスル、ペンブローク城【4】

●ブルターニュ公国へ

 これまで述べてきたヘンリー6世やエドモンド、ジャスパー、そしてマーガレット・ボフォートとその息子ヘンリー・テューダーは赤ばらが紋章のランカスター家に属し、後述するエドワード4世や「悪党」リチャード3世は白ばらが紋章のヨーク家の国王である。

 ただ、両家の上層部はともかく、彼らにつき従っていた一部の家臣や地方の有力者たち、そしてそのまた従者たちといった末端の連中は、自分たちの利益を考えて、両派を行ったり来たりの日和見を決めていた者も多数いて、ばら戦争は実際は複雑な戦いが各地で繰り広げられていたのである。

 こうして叔父ジャスパーの居城ペンブローク城で、ヘンリー・テューダーは産声を上げた。

 その後、ヘンリーが4歳の時、ペンブローク城はヨーク派の大物、ウィリアム・ハーバートによって占領される。そのとき、ジャスパーは辛くも城を脱出するが、ヘンリーはウィリアム・ハーバートに捕らえられ、この城で引き続き養育される。

 そのウィリアムもランカスター派との戦いに敗れ殺されると、叔父ジャスパーが再びペンブローク城を奪い返し、再会したヘンリーとジャスパーは、この城でヘンリーが14歳になるまで過ごすのである。

 つまり、ヘンリー・テューダーにとってペンブローク城は、生まれ、そして育った故郷そのものだった。

 時代は、しかしめまぐるしく転回する。

 劣勢だったヨーク派は勢いを盛り返し、ヘンリー6世を破ったヨーク家のエドワードが国王に即位してエドワード4世となると、ジャスパーはランカスター家の王位継承者である甥ヘンリーの身の危険をひしひしと感じるようになる。

 ジャスパーは決断する。甥を守るため、そして捲土重来(けんどちょうらい)を期すため、フランスのブルターニュ―公国にヘンリーを連れ、逃れるのである。

 そしてブルターニュ公フランソワ2世とフランス国王シャルル8世の庇護と支援の下、28歳なるまでの14年間をヘンリーはフランスで過ごすことになる。

 一方、イングランドの王宮ではエドワード4世亡き後、その弟のグロスター公リチャードによる王位乗っ取りが始まった。

 リチャードは正しい王位継承権を持つ兄エドワード4世の二人の王子、エドワードとリチャードを捕まえロンドン塔に送って密かに殺害すると、自ら国王として即位を宣言する。

 これがシェイクスピアの史劇でも有名な、英国史に名高い大悪党国王のリチャード3世である。この男が玉座についてからはその暴政を嫌って、同じヨーク派からも造反者が相次ぐことになる。

 ジャスパーはフランスからたびたびペンブロークに渡り、旧臣たちと密会を重ね甥ヘンリーの見事な成長ぶりと、再上陸侵攻作戦の計画を伝え、勢力盛り返しに務めている。

 こういうジャスパーの宣伝工作も実を結んで、ランカスター派、ヨーク派を問わずリチャード3世に嫌気がさした有力貴族たちは続々と海を渡りヘンリー・テューダーのもとに馳せ参じていく。まるでブルターニュ公国には、あたかもイングランドの臨時亡命政府が置かれたような様相になってくるのである。

■乾坤一擲(けんこんいってき)ボズワース

 そして、ついにヘンリーと叔父ジャスパーが率いる兵を満載した大船団は海峡を渡り、1485年8月7日、ペンブローク西のミル湾に投錨した。とうとう戻ってきたのである。

 上陸したヘンリーは跪(ひざまづ)き、ウェールズの大地に接吻した。このとき、ヘンリーと共に上陸した軍団の旗手が両の手で高々と掲げたのが、ウェールズのシンボル・赤竜(レッドドラゴン)を大きく描いた軍旗だった。

