【著者インタビュー/盛田隆二さん<後編>】介護うつを経て知った脈々と続く命のリレー
“父親と息子”って文学上でも永遠のテーマで、思春期からずっと“父親は乗り越えるべき存在”で、乗り越えないと自分は大人になれないのだ、とか頑なに思っていたんですね。親父を突き飛ばしてから約40年が経過して、お互いにどう距離をとったらいいか戸惑いながらも密に接するようになったら、驚きました。親父のイヤなところは、自分とそっくりなんです。あれもこれも遺伝している。結局、否定してきた対象は全然乗り越えられないどころか、実は全部受け継いでいるんだ、切っても切れない“命のバトンリレー”みたいなものなんだ、って気づきました。親父が死ぬ直前に」
思えば母親のほうも、亡くなったのは祖母と同じ71歳、同じパーキンソン病。しかも同じ1月22日だった。その病はさらに妹にも受け継がれてしまった。認知症の父親と精神を病む妹を介護した10年でつくづく思い知った、この「命のバトンリレー」。
「親父は突然記憶がよみがえって、終戦直後のことを鮮明に語り始めたりすることもありました。戦争に行った時のことは初めて聞いた。それで改めて、親父のこと何も知らないことに気づいたんです。どんなふうに幼いころを過ごし青春を送り、母親と出会い、そして自分が生まれたのか。知りたいと思った時には、もう母親はあの世で親父は認知症で話は聞き出せない…」
「知らなかった父と母の人生の記録を残したい。ふたりの人生をもう一度輝かせてみたい。それは自分にしかできないことだ――」、そう考えた盛田さんは、資料を調べ、周囲に聞き取り、想像力を駆使して新作を書き始めた。現在月刊誌で連載中の『焼け跡のハイヒール』だ。父と母の歴史をさかのぼるファミリーヒストリーとなる予定だそう。
次に命のバトンを受け取る息子のほうへも、思いは広がった。
「親父の介護を終えて、今度は自分の“死に支度”を考えた。人工呼吸器も胃ろうも必要ない、自然な死でいいから、と息子にちゃんと伝えとかなくちゃな、と。自分自身、親父の最後の最後に泡食って付けた胃ろうについては、今も忸怩たる思いがあるから」
父親と濃密に過ごした日々は自分を知る時間でもあった
「介護に定型パターンはなくて、ほんとにそれぞれ。僕の場合は、断続的に施設やデイサービスなど、いろいろなサービスを使いながらの10年間。只中にいる時にはきついけれど、終わってみれば、月並みな言い方だけど、ほんとうにいい思い出です。40年も口をきいていなかった父親と最後に濃密な時間を過ごせて、大切なことをたくさん気づかせてもらいました。
最初はイライラのし通しだったけれど、『世話をしている自分に対して、どうして親父はこういうことを思うのか』と考えるようになりました。こちらがきつい言葉を放てばきつく返ってくる。それをやさしい言葉にすると『悪いなあ』としんみり返ってくる。父子はまるで鏡の関係だなと、自分のこともわかってくるようになりました。それは10年という年月があったからこそでしょうね。
もし介護の入口に立っている人や只中できつい思いをしている人に、この本がほんの少しでもお役に立つことがあればうれしいです」
盛田隆二(もりた・りゅうじ)/1954年生まれ。情報誌『ぴあ』編集者の傍ら小説を執筆し、デビュー作の『ストリート・チルドレン』が野間文芸新人賞候補、『サウダージ』が三島由紀夫賞候補に。’96年作家専業となる。細部まで現実味あふれるストーリーで、リアリズムの名手として『夜の果てまで』、『二人静』(第1回Twitter文学賞国内編第1位)ほか、作品多数。最新刊は『蜜と唾』。父親と母親の人生を描く「焼け跡のハイヒール」を『小説NON』(祥伝社)誌上で連載中。
『父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌』(盛田隆二・著/双葉社)1400円+税
オビの推薦文を書いてくれた重松清氏はデビュー作『ストリート・チルドレン』の編集者。以来の仲だが、重松氏もまた危篤の父親の病室でゲラを読み、翌々日には推薦文を送ってくれたそう。思いがこもっている
撮影/相澤裕明 取材・文/小野純子