 続いて陸に上がったジャスパー・テューダーの周りには、彼を慕ったペンブロークの人々がいっぱい集まってきた。ああ、われらの殿のご帰還だ、と。

 すぐに行軍を開始したヘンリーのもとに、ウェールズ各地から続々と兵が馳せ参じてくる。こうして膨れ上がった軍団は、決戦の地イングランドのボズワースに至る。

 そこにはすでにイングランド国王リチャード3世の軍が到着していて、いよいよ英国の将来を決める乾坤一擲の戦いは、かくして始まるのである。

 両軍の兵力はヘンリー側が5000人、リチャード3世側が倍の10000人程度で、数の上ではヘンリーが不利だったが、国王軍の士気は決して高くはなかった。

 弓兵の矢合戦で始まった戦いはやがて膠着状態となり、しびれを切らしたリチャード3世は側近の騎兵を率いて自ら馬を駆けてヘンリー・テューダーの本陣に突入する。

 混戦となるが、そのときリチャード3世軍に加わり少し戦線から離れたところにいたスタンリー卿とその弟が率いる騎兵が、リチャード3世軍の横腹に突っ込み、リチャードはスタンリーの騎兵に頭を割られて絶命する。

 このスタンリー、実はヘンリーの母マーガレット・ボフォートの再婚相手であり、ヘンリーの側に着くことは前から示し合わせてあったのである。

 かくして、ワル国王リチャード3世を戦場で屠ったヘンリー・テューダーは、ボズワースの戦いから2か月後の1485年10月30日、ウェストミンスター寺院で戴冠されイングランド国王ヘンリー7世となった。

 そしてあくる年の1月には、ヘンリーは母親マーガレット・ボフォートのアレンジによりエドワード4世の娘、エリザベス・オブ・ヨークを后(きさき)に迎え、ここにランカスター家とヨーク家はついに統合され、長かった不毛のばら戦争は終わったのだった。

 この、ウェールズの名門テューダー家の血を引いたヘンリーがイングランド王になったとき、ウェールズの人々の喜びは爆発した。

 ウェールズの精神的リーダーである吟遊詩人たちはヘンリーを甦ったアーサー王と称え、またある者は隷属から我々を導き解放してくれるモーゼであると喝采した。

 ウェールズ全土は、しばらくの間、大変な興奮状態となったのである。こうしたウェールズの人々の声にこたえ、ヘンリーは戴冠式の翌年に生まれた長男にアーサーという名前を付けたのだった。

 ただ残念なことに聡明な王子アーサーは、伝染病にかかり15歳の若さでこの世を去ってしまったが。

●中世から近代への幕開け

 ヘンリー・テューダー改めヘンリー7世がすごかったのは、イングランドにもウェールズにも偏らない中立な政治を行ったことである。

 すでに述べたように彼は14歳までウェールズにいて、その後28歳までをフランスで過ごし、イングランド王家の血が流れているとはいえ、国王になるまではイングランドに住んだことはなかった。

 要するにイングランド王宮に渦巻く欲得に満ちた派閥や人脈とは無縁だったのである。

 従ってヘンリーは地域を代表する大物貴族、聖職者たちにおもねることなく、ウェールズやイングランドを包括した全土的視野の政治を行うことができた。

 ヘンリーの登場で、地方分権の中世から、中央に巨大な力を持つ国王が取り仕切る絶対王政、中央集権の近代へと、イギリスは大きく舵を切ることができたのである。

 このイギリスの政治体制に大変革をもたらしたのが、「ウェールズ人」ヘンリーが開祖となったテューダー朝だった。

 21世紀の今になってもときおりイギリスは海賊国家と悪口をたたかれてはいるが、ヘンリーの孫のエリザベス1世女王の時代、国を一つにして世界の海を支配する大海洋国家へとのし上がっていったことは、日本人も含め、世界の多くの人がすでに知っていることである。

 こんな革新的なテューダー朝の開祖、ヘンリー7世を育んだのがペンブローク城なのだ。すごいカッスルなのである。そこに私はいま、「348のバス」で向かっている。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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